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第538話 蝉

これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。

どこかの扉の向こうの世界の物語。


蝉が鳴いている。

高らかと言うのは違う。

ここにいると、呼び合っているのだろうかとアキは思う。

ここにいるよここにいるよ。

ここに命があって、ここにいたことを覚えていてと。

アキは、そんな風に感じた。

なぜかは、わからない。


田舎の夏の日差しは高く強く。

蝉はそこかしこで鳴いている。

アキは麦藁帽子をかぶる。

暑さが和らぐわけではない。


今日もアキはナツに会いにきた。

なぜ毎日のようにナツに会いにいくのか。

アキはうまく言葉に出来ないけれど、

ナツが遠くになるのが嫌だと、

そう答えるかもしれない。

問われていないので、アキはその答えを言わない。

アキ自身、その答えにたどりついていない。


「ナツ!」

アキはナツを呼ぶ。

ナツは、縁側でぼんやりしていたけれど、

アキを見て、微笑んだ。

「いらっしゃい」

ナツの笑みは、夏の日差しのように静かで、

なぜだろう、少し悲しい。

アキはそれを感じたけれど、

何で微笑が悲しいのか、それを説明することができない。

疑問はあるのだけれど、

追求をしたら、何かが終わってしまうような気がした。


ほんのちょっとの沈黙。

蝉がそこかしこで鳴いている。

ナツはトレードマークの狐の面を頭の後ろにかけて、

「今日は何しようか?」

と、いつものように。

「ナツ」

「うん?」

「ナツは、ずっと、いるよね?」

ナツの顔がちょっとだけこわばる。

そのあと、いつもの微笑みに、少しだけわざとらしく首をかしげて、

「ずっとがいつまでかは、わからないな」

と、答える。


アキもわかっている答えでしかなかった。

でも、アキは「ずっと」が欲しかった。

蝉が鳴いている。

この命はここにあると、大声で歌うように。


ねぇ、ナツはずっといるよね?

アキは、もう一度、口に出さずに問いかける。

ナツは沈黙を軽くして、いつものように微笑む。

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