斜陽街一番街のバー。
妄想屋の夜羽がどこかに出かけていって、
バーのマスターが一人でグラスを磨いている。
客がいない時間帯なのかもしれないし、
そうでなくても、ここが混みあっているのなんて、
あまりないのかもしれない。
来店を告げるベルがなる。
「いらっしゃいませ」
静かにマスターが挨拶をする。
「こんにちは。珍しく、おひとりなのね」
入ってきた品のいい声の主、
花術師のおばあさんは、微笑む。
マスターも少しだけ微笑む。
ボックス席に花術師は腰をかけ、
マスターはミルクベースの甘い飲み物を作る。
マドラーの小さな音だけの、静かな時間。
有線は夜羽が出て行ったそのときのままにしてある。
何も聞こえないチャンネル。
飲み物をボックス席に運び、
マスターはカウンターの中に戻ろうとする。
「マスターさん」
花術師がそっと呼び止める。
「なにか?」
「妄想屋さんさえもどこかに行ってしまうならば」
「ええ」
「このお店はあなたにとって何なのかしら?」
マスターは少しだけ考える。
そして、
「私の墓。…でしょうか」
「お墓?」
「ええ、私が生きてきた証を全て詰め込んだ、墓です」
マスターはそれだけ言うと、また、黙ってしまう。
「じゃあ、ここがお墓ならば、墓標にはお花を飾りましょう」
「花、ですか」
「ここで生き、ここで死ぬのならば、なおさら」
マスターは困ったように微笑む。
苦笑いに近いらしいが、うまく言葉も表情もどうしていいかわからないようだ。
花術師は飲み物を口にする。
ストローから、そっと一口。
「おいしい」
「ありがとうございます」
「生きている味がするのね」
マスターがまた困った顔をすると、
「あなたは生きている。墓の中でも。思い出の中ででも」
「そう、でしょうか」
「墓といいながら、これほど生きることを求めているのは、花と同じくらいだと思うの」
「花と」
「ええ」
花術師は、小さな花を一輪咲かせる。
それは、墓に飾るには小さく、ひかえめで、
それでも生きることを何よりも強く求めている。
墓標に花を。
生きることにも花を。