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第53話

厨房からはすでにいい香りが漂っていた。

そうか、マリアさんが、と思って中を覗くと知らない男性が立っている。

その横にマリアさんもいた。


「えっと、マリアさん?」

「あら、奥様!」

「こちらの方は?」

「結婚式の料理を一緒に作ってくださる、料理人のケンジーさんですよ」


ちょっとふっくらしたお腹に、白いエプロン。

コックの姿をしたオジサマ風の人。

彼は私を見ると深く頭を下げた。


「奥様、この度はおめでとうございます」

「あ、ありがとう……」

「結婚式の料理をお手伝いできて、大変嬉しいです!」


ケンジーさんはいい人だったし、料理の知識や技術がとてもある。

上手だし、何でも作れる。

なんて、凄いの?と何度も思ってしまった。

マリアさんとケンジーさん、2人と一緒に料理をしている時間は、とても楽しい。

どうして、こんなに楽しいの?と思う。

そっか、自分が好きなことを好きなようにしているから、かな。

ケンジーさんは料理人だけれど、お祝いの席で料理を出しているから、お祝いのお菓子なども作るれるようだ。


「煮込み料理は朝からよりも、前の晩からがいいですね」

「そうですねぇ。仕入れが間に合うかしら」

「その調整も私の方でしますよ!お祝いの席では、特別な材料を準備する必要性がありますからね。時期によってはなかなか手に入らないものも、あります」


べ、勉強になる!

確かに、季節に合わせて考えないと、手に入らない材料もあるわ。

それは私のレシピ本にも注意点で書くべきかな?


「代用できる食材もありますので……」

「そうか!」


代用できるパターンや食材のリストもいるってことよね!

転生前で言うなら、アレンジってところを分かりやすく載せておくのよ……!


「お、奥様?」


私の頭の中は誰にも分からない。

だから、マリアさんは心配そうに私を見てくる。


「あ、何でもないわ、大丈夫!」

「そうですかぁ?」

「はい!ケンジーさん、食材のことですが……」


私が彼にそう尋ねた時、視線を感じた。

嫌な視線だなぁ、これは……。


「あら、坊ちゃま。厨房へ来るなんて、珍しい……」

「マリア!セシリアは俺の妻だぞ!料理人と話をさせて何になる!」


ルイだ。

ルイはどうも嫉妬しやすいというか、理解できるまでに時間がかかるというか……。

誤解しやすいタイプなんじゃなかろうか。

お義父様の人たらしスキル見たら、ひっくり返りそうな気がする。

もしかして、知らない、とか?

でも同じ騎士団にいて、実父の人たらしを見たことがないってことはないだろう!


「勉強になります!!」


私はルイに向かって叫んだ。

だって、本当に勉強になるんだもの!

ルイは目を丸くして、それから震え、顔を真っ赤にした。


「妻になる女が他所の男に何を学ぶことがあるーッ!?」

「料理や食材の流通について学んでおります!!」


大声には大声で返した。

マリアさんは間に入ってくれて、ルイをなだめてくれる。


「坊ちゃま!奥様は結婚式の為に、頑張っておられるんですよぉ!」

「マリア!セシリアを部屋に連れていけ!」


自由にさせてくれるんじゃなかったの?

私は大きなため息をつく。

この人は、どうしてこんなに元気なんだろうか。

もう、信じられない!


私はルイの指示に従って、部屋に戻る。

でも彼のあの態度はそろそろどうにかして欲しい。

いつもこうなのだ。

これで結婚式は本当に大丈夫なんだろうか?


私は部屋に戻り、それからペンと紙を持って、作業をする為、更に移動する。

最近はどこに行くにも、紙とペンを握っていて、レシピが浮かべば書くようにしていた。

ルイが美味しいと言ってくれた物は、基本的に書き留めるようにしている。

彼はいつもよく食べるから、本当は何が美味しいのか、はっきり分からないことも多い。


レシピの絵はなかなか進んでいなかった。

この絵を描くことで、文字は必要なくなるのかな、と思うけれど、私の画力ではなかなか難しい。

だから、とにかく今は、思い浮かぶものを全部書き留めることに必死だ。


妹に、手紙を書くと返事はすぐに返ってきた。

可愛い妹が、どんなドレス姿になるのか、とても気になる。

フリルがいっぱいで、色合いは……そんなことを考えていたら、レシピの内容が妹の好きなものばかりになっていく。

すっかり、お姉ちゃんの気持ちになってしまった。

このレシピは、貴族が見るというよりは、一般の人たちに見てもらいたいのに。


私は、妹の為に書いてしまったレシピを別にして、また他の物を書いていく。

ニンジンをたっぷり使った温かいサラダ。

貴重な卵や肉類は控えめだけれど、使うなら美味しく。

茹でたジャガイモは季節になればたくさんあるから。

私は、まだここでの生活を少ししかしていないけれど、食べ物を通じてたくさんの季節を知ることができた。

なんだか、家にいた頃には分からなかったことばかり。

それはそれでよかったのだけれど、ここでの生活は、まるで自然の流れと一緒に流れていくよう。

騎士団長の家だとはとても思えなかった。


魔女を討ち取る為に、騎士団はいつも必死になっている。

でも、実際には魔女だけではなくて、多くの戦争にも駆り出されているのだ。

最後の戦争、と思いたいけれど、先の戦争では多くの騎士団員が死んだと聞いている。

騎士団はその時に人数が減り、それ以来、ルイが指揮を執っているのだ。


彼にとって、騎士団は家族のようなものなんじゃないかな……。


ポタリ、と紙にインクが落ちて、染みを作ってしまう。

私は慌てて、紙を丸めた。

結婚式の前に、落ち込みたくない。

ああ、アリシアに会いたいなぁ。

そんなことを思いながら、私はまた紙を開く。


「奥様!いらっしゃいますか?」

「はい、マリアさん、どうしました?」

「坊ちゃまは、マリアからしっかりお伝えしておきましたからね。今は、反省して部屋にいると思います。最近の坊ちゃまは浮かれてて困りますねぇ」

「う、浮かれているんでしょうか……?」


あれで、浮かれているのだろうか?

浮かれるようなことがあるかな、と考えると、結婚式しか予定はないのだけど。


「そ、そんなに、ルイは結婚式を待ち望んでいますか?」

「ええ、それはもう!」

「そ、そうなんですね。まあ国王も来られますし……」

「私も国王陛下にお会いするのは、久しぶりですねぇ」


マリアさんの言葉に、私は首を傾げた。

久しぶり、とは、会ったことのある相手に対して発する言葉だ。

グラース家のメイドであるマリアさんが、国王に会ったことがある?


「マリアさんは、国王にお会いしたことがあるんですか?」

「あら、ありますよ。うふふ!」

「え、その、失礼ですけど、なんで?」

「さあ、どうしてでしょう?うふふ!」


マリアさんは結局、何も教えてくれなかった。

この家!

怪しすぎる……!

ただの騎士団長の家じゃない!


「奥様は、坊ちゃまの大切な人です」


トポトポと温かい音を立てて、お茶を淹れてくれるマリアさん。

そのお茶はとても美味しくて、私は大好きだ。


「坊ちゃまの大切な人は、マリアにとっても大切ですからね」

「ありがとう、ございます……」

「だから、奥様は坊ちゃまをお慕いしつつ、自由に過ごされてくださいな」


それはまるで、母のように。

優しい、と私は思ってしまう。

けれどもそれは、私が一度も得たことのない母という偶像の結果だ。

私は、母がいたけれど、今もいるけれど、こんな風に扱われたことがない。


転生前は、ただの働き手として。

転生後は、ただの可愛い赤毛の人形として。


そこにいただけ。

だから、母の優しさは、ただの想像でしかないのだ。

私が死んだ時、母は泣いてくれただろうか……急に死んだ娘の為に、少しでも涙をこぼしてくれただろうか。

そんなことを思うけれど、今は分からない。


「奥様、お茶を飲まれたら坊ちゃまにお顔を見せてくださいね」

「え、はい……」

「喜ばれますよぉ!」


でも私は、ルイが幸せであれば、その周りの人の方がもっと幸せなんじゃないか、とマリアさんの笑顔を見て、思った。



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