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第516話 溺死

これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。

どこかの扉の向こうの世界の物語。


オフィスは静かに。

司書の主義が分裂して戦っているのが嘘のように静かに。

菓子をつまむ音と、茶のよい香り。

外の天気は雨であるらしい。

ならば通称・雨の彼女達も動くのではないか。

ベータという司書はそんなことを言っていた。


羅刹は菓子を口にしながら考える。

雨が運ぶ本に魅入られたから、

情報を滲ませる存在となった、通称・雨。

羅刹自身は、情報がとても大切だとはあまり思っていない。

消えるならしょうがないとすら思っている節もある。

それでも、情報が全て消えてしまっては、

それはそれで意味がなくなるものがある。

物語というものがそれだと思うし、

洗い屋は時々物語を読んでいる。

羅刹の行動基準はそんなところだ。


たとえば、屋外の貼紙が風雨にさらされ意味をなくすように、

雨で滲む情報は儚いものかもしれない。

それでもまた貼紙は貼られるのだろうし、

主義主張は消えないものであるかもしれない。

情報は新しいものに更新される。

けれど、古いものが全て滲んでよしとはいえない。

図書館は古い情報も新しい情報も、

ひとつにまとめて解放する場だと羅刹は記憶している。

通称・雨は、決して情報の規制をしようとしているのではないだろうが、

情報を溺死させようとしているように羅刹は思う。


「アルファさん」

羅刹は声をかける。

「なに?」

「あとでおすすめの本を教えてください」

「どんな人が読むの? あなた?」

「いえ…姉、のような人です」

「女性ね、わかった」

アルファは微笑む。

「司書らしい仕事が出来るって、嬉しいわね」

茶を飲み終えたベータが、武器の手入れを始める。

「ぼちぼち準備しよう。本と俺達が生き残らないといけない」

「そうね、本を守り、自分を守り。言葉を残すのが役目だから」


言葉を残す。

羅刹は何を残せるだろうか。

少し考えた程度では答えは出ない。

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