これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。
どこかの扉の向こうの世界の物語。
砂の上を帆船が行く。
空に逃げた水が、きらきらとしている。
ここは空気の底。
大昔に何かあったから、
水は空に逃げて、高いところで揺らめいている。
帆船は砂賊の船。
砂賊は盗賊みたいなもの。
砂の上だから砂賊。
帆船は空気を受けて、砂の上をすべる。
砂珊瑚が点々としている砂の海を、すべる。
砂賊の長の、ヤドカリが甲板に出てきた。
明るい光が、空で乱反射して、
ぼやけた光を砂の上に投げかけている。
ふわふわと揺らめくいつもの光。
ヤドカリは空を見上げ、次いで、地平線を見る。
果てなんてあるのだろうかと、
ヤドカリは思う。
どこまで行けば安息の地にたどり着けるのかと、
ヤドカリはそんなことを思う。
「船長」
気弱そうな女性の声がかかる。
ヤドカリは振り返らない。
「モグラか」
「はい」
「何の用だ」
モグラがおろおろしているのが、
振り返らなくてもわかる。
「あの、ようが、ないと、だめ、ですか?」
最後のほうは消え入るように。
「ああ、だめだ、そんな暇があるなら地図でも起こしておけ」
「…はい」
答えたモグラは、それでもその場を離れない。
「…なんだ」
「まぶしいですね」
「ああ」
ヤドカリは振り返らない。
「どこまで行くんですか?」
「さぁな」
「船長ならどこまでもいけます」
モグラは断言する。
「どこまでも、か」
「はい」
ヤドカリはいつもの憎まれ口が出てこない。
モグラがいるから、どこまでもいけるのだと、
憎まれ口以上に、その言葉が出てこない。
だから黙ってしまう。
モグラに背を向けたまま、黙ってしまう。
モグラは冴えない女だ。
でも、ヤドカリの安息の地には、
きっとモグラがいるような、
いつものように、困ったように、微笑んでいるような、
そんな気がした。
帆船がすべる。
空の上で、水がきらめいている。
地平線の果て、安息の地はまだ見つからない。