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第511話 音声

夜羽は相変わらず歌声を頼りに歩いている。

どこまで歩けばあなたに、歌姫に会えるのか。

問いかけてもしょうがないことを、妄想屋の夜羽はよくわかっている。

ただ、歌姫を求めて歩くだけ。

彼女の声がどうして夜羽に届くのか。

疑問に持つだけ愚かなのかもしれないし、

または、夜羽の抱いた妄想かもしれない。

それでも、妄想にしては、歌姫の歌はすばらしいし、

こんなすばらしいものが、

夜羽の内側から生まれて、夜羽を感動させるのもおかしい。

だから、この歌は外部からのもので、どこかに歌姫がいるはず。

夜羽が歌姫を探し歩くのは、その程度の理由だ。


夜羽は夕焼けの線路を歩く。

周辺は何かの畑らしい。

そして、線路は、しばらく使われていないかのように、

草がぴょんぴょん飛びだしている。

夕焼けの中、線路に夜羽の影が伸びる。

風がさわさわなる中、夜羽は一人で線路の上を歩いている。

誰もいない。

耳に歌姫の歌が微かにあるばかり。


「きこえますか」


不意に、歌が止まり、

歌姫のものらしい、言葉が届いた。


「私はここにいます。あなたは、聞こえますか、届いていますか」


夜羽は線路の中で立ち止まった。

答えを用意していなかった。

歌姫はしばらくの沈黙のあと、

また、歌を歌い始めた。


どう答えれば歌姫に届くだろう。

歌姫の歌はすばらしいと、この耳に届いていると、

そういった言葉を、まだ見ぬ歌姫にどう届けたらいいだろう。

夜羽はしばらく線路の上でぼんやりする。

そしてまた、歩き出す。


歌の響くほうに向かって。

微かな歌が指し示すほうに向かって。

歌姫は存在する。

夜羽は確信らしいものを持つ。

たとえ妄想であったとしても、それを頼りに人は生きるものだ。

そして、妄想でないのならば、

なおさら人を求めて人は生きるものだ。

夜羽はそんなことを、ちらと思ったけれど、

しばらく歩いているうちに、風がさらって、哲学なんて消えてしまうかもしれない。

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