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第55話

馬鹿を言え、とルイから一蹴されてしまった兄であったが、全く効いていなかった。

お兄様は、どっかりソファーに座って足を組んでいる。


「いいじゃないかぁ、ルイ~!山ぐらい登ろうよぉ」

「お前は人の家の予定もわからんのか!」

「わかってるよ?ちゃんと結婚式の招待状が来たからね!」

「戻りの時間を考えられないのかぁ!?」

「戻ってこれるでしょ?」

「お前の馬の腕ならな!!」


バン!とルイがテーブルを叩いた。

それでも兄は笑っているではないか。


「え、お兄様って乗馬も上手いんですか?」

「普通だよぉ~」

「お前の普通は異常なんだ!!」

「普通だってばぁ!」

「お前は剣の腕と乗馬の腕しかないくせに、なぜ騎士団を辞めたんだ……」


ルイは顔を覆って落ち込んでいた。

兄よ。

どうしてあなたは、騎士団長をこんなに困らせることができるのだろうか。

そんなルイに救いの手を伸べたのは……。


「カリブス様、お元気そうで何よりです。お久しぶりでございます、ハンスでございます」


兄は、一瞬で紅茶を噴出した。

知らなかったのであろう、ここに副団長であるハンスがいることを。


「あ、あ、ああううああ」

「カリブス様、我が主を困らせることは大変困ります。ここは、ハンスと決闘でお決めになりませんか?」

「結構です!!申し訳ございませんでしたぁ!!!」


ハンスの笑顔に、お兄様が負けている。

初めて兄を負かした人を見た!!!

しかも、何気に決闘とか言っている!


「では、お茶と焼き菓子の準備をしてまいりましょう。奥様、大変申し訳ございませんが、お手伝いをお願いできませんでしょうか?」

「は、はい!」


私は、この変な空間から逃げることができた。

ハンスの後を追って歩くと、困ったように彼は笑う。


「困ったお方ですね、カリブス様は」

「む、昔からです……」

「そうですね。昔から、そんな剣士でした。きっとあの娘に本当に会いたいのでしょう……」

「やはり、兄は……会いたいんですよね」


厨房へ行くと、マリアさんがお茶の準備をしていた。

この家は、時間通りに丁寧に動いているのだ。


「マリア、お茶の準備はできていますか」

「はい、今日は奥様から教えていただいたパウンドケーキですよぉ」

「それはそれは。坊ちゃまが喜ばれますねぇ」


そう言いながら、ハンスはお盆にティーセットを準備した。

私は、何もすることがない。

最初から、手伝うことなど何もなかったのね。

きっと、気を使って連れ出してくれただけ。

空気の読める人なんだな……。


「あの、すみません、急に兄が」

「いえいえ、奥様。カリブス様を騎士団でも矯正できませんでした。こちらこそ申し訳ない」

「え?え?」

「普通は、騎士団ではきちんと矯正できるものなのですが……」


そうなんだ。

と、思って、そうに決まっている!とも思った。

騎士団はちゃんと試験を突破した者しか、入団を許可されない。

また、騎士団の中でさらに上位へ上がりたいなら、剣の腕や頭のよさなど、様々なことが考慮されるはず。

それを年長者であるハンスが、担ってきたのだろう。

でも、兄は駄目だった。

お兄様、お兄様ってやっぱりどこにいても馬鹿だったのね……。


「騎士団は、武力知力だけではありません。品行方正、情熱、仲間や弱者を守る精神など、多くを学びます。それを持った者が上位者になります。特に団長である坊ちゃまは、我々の鑑ですよ」

「そ、それは確かに、そうかもしれません……。え、だからルイは皆さんのいない家でああいう態度なんですか?」


私がそれを尋ねると、ハンスだけでなく、マリアさんさえも動きが止まった。

私は知ってはならぬことを知ってしまったのだろう。

言ってはならぬことを、言ってしまったのか。


「……坊ちゃまは、本当はまだ騎士団長になるおつもりはなかったのです」

「え、そうですか?でもグラース家は代々騎士団長を輩出しておられるから……」

「そうですね。本来ならば嫡男は皆様団長に早くなりたいものです。ですが、坊ちゃまは違いました。学びたいことも、行きたいところもたくさんある。若くして団長になれば、自由が効きません。それをご存じでした」

「ルイ、そんなことを……」

「好奇心旺盛なのは、大奥様にそっくりですからね。大奥様も、それがいいとおっしゃっておられましたが……」


それは親心なのか。

いずれは騎士団長になるしか未来のない我が子に、母は少しでも人生を楽しませたかったのか。

そんな母に私は一目も会うことができないのは、やっぱり残念だった。


お茶の準備をして部屋へ持っていくと、兄はすっかり怯えてソファーの端っこに座っている。

そんなにハンスが恐いなら、来なければよかったのに。

あ、そもそもハンスがグラース家にいることを知らなかったのかも。

知らなかったのではなく、きっと忘れていたのよね。

そんな人だもの。


「お兄様、お話は解決いたしましたか?」

「ぼ、僕は、行くよ。今すぐに出れば、間に合う!」


こんな状況なのに、兄はそう言ったのだ。

するとルイが大きなため息をついた。


「結婚式の後ならば、ユーマに依頼を出すと言っているだろう。金もない癖に、どうするつもりなんだ?」


ルイの意見は正しい。

東の国方面は、ただでさえ武闘派が多く、危険な土地。

ユーマのような傭兵や危ない輩はたくさんいるのだ。

でも、私も行きたいな……と思っていたら、ルイから思いきり睨まれた。

内心は見抜かれてしまっている。


「それでも、僕は行く」

「馬鹿野郎」

「……馬鹿でも構わない。僕は行くんだ」


その一瞬、兄の空気が変わったことを私は感じた。

今まで感じたことのない、剣士としての兄。

騎士団にいた頃の、洗練されたまなざしと、決意。

まさか、お兄様がこんな顔をできるなんて、思わなかった。


「……ハンス」

「はい、坊ちゃま」

「ユキ以外の駿馬を貸してやれ」

「承知いたしました。準備してまいります」


部屋を出て行くハンス。

私は驚いて、ルイに言った。


「ルイ!結婚式まで1週間くらいしかないんですよ!?間に合わないでしょう!?」

「分かっている」

「こ、国王の前で、兄がいないなんて、グラース家もウォーレンス家も恥をかきます!」

「分かっている。だから、俺がついて行く」


は?

私は、一瞬にして息ができなくなって、耳が遠のいたと思った。

聞き間違えか?

この家の主は何と言った?


「えっと、ルイ?あの、なんと?」

「俺がカリブスについて行くと言った」

「はぁあああ!?主役なしの結婚式にするつもりですか!?」

「俺がいればカリブスは絶対に間に合わせねばならんだろう」

「博打すぎます!!私には駄目って言った癖に!!」

「おま、論点をずらすな!お前は女だ、剣も扱えん奴が行くところではない!」


ずるい!

ルイはきっと目の前でお兄様が恋人と再会する、最高のシーンを見るはずだ。

私だってそれが見たいのに!

山岳に抱かれて、2人は見つめ合い、愛を誓うのよ!


「ああ!なんて素敵なの!?」

「妄想で会話するな、セシリア!!」

「妄想ではありません!未来の姿です!!」


私たちがこんな会話を繰り広げていたところ、兄が笑っていた。

いつもとは違う、笑いで、それはまるで本当の姿のような。


「セシリアが来たいなら、途中まで来させたらいいじゃないか」

「駄目に決まっているだろうが!」

「宿屋で荷物番をさせればいいじゃないか」

「駄目だ!!」


そんなことを言っていると、ハンスが戻ってきた。

ハンスはため息をつきつつ、地図を広げる。


「坊ちゃま、地図も準備させていただきました。ご確認ください」

「すまない、ハンス。助かる」

「はい。ではカリブス様、こちらをご覧ください」


こうして、彼らは地図を広げ、今後を話し合い始めるのであった。


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