斜陽街一番街、バー。
ここには妄想屋の夜羽が、いつものボックス席にいる。
何かを考えているようにも見えるし、
何も考えていないのかもしれない。
遠くを見ているようなそぶりもする。
深くかぶられた帽子で、その目は見えない。
藤色のコート、同じ色の帽子。
少し見える半端な髪は黒い。
その手は白。
ここから出ない所為かもしれない。
夜羽はここで妄想屋をしている。
妄想屋は夜羽のするところでは、
妄想をテープレコーダーで録音したり、再生したりする職業だ。
古臭いテープレコーダーで、
お客の妄想を録音して、
それを誰かに聞かせている。
誰か、とは、たまたまやってきた人かもしれないし、
斜陽街の誰かかもしれないし、
同じ妄想を持ちたい人かもしれない。
夜羽はおもむろにテープを一つ取り出した。
タイトルには、『母親』と書いてある。
「これは、多分妄想だよ」
夜羽は説明する。
「多分、妄想。本当かもしれないけどね」
夜羽は口の端で笑った。
テープを古臭いレコーダーにセットして、再生させる。
テープはくるくると回った。
「卵を探しています」
テープレコーダーから声がする。
女性の声だ。
「何の卵ですか?」
夜羽の声がする。
「私の産んだ卵です」
女性は答える。
「あなたは卵を産んだのですか?」
夜羽が聞き返す。
「はい、私は卵を産みました…とても大事にしていたのに」
「のに?」
「卵は隠されてしまいました。地中深くに」
「それを探しているのですか?」
「はい、私は卵を守らないといけません」
女性は答える。
「どんな卵ですか?」
「強い卵です」
「強い?」
「でも、私が守らないと砕けてしまいます」
「早く見つけないといけないですね」
「はい、早く見つけないと斬られてしまいます」
「斬られる?」
「そんな気がするのです」
女性は答える。
卵ということを抜きにすれば、
わが子を思う母親そのものかもしれない。
「卵があると、海が繋がってしまいます」
「海?」
「歪ませて海をつなげてしまいます」
「いまいち、わからないですね」
「水の多い場所と海をつなげて安定したイメージを得ようとするのです」
「卵が、ですか?」
「卵が、です」
「卵からは何がかえりますか?」
「いとおしいわが子です」
女性は答える。
「でも、その顔は見ることが出来ない気がするのです」
女性は悲しそうにそう結んだ。
夜羽はテープを止めた。
母親の声も止まった。