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第395話 温泉街

斜陽街番外地、扉屋。

熱屋と病気屋は、旅行鞄を持ってそこにやってきた。

入り口の扉を開ける。

その中に広がる、扉、扉、扉。

「相変わらずだなぁ」

病気屋がつぶやく。

「早く行こうよ」

熱屋がせかす。

病気屋が思う以上に、

熱屋は旅行を楽しみにしているのかもしれない。

「それじゃ、お邪魔します」

病気屋が扉屋の店内を歩く。

行先の扉を探す。

「これかな」

チケットに書かれた扉のガラと見比べる。

「これみたいだね」

熱屋もチケットを覗き込む。

「それじゃ、行ってきます」

病気屋が扉を開けて入っていった。

熱屋が続いて、扉を閉めた。

あとには、いつものように扉を作る扉屋が残った。


扉の向こうに病気屋と熱屋がやってきた。

病気屋は深呼吸する。

かすかに妙なにおいがする。

「来ちゃったね」

いたずらでもしたように、熱屋が微笑む。

ずいぶんそんな表情は見ていない気がした。

いつぶりだろう、こんな微笑を見るのは。

病気屋が戸惑っていると、熱屋は歩き出した。

「温泉街だね、ここは」

病気屋が続く。

宿が並んでいる。

和風で、古い、歴史ある温泉街なのかもしれない。

宿に混じってお土産屋もたくさん。

ちょっとした観光地なのかもしれない。

そうして病気屋は、嗅覚の違和感のもとに気がつく。

「硫黄か」

「なぁに?」

「うん、硫黄のにおいが少ししたから」

「温泉のにおいだね」

病気屋はうなずく。

「宿に行こう。どこの宿かチケットにあるかな」

「通りの奥らしいよ」

「まずは荷物を置きたいからな」

「温泉ってどのくらい気持ちいいのかな」

熱屋の足取りが弾む。

病気屋の脳裏に、きらきらした記憶がよみがえる。

熱屋が熱屋になる前の記憶。

熱屋が重い病気にかかる前の記憶。

熱屋が時を止める前の記憶。

変わらず熱屋は微笑めるじゃないか。

もっと早く旅行にでも誘えばよかったと、

病気屋は後悔をする。

「置いてくよ」

熱屋が先にたって歩いている。

「あ、饅頭だって」

「温泉街にはよくあるらしいな」

「熱いかな、おいしいかな」

試食の温泉饅頭に舌鼓を打ち、

白衣の病気屋と、ジーンズ姿の熱屋が歩く。


かすかな硫黄のにおいがする。

熱屋の足取りが弾んでいる。

病気屋が微笑む。

こうして旅行を引き当てて、

心底良かったなぁと思った。

「あ、宿あそこかな」

熱屋が指差す。

病気屋は後に続いた。

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