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第64話

 偵察に行ったトカゲたちが続々と、地下ダンジョンの出入り口付近で人間を発見した、と告げた。


「ボス! あっちの出入り口にも人間が!」

「ボス! こっちも人間が何人もうろついてます!」

「ボス! 残る出入り口は1カ所、逃げるならそこしかないですが、人間が来るのが見えたのですでにもう……」


 どうやら人間の山本アキヲ隊長は、ドラゴン殲滅作戦の実施に踏み切ったようだ。


 ——思ったより全然早かったな……。


 さすが俺、仕事が早い。


「ムラサキ、きみは逃げるんだ」

「あたしが? 逃げる? どこに?」

「どこでもいい、このダンジョンから出て、好きなところへ行け」

「マミイは?」

「俺は、ここから出るのは、もう難しいだろう」

「じゃあイヤ! 一緒にいる!」


 俺はムラサキの正面に立ち、羽を支えるようにして両手を添えた。


「ムラサキ、きみは人間にとって敵じゃない。だから射たれることはない。ここから逃げて、そして……もし転生することがあったら、人間も、ここの生き物たちも、みんなが死なない方法を探してくれ」

「マミイ! あたしはここを動かんぞ! 一歩も!」

「ムラサキ、聞き分けてくれ。ここはもうじき、焼かれる」

「焼かれる……!?」

「たぶん、ものすごい量の火が流れてきて、地下全体を炎が埋め尽くす。結構長い時間、じっくり焼きに来る。俺たちはこんがりだ。仮に炎から逃れられたとしても、息ができなくなって死ぬ」


 ムラサキはその光景を思い浮かべたのか、細かく震えだした。


「でっ、でも、あたしはマミイと一緒にいるぞ! マミイを置いてあたしだけ逃げるなんて、できるわけないじゃん!」

「ムラサキ……」


 胸のアーデンが鼻で笑った。


「なにを笑う妹! 食っちまうぞ! 妹でも容赦なくな!」


 ムラサキがムキになって羽をばたつかせた。


「人間がそんなに怖いのか? ウィルゥダ」

「そりゃ怖いさ。この世界の兵器はガチだぞ」

「わたしの弟子だったお前が、なにゆえ人間なんぞを恐れるか。そこらの火の魔法など、水の魔法で簡単に打ち消せるではないか」

「アーデン、ここはな。この世界には……」

「なんなら、この水たまりを通って逃げたっていい」

「この下のトンネルは全部水没していて、とても空気を吸う生き物には——」


 彼女にはまだわかってないみたいだった。

 この世界に転生したということが、どういうことなのか。


「潜ればいいんだろう? 簡単じゃないか」


 彼女は、短い呪文を唱えた。

 それはごく初歩的な、風(空気)を使った魔法だ。

 身体の周囲を空気の膜で覆い、水中に入っても一定の時間、呼吸ができるというものだ。

 アーデンが呪文を唱えるときに少しだけ垣間見せる得意ドヤ顔は、ドラゴンになっても変わらなかった。

 しかし……。


「ん……? あ……? え……? は……?」


 戸惑うのも無理はない。

 アーデンは、「魔法とは、魔法の神様との会話なのだ」と言った。

 ここに神はいないのだ。


「アーデン。残念だが……この世界に、魔法は存在しない」

「ん? 存在し、ないとは?」

「使えないんだ」

「なにが」

「魔法が」

「ちょっと何言ってるかわかんない」


 ああぁ——、俺も最初こんな感じだったなあ……。

 あっちの世界では、いつも自分の周りに魔素マナがあった。

 そこら中にマナを感じることができた。

 空気中のマナだけで、小さな魔法なら発動したのだ。

 例えばたったいまアーデンが唱えた風属性の魔法は、空気を集めて境界をつくるだけの簡単なものだ。

 魔法石の埋め込まれた杖などを使わなくとも、魔法使いならどこででも発動できた。

 でもそれはあくまで、空気中にマナがあれば、の話なのだ。


「アーデン。この世界の空気にはマナがない」

「マナがないことなどあるものか」

「ないんだよ。本当に」

「……ほんとう、なのか?」

「ああ……」


 魔法が使えないというのは魔法使いにとって両手を、いや、両手両足を千切られた上に藁で作った手足を括り付けられたようなものだ。

 それを知ったときの俺の、人間山本アキヲの絶望を思い出す。


「馬鹿な……」


 アーデンは笑っていた。

 ドラゴンの表情は動かないようにみえるが、俺にはわかる。


「ウィルゥダ、お前、そんなだから魔法使いとして超一流になれなかったんだぞ」


 痛い。

 アーデンに言われると心が抉られ。

 こんなときでも彼女の顔は余裕に満ちている。

 しかし、俺が二流であることはいいとしても——。


「え……それどういう意味なのアーデン」

「息を吸ってみろ」

「いき……?」


 息なら吸ってる。

 毎秒毎秒、呼吸を繰り返して俺たちは生きている。


「そうじゃない。空気を、こう、すーっ、とだよ」


 アーデンは全身を肺にしたみたいに、ゆっくり、大きく深呼吸した。

 俺もそれを真似て、深呼吸してみる。

 すぅぅぅぅぅぅぅ————っ。

 はぁぁぁぁぁぁぁ————っ。

 ……いつもの呼吸じゃないか。


「これが……なにか」

「わからないか」

「ごめん。俺にはなにも」

「異世界暮らしが長くてボケたのか。それとも、長い間魔法を使わんくてすっかり忘れちゃったのか」


 アーデンは、魔法に限ってはいつも正しかった。

 常に彼女の言うとおりになった。

 それ以外はめちゃくちゃだったが……。


「マナは、あるぞ」

「どこに……?」

「そこらじゅうにだ」

「そこらじゅうに……?」


 俺はアーデンのようにはなれなかったが、それでも多くの魔法使いの上回る実力を身につけていたと思う。

 その俺がどんなに頑張っても、魔法は1ミリも発動しなかったのだ。

 この世界にマナは、ない。

 ないはず、だ……。

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