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第38話 ご主人様の向き合う気持ち

【院瀬見司 視点】


「……俺さ~、近衛さんに告ろうかな」


 カラオケボックスを出てすぐのことだ。

 結香と東山が一度お手洗いに離脱したとき、俊也が唐突にそんな呟きを溢した。


 二人を待っている間、適当にスマホを操作していた俺は、最初俊也の吐き出した言葉の意味がわからず、呆然として手を止めてしまっていた。


 少しの間をおいて、ようやく俺の口から漏れ出たのは間抜けな声だった。


「え……?」


 一瞬ではあるが、間違いなく学校で見せている王子の仮面は剥がれてしまっていただろう。


 動揺は胸の奥に力尽くで押し込み、丸く見広げていた目を閉じ、呆然とさせていた表情を冷静な笑みに作り直す。


「えっと、俊也が近衛さんに……?」

「そうそう」


 心のどこかで聞き間違いを願いながら再確認してみたが、祈りは虚しく、俊也はいつもどこかおどけたような表情を真剣なものに変えて、二度大きく首を縦に振った。


「俺さ、今まで恋愛とか興味なかったんだよな」


 俺の方を向いていた俊也は、その視線を遠くから深い紺碧が追い掛けてくる空へと投じる。


「正直恋愛なんかしなくったって、彼女なんか作らなくたって、仲良い奴らと楽しくやれてればそれで充分だな~って思ってた」


 そんな話を聞きながら、俺はこれまで俊也が学校で見せてきた様子を思い返していた。


 確かに俊也はいつも楽しそうだった。


 よく一緒に過ごしているグループにいる女子三人は客観的に見て整った容姿をしていると思うし、洒落っ気もある。


 しかし、俊也はそんな彼女達を異性として意識している様子を見せたことはなく、向ける好意はいつも純粋な友情や仲間意識から来るものだった。


 馬鹿なことを言ってツッコミを受けたり。

 しょうもない話に全力で笑えたり。


 一言で言えば、俊也はムードメーカー的存在だ。


 そう考えてみると、確かに俊也は色恋とは無縁だったと言える。


 しかし、今――――


「でもさ、一回『あの子良いな』って思ったらそこからは早くてさ。見てるうちにどんどん魅力的なところが増えていって、このまま眺めてるだけでもいいやって思っちゃうときもあるけど、もし他の誰かに取られたらって想像すると、やっぱり納得出来なくて……」


 もう十一月も下旬。

 とうに冬の寒さは訪れており、日が沈んだこの時間帯は上着を着込んでいても体温が奪われていく。


 語る俊也の口からは、ふぅっと白い息が吐き出されていた。


 熱い息ほど、白く煙る。


「だから、俺、告るよ。近衛さんに」


 それが、俊也が後悔しない選択か。

 冗談でそんなことを言っているわけでないことは、真っ直ぐ向けられるその目を見れば明らかだった。


「……まぁ、良いんじゃないか?」


 思うところはある。

 それでも、俺は一友人として素直な感想を言った。


 しかし、同時に気になることがあった。


 それは――――


「でも、どうしてそれを俺に?」


 そう。

 俊也がその胸の内に燻ぶった感情を、最初に俺に明かした理由だ。


 もちろん友達として報告しておきたい、覚悟を示しておきたいという思いもあるのだろう。


 しかし、それだけが理由には思えなかった。


 俺の疑問を受けて、俊也は「ん~」と少し困ったように頬を指で掻く。


「俺の勘違いだったら恥ずかしいんだけどさぁ……」


 俊也が曖昧な笑みを浮かべて言ってきた。


「司も好きなんじゃないかと思ってさ。近衛さんのこと」

「……っ!?」


 ドキッ、と心臓が確かに跳ねた。

 冷たい外気を短く吸い込んでしまう。


 今俺はどんな顔をしているのだろうか。

 取り繕った王子の仮面が無残に取り外されているのだろうということしかわからない。


「どうして、そう思ったんだ……?」


 ここで否定しない時点で、自分でもほとんどその通りだと白状していることになるのだろうとわかってはいたが、聞き返さずにはいられなかった。


「どうしてって聞かれてもムズイんだけどなぁ~?」

「…………」

「近衛さんのこと気になり始めて見てるうちに、近衛さんが周りに向ける視線とか、逆に周りが近衛さんに向ける視線とかに気付くようになって」


 そしたら――と、俊也はどこか意地悪くからかうように笑いながら、俺に人差し指を向けてきた。


「確かにお前っていっつもニコニコしてるけど、近衛さんを見るときだけは、本当に心の底から楽しそうに笑ってるような気がしたんだよ」


 凄いなコイツ、と素直に俺は感嘆した。

 そして、同時に戦慄した。


 小学校から中学、高校と現在に至るまで、俺と結香の関係性が疑われたことはなかった。


 俺はご主人様で、結香は世話係。

 そんな主従の関係性が存在することが露見しないように、俺も結香も演じられていたはずだ。


 不自然なまでにまったく目を合わせない、話さない、関わらないわけでもなく。


 特別仲の良い友達のように行動を共にしたり、談笑したりするわけでもなく。


 あくまで同じ学校の。

 もしかしたら互いの存在を認知くらいはしているかもしれない。

 友達と呼ぶには関係性の進展が足りない、知人程度の絶妙な演技。


 しかし、これが人を想う力と言う奴なのだろうか。


 そんな俺達の完璧だと思われていた演技のほんのごく僅かな粗を、俊也は見付けてしまったのだ。


 ふとした瞬間に向ける視線に籠る熱量の違い。

 浮かべる笑みの質感の差異。


 演技では隠し切れない、胸の奥から滲み出る想い。


 そんなものを看破されては、もう参ったという他なかった。


「俺自身も何でそう思うのかわかんないだけどな? 何となく……と言うしかないけど、そう思わずにはいられないんだよ」

「そっか……」


 俺はもう諦めたように乾いた笑いを溢した。


 ここまで見破られているんだ。

 俊也の中でも、理由は伴わないまでも確信めいた何かがあるのだろう。


 今更俺の想いを否定したところで手遅れだ。


 肩を竦める俺の前で、俊也が改めて真剣な表情を見せてきた。


「だから、司には言っとこうと思ってな。友達だからさ」

「あぁ」

「なぁ……俺の恋、応援してくれるか?」


 ニヤ、と俊也が試すような笑みを向けてくる。

 俺はそんな質問に、一呼吸の間をおいて答えた。


 同じく、ニヤリと口角を持ち上げて。


「……いや、無理かな」


 俺達の間に、ぎくしゃくした空気感はない。


 あるのはただ、正々堂々と、どちらの想いが通じるかを競い合おうという清々しさだった――――

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