斜陽街一番街に、音屋という店がある。
音に関するものを何でも売っているという店で、
どこにそんなものが仕舞われているんだというくらい、
かなりレアなものも、
音に関するものならば、あるといわれている店だ。
音屋の主人は、
いつも音の異様に流れまくっている店の中で、
目を閉じて何かを感じている。
音以外何があるわけでもないのだが、
音以外何を感じるわけでもないのかもしれないけれど、
音屋の主人は、何かを感じている。
ただ、何を感じているかの話を、聞き出すことは面倒だ。
音屋では無数の音が爆音状態で流れていて、
会話の音もかき消されてしまう。
よって、この店ではホワイトボードに書いて会話をするのだが、
細かいニュアンスや、感覚を伝えるのには、
あまり適さない道具かもしれない。
音屋に流れている音は、
音屋のドア一枚を隔てて、少しの音も漏れ出すことはない。
それは、扉がちゃんと仕事をしているからかもしれない。
噂ではあるが、
音を求めた果ての姿の扉であるという。
それは音を渇望した扉で、
いつも音を食べて、いや、飲んでか、吸ってか、
とにかく、音を求める扉であったらしい。
所詮噂かもしれない。
それでも、音屋の扉から、音が漏れ出すことはなく、
全ての音は音屋の中にあり、
音を呼吸しているガラスの扉があるという噂も、
斜陽街では、そういうこともあるということで、
片付けられてしまうのかもしれない。
音を求める扉というものが、
生きているのか、無生物なのか、
そういう議論は無意味かもしれない。
ただ、存在は何かを求めることがある。
それがたまたま、扉が音を求めることもある。
何かが何かを求めるのは、別に特別なことじゃない。
この扉を吸音素材というにはおかしいかもしれない。
けれど、この扉は音を吸っていて、
ここの扉である以上、役目を全うしている。
音屋にいってみたら、少し、この扉に触れてみてもいいかもしれない。
もしかしたら、音の振動とは少し違う、
脈打つ感覚を感じられるかもしれない。