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第520話 紺碧

これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。

どこかの扉の向こうの世界の物語。


ウツロは狼珈琲屋の席に腰掛け、

きょろきょろとあたりを見ている。

先ほどから家具屋入道と、店主のオオカミ青年は、

家具を動かしてあちこち力仕事だ。

ウツロの前には、水を飲み干したコップがひとつ。

ウツロは首をかしげて考える。

こんな風に、自分の中は空っぽなんだろうか。

何もかもが訳わかんなくて、

どこに行けばいいか、何をすればいいかがわからない。

コップをじっと見る。

じっと見ていても、水が満ちることはない。


「やぁ」

不意に、声。

「オオカミさんダメじゃない、水あげただけでほっといてさ」

少し高い声の主は、

ウツロの後ろからオオカミに向けて何か言っている。

「悪い、ウサギ、家具をちょっといじってたんだ」

オオカミが家具を移動し終えたらしく、カウンターに戻ってくる。

家具屋入道ものっしのっしとやってくる。

ウツロはようやく、ウサギと呼ばれた後ろの声の主を見た。

短い金髪に、赤いチョッキ。

頭にはウサギ耳をつけた青年だ。

「このお客さんは、どんなお客さん?」

ウサギが訊ねる。

「どうも、ウツロって言うらしくってな」

「ウツロさんなんだ」

ウツロはうなずく。

「それで、珈琲のトリップは危険と判断して、ウサギを待ってた次第だ」

「ふむ」

ウサギ青年はうなずくと、

「それじゃ、紺碧の空のお茶でもどうかな。今の持ち合わせだけど」

ウツロは訳がわからないなりにうなずく。

ウツロの中に何かが満ちるならば、

紺碧の空はいいような気がした。


オオカミが器具を準備する。

ウサギは茶の葉を準備する。

「紺碧の空の下、何もかもが自由だよ」

ウサギが茶の葉を開きながら呪文か何かのように。

「全てはあるべきところに落ちていく。僕らは空の底にいる深空魚かもしれない」

空の下の自由。

ウツロはそれを思い出そうとしたけれど、

ウツロの中にはまだ何もない。

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