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第471話 謡曲

これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。

どこかの扉の向こうの世界の物語。


ソウは機械体の女性だ。

機械の身体。脳だけが生身だ。

電脳犯罪取締官。肩書きはそういうものだ。

いわゆる警察というものに近い、

少しばかり特権があって、

少しばかり電脳に通じている。

そういうものだ。


ソウにはコンビを組んでいる、

トオルという男がいる。

トオルはほとんどが生身で、

ソウとは正反対のタイプだ。

古臭くて生真面目。

でも、やると思ったところは通す男だ。


ソウは、機械体のメンテナンスをしている。

手首のデータベース端末をはずし、腕をはずし、

自分でできる限り自分の機械体を把握する。

これは生きているのだろうか。

ソウはそんなことを思う。

この腕は生きていないだろう。機械の塊だ。

使っている自分は生きているのだろうか。

生きているとされるのはどこからだ。

ソウの脳裏がちりちりするような感覚。

生きていると思いたい。

あきらめて機械になれない。


機械体の顔のまま、ソウはメンテナンスを続ける。

そのソウのもとに、聞こえるもの。

ソウは手を止め、次いで顔を上げた。

音、いや、歌。

トオルが何か、音楽らしいものを流している。

ノイズが多い。

ラジオだろうか。

聴覚を通して、感覚が洗われていく。

「…音楽?」

「あ、はい」

「いい感じね」

「謡曲とか言うらしいです」

「ようきょく」

ソウはデータベースで調べない。

ようきょく、それで十分だ。


獣が歌っているような、

言葉のよくわからない歌。

それは謡曲というらしく、

どこか遠いところから、

ラジオの電波に乗ってやってきた。


「生きるってこういうことかも」

「はい?」

「なんでもない。そう感じただけ」

ソウは言うと、また、メンテナンスに戻った。

外れた腕がある。

これは、機械。

でも、歌に心を洗われる自分もいる。

それが生きることかもしれないと。

いまさら、ソウは思った。

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