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第436話 貴族

これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。

どこかの扉の向こうの世界の物語。


男がいる。

彼は貴族だ。

使用人達を雇い、

広い屋敷で、日々悠々自適に暮らしている。

彼は自分の見目が麗しいことを知っている。

彼は女を誘惑した。

そして、何人も抱いた。

はじめのうちはそれでよかった。

貴族という権力と、その美貌で、

女が落ちていくのを見るのが楽しかった。

どこがはじめかなんて、彼は覚えていない。

ただ、彼のはじめのうちはそれでよかった。


気がついたら、

彼は満たされていないことに気がついた。

美しい女をどれほど強引に手にしても、

何も満たされない。

それが当たり前の世界だからだ。

彼の世界。

彼が貴族で、彼を中心に回る世界。

彼は嫌気がさしてきた。

彼は歪みはじめる己を止められなかった。


彼はその世界に、

血を分けた妹がいることを知った。

彼に似た美貌。

何も知らない妹。

これを手に入れたら満たされるだろうか。

彼にはもはや、倫理はない。

飢えたものがそうであるように、

妹を手にしようと、ゆがむ。


「おにいさま」

妹が微笑んで呼びかける。

その微笑を崩したい。

手に入れて…

「おにいさま、おにさま」

ふと、違和感。

おにさま?

「そんなことを考えていますと、鬼がやってきます」

鬼、それはとても怖いものだと、

貴族の彼は恐れた。

恐れるものの何もない世界で、

鬼、それだけは。


「おにいさま」

妹から、にゅっと角が生える。

「不健全な夢は、裁きの対象になります」

あどけない妹の口から、事務的とすら思われる、言葉。

「この夢を夢裁きの対象と認め、これを裁きます」

彼は恐怖した。

この世界だけが彼の望みをかなえてくれたのに。

この夢だけが、この夢だけが。


「夢鬼の権限において、消去します」


彼の意識は、夢をなくした。

手に入れられなかったあどけない妹。

何が欲しかったのだろう。

肥大してゆがむ夢の中の彼は、

本当は何が欲しかったのだろう。


もう夢は見れない。

答えは失われた。

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