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第七章

第421話 何時

いつもの斜陽街一番街の、

いつものバー、いつものボックス席。

バーの中では奥のほうにあるその席に、

妄想屋の夜羽はいる。

藤色のコート、同じ色の帽子を目深にかぶっていて、

表情はわからない。

妄想を録音したカセットテープを取り出す、

その指は白い。

老いているのか若いのかわからない。

男か女かもわからない。

素性も何もあったものではない。

帽子のふちから覗く、

口からつむぎだされる言葉も、

素性を探る手がかりになってくれない。


いつものようにバーのマスターが、

グラスなどを拭いている。

有線放送が静かにかかっている。

ジャズかもしれない。

今はお客はいない。

そういう時間帯なのだろうか。


夜羽は何かを見るしぐさをした。

帽子で、どんな目をしているのかわからないが、

多分視線の先には時計がある。

古びた時計で、

振り子がゆらゆらとゆれている。

静かに、とても静かに、

時計は時を刻んでいる。


ジャズと時計の音が、きれいにかみ合っている。

夜羽は口元に微笑を浮かべた。

片手で頬杖をつき、

もう片手の指でリズムを取る。

ベースの音にあわせ、ととんととんと指がなる。


今は一体何時なんだろうか。

時計はある、でも、それは時を刻む時計でないかもしれない。

ゆらゆらと振り子が揺れている時計は、

時を知らせるものでなく、

時を楽しむために揺らいでいるように感じた。


斜陽街の時間なんてそんなもの。

何かのそこのように揺らいでいて、

朝も夜も関係なく、

どんな時間帯にも存在して、

どんなところにも存在する。


何時でもない。

ただ、ゆらゆらと存在するだけ。

そして何より、楽しんでいるだけ。


古びた時計は一応の時間を示している。

でも、その時間が何をするべき時間なのか、

斜陽街では意味を持たないのかもしれない。

少しだけ、斜陽街の感覚がずれているのかもしれない。

混沌と秩序の入り混じった、

奇妙な町、斜陽街。

時のないこの町に、時計は別の意味を持っている。


いまはなんじ?

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