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第546話 溶解

これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。

どこかの扉の向こうの世界の物語。


通称・雨は走る。滑るように、足音もなく。

本当にこいつは元司書だったのか、

羅刹は思うけれど、とにかく追う。

一冊の本、雨が運んだという本を求める彼女。

通称・雨は、図書館の中を走る。

羅刹の足音が響く。遠くで司書たちの戦いの音が聞こえる。


雨が運んでくる本とは何だ。

羅刹は追いながら思う。

それは、司書たちを戦わせるほどすごいものなのか。

それは、図書館を襲うほどのものなのか。

それは、他のどんな言葉を滲ませてでも手に入れたいものなのか。

羅刹はとにかく、物語を滲ませるのだけは嫌だと思った。

言葉の向こうには、受け手がいる。

言葉は、誰かに届かせなくてはいけない。

だから、言葉を滲ませてはいけない。

羅刹なりに考えた。

物語は、雨で滲むことがあってはいけない。

人懐っこいあの人が残念がるから。


かなり奥まで彼らは走る。

通称・雨は息も乱さず化け物じみた速度ですべる。

どこまでこの図書館は広がっているのか。

まるで迷宮だと羅刹は思う。

本の迷宮。

この中から、一冊だけ、通称・雨の求める本があると言う。

「もしかして、わかるのか?」

羅刹はつぶやく。

おかしくはないと思うが、それがまたおかしいのかもしれない。


戦いの音が聞こえなくなるほど図書館の奥。

通称・雨は立ち止まった。

「これが…雨の本」

羅刹は追いかけ、ボウガンを構える。

ボウガンを撃つより早く、変化は訪れる。

「あめの、あめの」

通称・雨は本を手にとる。

おそらく、彼女の感覚が感じるところの雨の本を。

ただ、本が触れたところから、

燃えるように液体になって溶けていく。

「雨が運んできた本…読みたい、読ませて…」

彼女は溶ける。

羅刹はボウガンをおろす。

羅刹なりに理解する。

彼女は本に拒絶されたのだ。


通称・雨の彼女は、溶解して消えた。

「さて」

羅刹はきびすを返す。

雨はやむだろうか。

争いは終わるだろうか。

終わらないことはないと、今は思える気がした。

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