これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。
どこかの扉の向こうの世界の物語。
迷路のような貼紙街。
そこは物語の中の世界だという。
ツヅリ少年は物語の中に、
いる、だけの存在でしかなく、
彼には物語が存在しない。
探偵は思う。
貼紙街には、そんな人が山ほどいるのだろう。
たとえば、物語の言葉で、
貼紙街にはそんな人がたくさんいるのです、と、書かれれば、
たくさんの、いる、だけの存在が生み出される。
ツヅリ少年のような、いる、だけの。
物語が悪だとは探偵も思わない。
ただ、不思議だなとはちょっと思った。
過去もなく突然いる存在の、貼紙街の彼ら。
彼らは、望みがかなう町といわれて、貼紙街に流れ着いたと言う、
そんな大まかなものがあったはずだけど、
それすら物語の上でしかないのだろうか。
そもそも、貼紙街物語とツヅリ少年が、
微妙に離れているのはなぜだろうか。
「僕は」
ツヅリ少年が話す。
「少しの物語をすすって、名前を得ました。ツヅリ、と」
「すすったのか」
「ある日、風にのってこの部屋にやってきた、一枚の紙」
「それが物語か」
ツヅリ少年はうなずく。
「はい、僕はその物語を、雨水をすするように読みました」
ツヅリ少年はため息をひとつ。
雨の設定のない貼紙街に、
雨のような物語ひとつ。
ツヅリ少年はそれをすすって、
少し異質なものになってしまった。
探偵は、だから、ツヅリ少年の依頼を、
引き受けようと思ったのかもしれない。
「雨のような物語は、どうだった?」
「僕の中を滲ませて、新しいものが入るようでした」
ツヅリ少年はそういったあと、
「でも、苦しみも生まれました」
「そうか」
「物語にそわないものは、溶けてしまう運命だと、知ってしまったんです」
「雨をすすったからか」
「はい」
ツヅリ少年は涙を流す。
「僕は待つだけ。いるだけ。それを越えてしまうと、いなくなってしまうんです」
探偵は思う。
この部屋にいるのが最後の砦なのかもしれない。
ツヅリ少年はここから出たら、物語から消える。
それはどういう心持だろうか。