斜陽街一番街。熱屋と病気屋の店が隣り合っている。
熱屋は何か過去にあったらしく、
それ以来、人から熱を取り出すことができるようになったと言う。
中途半端な年齢あたりで時を止めた、
少女とも女とも、言いがたい彼女だ。
隣の病気屋は、病気を売ることを職業にしている。
病気を解析し、必要な人に病気を売る。
暇があれば熊みたいな大柄な病気屋は、
身体を丸めるようにして、ずっと研究にかかりきりになっている。
過去に何かあって、病気をずっと調べるようになったらしい。
何か、彼でもわからない病気があるのかもしれない。
彼らは隣り合って、寄り添うように。
時を止めた熱屋と、熊のような病気屋は、
過剰に求め合うこともなく、
離れるわけでなく。
幼馴染がそうであるように、
恋人と言うものが考えられない純粋さで。
背中を預ける関係でなく、
抱擁の関係ともまた違う。
肉体の時間は変わってしまったけれど、
彼らは同じ時間の上で、隣り合っていろんなものを見ている。
ともすれば少しばかり感情の足りなくなりがちの、
熱屋の微笑を、病気屋はつらいと思い。
研究に打ち込みすぎになりがちの病気屋を、
熱屋はどうにかできないだろうかと思う。
彼らは思いあっている。
けれどそこに、多分愛はあっても恋は少し違う。
そして、彼らはどちらの意味もわかってはいない。
たまに、彼らはあたたかい飲み物なんかを飲んで、
疲れを癒して微笑みあう。
そこにうつろな笑みがないことを、
病気屋は気がついていないかもしれない。
病気屋は病を売っているかもしれないけれど、
非売品で癒しもあることを、彼は気がついていない。
そして、その癒しが、隣の熱屋にちゃんと卸されていることも、
彼らはぜんぜん気がついていない。
彼らは少し歪んだ時間を持っているかもしれない。
けれど、彼らはがんばって互いのためにならんとして、
そして、それは互いのためにちゃんとまわっていて、
ある意味とても幸福なのだけど、
彼らはとても不器用で、気がついていない。
今日も彼らは、互いの幸せを求めてみる。
そばにいるだけで幸せだと、気がつくのはいつだろうか。