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第405話 湯屋

どこかの扉の向こうの温泉街で、

病気屋と熱屋が宿にやってきた。

「こりゃ歴史がありそうだ」

病気屋がつぶやく。

出迎えたものにチケットを見せると、

納得してもらえたらしく、部屋へと通される。

「旅館の中なら浴衣で歩いても結構ですよ」

そういわれ、病気屋はあらためて自分の白衣を思う。

浴衣なら、ちょっとは温泉街に馴染むかもしれない。


小ぢんまりした部屋に、病気屋と熱屋は案内され、

荷物を置いた。

「ぜひ温泉を楽しんでくださいな」

案内の者にそう言われ、うなずいて二人は足を伸ばした。

「長旅じゃないけど、なんだか気持ちがのびるなぁ」

「扉屋でひとくぐりだからな」

「列車の旅とかすれば、もっと気持ちいいのかな」

「わからんなぁ」

「いつか行こうよ、長旅」

熱屋の目が輝く。

少女と女性の間で止まった、

いつもうつろな熱屋の目が、

この旅で輝いている。

「旅が好きなのか?」

病気屋が問いかける。

「わかんない、お仕事としてのお店も好き」

「そんなに目を輝かせたのは、ずいぶん見ていなかったぞ」

「そうかなぁ?」

熱屋はゆっくり首をかしげる。

その仕草はいつもの斜陽街の熱屋だ。

病気屋は柄にもなく、どきどきする。

隣同士でいつも顔を合わせていたのに、

いつもと違う熱屋がそこにいる。

「温泉行こうよ」

「あ、ああ、そうだな」

二人は浴衣に着替え、宿の温泉へと向かった。


男女と別れたところを入って、

病気屋は温泉を堪能する。

一方の熱屋も温泉を堪能する。

「すごい熱の使い放題ね」

熱屋は自分の店の熱カプセルに換算して考えようとする。

すぐにやめた。どうしようもない。

うんと手と足を伸ばす。

硫黄のかすかなにおいが心地いい。

熱屋は病気屋のことを思う。

気がついてくれただろうか。

病気屋がいるから楽しいんだということを。

目が輝いているとしたら、

病気屋が一緒だから輝くんだということを。

熱屋には説明の出来ない感じだけれど、

温泉よりももっと深いところで、

病気屋がいつも熱屋をあたためてくれている。

いつも、いつも。

熱屋には扱えない熱なのだ。

「きもちいいね」

熱屋はつぶやく。

温泉は確かに気持ちいい。

古い宿に一緒なのももちろんいいかもしれないが、

何より病気屋を独り占めだ。

そこまで考えが至り、熱屋はひっそり笑う。

これは独占欲というものによく似ている。


熱屋は温泉でそんなことを思った。

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