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第420話 此方

此方には何もないか。

ここには全てがある。

憧れも夢も、幻も。

此方には全てがある。


斜陽街一番街、バー。

夜羽はいつものように妄想屋をしていた。

先ほどお客が来ていった。

夜羽はテープレコーダーから妄想のテープを取り出し、

マジックで「此方」と書く。

此方には全てがある。

彼方を目指す必要はなく、

此方に全てがある。

そんな妄想だった。


バーにはいろんな人がやってくる。

人でないものもやってくる。

生体系、電脳系、電網系、それとも違う夢幻のようなもの。

みんな斜陽街で繋がっている。

ここに全てがあるような気もするし、

ここからずっと遠くに何かがあるような気もする。

妄想なのだろうか。

お客の残していった妄想のような気もするし、

夜羽が感じる妄想のような気もする。

それは斜陽街の妄想なのかもしれない。

斜陽街からどこかへと、繋がる妄想なのかもしれない。


カランコロン。

ドアベルが鳴り、お客が入ってくる。

お客は生体系で、マスターにビールを注文した。

いつものバーの、いつもの風景だ。

これからもそうなのだろうし、

もしかしたら変わるのかもしれない。

夜羽にもそれはわからないし、

きっと誰にもわからない。

それでも、夜羽はこの斜陽街の居心地がよくて、

このままでもいいなと思う。


カランコロン。

また、ドアベルがなる。

「いやー、一仕事終わった」

空飛ぶ魚のシキが入ってくる。

続けてヤジマとキタザワが入ってくる。

「ギムレット」

「あの、ファジーネーブルを」

「水」

ヤジマが、キタザワが、シキが注文する。

「夜羽」

ヤジマが夜羽のほうを向く。

「卵は八卦池に入れたよ。電脳の眠りについてるはずだ」

「それはよかった」

夜羽はうなずく。

ヤジマの前にギムレットが置かれる。

「シキは何してたんだい?」

「本を作って、廃ビルの屋上から送ったのさ」

「どこ行っただろうね」

「思い出のどこかに行ったのさ」

キタザワの前にファジーネーブル、

シキの前に水が置かれる。

「それじゃ、一仕事終えたことに乾杯」

「かんぱーい」

グラスがチンとなる。


此方には全てがあるように。

ここに満足すればそれまでかもしれない。

でも、ここが始まりなのだ。

ここに始まりここに終わる。

ならばここが全てなのかもしれない。


カランコロン。

ドアベルがなる。

全てはここから。


また斜陽街で逢いましょう。

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