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第537話 住人

これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。

どこかの扉の向こうの世界の物語。


探偵はツヅリ少年に話を聞かせる。

それは斜陽街の話。

扉の向こうに広がる、奇妙で優しく少し寂れた町。

妄想屋がいて、バーがあって、

そこに訪れる客が妄想を話して。

それを聞いていた酒屋の主人が奇妙な関西弁で時々茶々を入れて。

探偵はあえて、自分の話にブレーキをかけない。

広がり続ける斜陽街の話。

ツヅリ少年は目を輝かせている。

いる、だけの部屋。

そこの床に二人は座って、

いる、以上の意味を見出さんとしている。


斜陽街の話は、どんどん広がっていく。

斜陽街の住人の誰かから伝え聞いた、

よその町の話も加える。

海だっただろうか。

町だっただろうか。

扉の向こうのどこか。

どこかに、その話はあった。


探偵は奇妙な感覚を得る。

それは、この部屋が色彩を持った感覚。

ここにいる。それ以上の意味を持ったんだと、

探偵はなんとなく思う。

この場所に、ツヅリ少年にも。

依頼を貼紙にして、誰かが来るのを待っている以上の意味を得られたと、

探偵は感覚で理解する。


「それで、だ」

探偵は、ちょっと話を区切る。

「この町を出る選択肢は、ないんだな」

疑問ですらない探偵の言葉に、ツヅリ少年はうなずいた。

「あなたは、もう、気がついていると思うのですけど」

ツヅリ少年はぽつぽつ話す。

「ここは、ある本の中の世界です。物語の世界です」

「だろうな」

「僕たちは物語の中に出てくる、いるだけの存在に過ぎません」

「貼紙街に、いる、だけのだな」

ツヅリ少年はうなずく。

「僕も…物語が欲しかった。記憶が存在が欲しかった」

探偵はうなずく。


ここは物語の中の町。

探偵はそのことを以前からずっと知っていた気がする。

もしかしたら探偵自身が、

物語の住人なのかもしれない。

それならそれでいいさ。

探偵は、そういうことにはこだわらない。

これが物語ならば、探偵はこの物語が好きだ。

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