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第54話

 俺は高校を卒業したら速攻で家から脱出したくて、士官大学校に入学した。

 全寮制で学費タダのうえに給料が出るからだ。

 そこで士官になるための勉強ってか訓練の日々。

 異世界の記憶については中2のよくある妄想としてはっきりと見切りをつけ、いつしか現実を受け入れるようになった。

 大学を卒業し、士官として軍に入り、アラサーを通り越してアラフォーに片足を突っ込もうという頃だった。

 『異世界大辞典』丸パクリの小説があることを知った。

 それはネット小説サイトに掲載されていた、『異世界大辞典〜異世界転生したけど働きたくない!最強魔法をチートで極めて楽してハーレム&無双するための生存戦略〜』という作品だった。

 異世界転生の話なんて空気中のPM2.5くらいネットに漂っている。

 サイコロ10個振って全部6が出るようなそれこそ6の10乗分の1の確率でも試行回数∞によって無限に同じ設定が存在するほど〝設定がかぶる〟なんてことは確定的に明らかなのだ。

 さすがにただの偶然だろうと思って本文を読み始めると、まんま『異世界大辞典』だった。

 偶然だろう。

 てか働け。

 楽して魔法を極める方法なんてないんだよ。

 チート? ハーレム?

 そんなもんがあるなら俺は前世でもっといい思いしてるよ……。

 読めば読むほど、ディテールはともかく異世界の出来事や魔法に関する設定のことごとくが『異世界大辞典』に俺が書いた内容と一致している。

 最後まで読んでしまった。

 これは、『異世界大辞典』を拾った誰かが書いたのだ。

 ところどころ作者が勝手に設定を補完したと思われる部分もあったが、だいたいは俺が書いた通りだった。

 未完なところも同じだ。

 俺が書くのをやめたあたりで、このウェブ小説もエタっている。

 読者からコメントが付いていた。


 『続きは?』


 たぶん、ない。

 俺が書いてないからだ。

 というより俺にも書けない。

 魔法戦争の最中に死んだから、その先どうなったか俺は知らない。

 作者は何者なのだろうか。

 普通に考えれば十代の俺がボヤ騒ぎを起こしたあの日あの時あの場所に行った何者か、だ。

 焼け残った消化剤まみれの『異世界大辞典』を拾い、読んだのだ。

 うわああああああああああああ。

 悶える。

 恥ずかしすぎて悶える。

 当時の記憶がよみがえってきて悶える。

 外部からは俺の中二病の症状に見えるだろう〝ぼくのかんがえた異世界〟を書き綴った分厚いバインダーノートが、誰かに読まれている。

 それどころかネットで全世界に公開処刑だと。

 作者ただではおかんぞ……。

 ……と、ここまで考えたところで、俺は別の可能性に気づいた。


 ——これを書いた作者は、俺なのではないか?


 俺が死に、転生してまたこの時代のこの世界に生まれ変わり、時間の矛盾はともかくなんらかのかたちで同時代に存在したもうひとりの俺——が前々世の異世界の記憶を辿って書き綴った——それこそがこの小説『異世界大辞典〜異世界転生したけど働きたくない!最強魔法をチートで極めて楽してハーレム&無双するための生存戦略〜』なのではないだろうか……!

 だとすると、これは俺に対するメッセージでもある。

 タイトルを変えなかったのがその証拠だ。

 まあ余計なサブタイがくっついてるのはいいとして……。

 作者にメッセージを送った。

 小説サイトでは作者に直接非公開のメッセージを送れない仕様だったので、SNSのダイレクトメッセージを使った。


 『お前は誰だ? 異世界大辞典をどこで手に入れた?』


 パクった人間ならこれだけでわかるだろう。

 もしも転生した俺なら、もっとわかるだろう。

 名乗り出なかったときの次弾は用意していたがそれは必要なかった。

 作者から返事があったのだ。

 会話を文字の形で残したくなかったので、直接ハナシをしたいと持ちかけたら相手は応じた。

 静岡県浜松市在住だとか言うので非番の日に申請を出して行った。

 浜松駅のカフェで待ち合わせした。

 作者は転生した俺とかそういう面白い話ではなくて、五十過ぎの小説家志望を拗らせた限界中年だった。

 田村と名乗ったその男は、


「すいません、すいません、すいません……」


 会うなり何度も頭を下げて詫びの言葉を連発した。

 聞いてもないのにいかに自分が不幸で恵まれなくて金がないかという話をし始めたので、


「違うんですよ」


 金でも取られると思ったのだろう、そんなつもりはないとわかると、やっと落ち着いた。

 彼はペラっペラの布バッグから、懐かしいバインダーを取り出した。

 縁が少し焦げているが、中の紙はまるまる残っていた。

 懐かしさと気恥ずかしさにまみれた、幼少期から書き綴った俺のライフワークともいえる手書きの大長編だった。

 彼は『異世界大辞典』がいかに素晴らしいか、有名なファンタジー小説を例に持ち出し、それに匹敵する大叙事詩だとか延々と持ち上げた。


「設定に矛盾がない、とくに言葉の設定がすごい」


 異世界にも言葉があり、文字がある。

 その文字は当然キーボードでは入力できないので手書きだ。

 記憶にある限りの地名や人名を日本語の音韻に変換してカタカナでフリガナを振っていた。


「どうして急に終わってるんですか? 魔法戦争の途中で」


 死んだから、とも言えず、


「興味がなくなったんですよ」


 と答えるしかなかった。


「もったいない、こんなにすごいのに。続きはないんですか? 続きがあれば——」


 興奮気味に言いかけて、さすがに気づいたのだろう、彼はそのまま口をつぐんだ。

 こいつ、続きがあったら書く気なのかよ……。


「続きはありません。それに、全然すごくなんかないです。実際、田村さんの小説は、さほど人気もなく埋もれてるじゃないですか」


 少々嫌味を言った。


「それは、運がないからですよ。ちゃんと評価されれば……」


 以下、ネット小説の現状に対する不平不満が続く。

 俺は辟易して、一刻も早くこの会談を打ち切ろうと思った。


「これは、差し上げます」


 『異世界大辞典』のことだ。


「いいんですか?」

「別に。私が持っていても仕方ないし。田村さんのほうが、このフィクションを有効に使ってくれそうだから」


 田村は、頭を下げた。


「続きはご自身で、自由に書いてください。楽しみにしてます」


 俺は席を立った。

 なぜこのとき『異世界大辞典』を回収しなかったのか。

 あとから死ぬほど後悔した。

 その時は、自分の黒歴史を自らの手で封印するべく『異世界大辞典』を取り戻しておけばよかった、という後悔。

 今では、別の意味で後悔している。

 手元に残しておくべきだった。

 『異世界大辞典』には、俺が異世界で知り得た魔法に関するほとんどすべてと言っていいほどの長大な記述が、日本語で書かれていた。

 魔法を発動させるための呪文や予備動作、制御法などが、実に子細に。

 そして呪文は、異世界の言葉で書いた。

 今はもう、ほとんど思い出せない。

 記憶は古くなれば次第に色褪せ、印象も薄くなる。

 反芻すれば色落ちを防げるが、新たに書き換えや加筆が加わり当てにならないものになっていく。

 やはり、書いたものにはかなわない。

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