これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。
どこかの扉の向こうの世界の物語。
通称・雨は走る。滑るように、足音もなく。
本当にこいつは元司書だったのか、
羅刹は思うけれど、とにかく追う。
一冊の本、雨が運んだという本を求める彼女。
通称・雨は、図書館の中を走る。
羅刹の足音が響く。遠くで司書たちの戦いの音が聞こえる。
雨が運んでくる本とは何だ。
羅刹は追いながら思う。
それは、司書たちを戦わせるほどすごいものなのか。
それは、図書館を襲うほどのものなのか。
それは、他のどんな言葉を滲ませてでも手に入れたいものなのか。
羅刹はとにかく、物語を滲ませるのだけは嫌だと思った。
言葉の向こうには、受け手がいる。
言葉は、誰かに届かせなくてはいけない。
だから、言葉を滲ませてはいけない。
羅刹なりに考えた。
物語は、雨で滲むことがあってはいけない。
人懐っこいあの人が残念がるから。
かなり奥まで彼らは走る。
通称・雨は息も乱さず化け物じみた速度ですべる。
どこまでこの図書館は広がっているのか。
まるで迷宮だと羅刹は思う。
本の迷宮。
この中から、一冊だけ、通称・雨の求める本があると言う。
「もしかして、わかるのか?」
羅刹はつぶやく。
おかしくはないと思うが、それがまたおかしいのかもしれない。
戦いの音が聞こえなくなるほど図書館の奥。
通称・雨は立ち止まった。
「これが…雨の本」
羅刹は追いかけ、ボウガンを構える。
ボウガンを撃つより早く、変化は訪れる。
「あめの、あめの」
通称・雨は本を手にとる。
おそらく、彼女の感覚が感じるところの雨の本を。
ただ、本が触れたところから、
燃えるように液体になって溶けていく。
「雨が運んできた本…読みたい、読ませて…」
彼女は溶ける。
羅刹はボウガンをおろす。
羅刹なりに理解する。
彼女は本に拒絶されたのだ。
通称・雨の彼女は、溶解して消えた。
「さて」
羅刹はきびすを返す。
雨はやむだろうか。
争いは終わるだろうか。
終わらないことはないと、今は思える気がした。