長い赤毛を綺麗に結い上げて、崩れないようにする。
ベールをかけて、ドレスを身にまとう。
質素なドレスに見えるが、光りの加減でグラース家の紋章が見えるように細工されているのは、誰も知らない秘密だ。
鏡の前で、私は自分を見つめた。
異世界の赤毛のアンは、ついに結婚するのね。
転生前の日本では、恋愛すらまともにできなかったのに。
世界が変われば、人も変わるというのかしら。
「お母さん……なんていうかな」
日本に置いてきた、というと変な話だが、あちらの母はどう思っているのだろうか。
死んだ娘のことなんて、もう忘れてしまったわよね。
そんな人だったもの。
でも、少しだけでも愛してくれていたなら、この姿を見せてもよかったかな、と思ってしまう。
部屋をノックする音がしたので、開く。
そこにいたのはこちらの母だった。
アンリエッタ・ウォーレンス。
金色に青い瞳の美しい母。
どうして孤児院から私を引き取ったの、と尋ねたら、お人形のように可愛い子が欲しかった、と言われる。
むしろ、お人形が欲しかったんじゃないのだろうか。
「お母様」
「素敵ねぇ、セシリア」
「ありがとうございます」
「宝石を持ってきたの。ウォーレンス家に代々伝わる結婚式用のものよ。あなたの次はアリシアが使うからね」
「そ、そんなものがあったのですか?」
「ええ。知らなかった?」
知らなかったわよ!
知っていたら、それに合うドレスに変えていたのに。
いつも母はこうなのだ。
どこからともなく帰ってきて、何かを持ってきて。
まるで知らなかったこちらが、悪いかのように言う。
教えてくれなくては分からないことでも、分からない方が、知らなかった方が、悪いという感じなのだ。
「ほら、これよ」
鏡の前に座り、母は私にイヤリングをつけてくれた。
綺麗、とつぶやいてしまうくらいに落ち着いたもの。
「あなたのお祖母様も、私もこれをつけたの」
「でもそれは、ウォーレンス家に嫁いできたって意味ではないのですか?」
「いいえ、ウォーレンスの花嫁はみんな同じ。来た者も、行く者も」
「そ、そういうものなのでしょうか……」
なんだか不思議な話をされているような気がした。
でも、式が終われば返せということだろうし、そのあたりは母に任せよう。
「スッキリとしたドレスも、あなたによく似合うわ」
「そうですか?」
「孤児院であなたを見つけた時、お人形さんが落ちてるって思ったのよね」
「あの、急に何を……?」
「あなたの髪は昔大好きだった人形にそっくりだったのよ」
「わ、私は人形?」
「あのね、悪い意味じゃないの。本当に大事で友だちだったのよ、その人形とは。だから生まれ変わってきてくれたんだーって思ったの」
夢見がちな母の話に、私はちょっと首を傾げつつ聞いていた。
まるでそれって、人形じゃなくて人みたい、と思ってしまう。
母は、嫁ぐまでかなり財産を持った貴族の令嬢だったと聞いている。
父とは遠縁で、両親を亡くした母が不憫だったので早めに結婚させたらしい。
早めに結婚させられ、可愛がられ、お金もある。
だから母は自由に生活を謳歌していた。
その中の1つが私だ。
急に孤児院から女の子を引き取って、娘にする。
そんな慈善事業が当時は、貴族の中では流行っていたらしい。
犬か猫でも拾うかのように、1人2人くらいは養えるのが貴族というもの。
だから、私はいい生活をさせてもらったのだけれど。
本来、孤児院出身の子どもが学園に行くことはできない。
学園はそういう子どもには門戸を開かないのだ。
「大事なお友達だったのよ?」
「そ、そうですか……そんなお話、初めて、聞きました」
「あら、初めて話したもの。こんな話、聞きたくないでしょ?」
聞きたくない、と言われればそうかもしれないけれど、じゃあなんで話をしたの?と思ってしまう。
私は、母の顔色をうかがったけれど、はっきりとは分からなかった。
母は身の上話なのか、ゆっくりと自分のことを語っていく。
「女の子はお人形さんが友達なのよ」
「そ、そうですか……私は、そうですね、本が友達だったと言いますか……。実際の友人よりも、本と一緒に過ごした時間の方が多いように思います」
「それもいいんじゃない?文章を読んで色々と考えることができる人って素敵だわ。あなたは頭がいいのねぇ」
誰と比べているんだろうか。
そんなことを思いながら、私は母の話に耳を傾ける。
今まで話してくれなった母だから、これから先も話してくれるわけがない。
それならば、私は今のうちに母の話を聞いておきたいと思ったのだ。
アリシアにしか興味のなかった今までと違って、なぜか今の母の言葉は耳に入ってくる。
結婚式の直前だからかしら。
私が読んでいた本の中でも、母の存在は大して重要には描かれていなかった。
存在しているというだけで、アリシアにとって大切だけれど大きな存在というわけではなかったはずだ。
ただの母親。
よくある母親役をこの人は勤めていただけ。
「子どもの頃ね、近くにあなたのような髪をした女の子がいたわ。可愛い子だったの。何をさせても上手にできるし」
「はぁ……お母様の幼馴染とか、そういったご関係の方ですか?」
「そうねぇ、でも遠い昔だから、すっかり忘れちゃったわ」
そ、そんなに昔の話をしてるんだっけ!?
私はビックリしたけれど、とりあえず母の話を続けて聞くことにした。
母のこんなところは、今に始まった話ではない。
こうやってまともに声を聞けるだけでも十分じゃないか。
娘としてできることは、これくらいしかないかも。
「その子のことを思い出したのよぉ、あなたを見たら。だからどうしても一緒に暮らしたくて。可愛い洋服を着せて、お菓子を食べさせたかったの」
「お母様がたくさんお菓子をくださるから、私は一時期お腹を下したんですよ」
「あら、そうだったの?」
「はい。まあ学園に行く前のことですけれど。でもそれがあったから、アリシアには安全で美味しいものを作ってあげよう、と思ったんです」
あらあら、と笑う母の声が、心配しているというよりは関心しているような、どちらにせよ娘を心配して謝罪の気持ちを含んだ声には聞こえなかった。
お母様、あなたは私に四六時中、お菓子を食べさせたんですよ。
さすがに子どもの私も、命の危険を感じるくらいに。
この世界のお菓子に使われている油は、あまり上質なものではないのだ。
要は、低質な油を砂糖で誤魔化しているようなもの。
綺麗に見た目を作る為に、どうやって色を付けたのか分からない色素を使ったり。
今では考えられないような、危険な食べ物がお菓子だったのだ。
特に、煌びやかな世界が好きな貴族のお菓子は。
「だからあなた、料理やお菓子を作るのが上手なのねぇ~」
「ま、まあ、もとから作ることは好きでしたから」
「そうよね、お裁縫も上手だし。私は下手だからあんまり刺繍の会には誘っていただけなかったわぁ」
貴族のお嬢様や奥様方には、〇〇の会と称した趣味のお茶会があるのだ。
不器用な母は、刺繍を愛好している会に呼ばれないほど、刺繍が下手だったというわけ。
逆に、母は自分で婦人旅行会なる、女子旅会を作ってしまった。
だからほとんど家にはおらず、似たような貴族の女性と旅行に出てばかりいる。
「でも、お母様は活発でいらっしゃるでしょう?」
「旅行は好きよ。知らない土地に行くのも、見知った土地に行くのもね」
「それはいいことですよ。人は同じ時間しか与えられていないんです。見れるだけ見た方がいいと思います」
「あら~読書が好きな子が言うことじゃないわね~?」
読書は好きだが、中身は老舗旅館の跡取り娘だった女だぞ!
旅行と言われれば、いつでもそんな感じに思ってしまう。
結婚式を前に、少しだけ旅行も行けばよかったのかな、と思ってしまう自分がいるのだった。