『赤毛で緑の瞳。妹のような溌溂とした子がいいわ。あなたのように聡明で、私のように手先が器用なの。料理も上手よ。なんでも作ってくれる。動物も好きで、子どもも好きで。あなたとの間になら、きっと生まれると思うわ』
若き日のハンスは、妻の言葉を聞いて楽しい未来が来ると思っていた。
少し年の離れた2人だが、妻の年齢を考えれば子どもも遅くはない。
自分が遊ばれて大変なめにあうだけだ。
それくらいにしか、思っていなかった。
ーーー翌日目覚めた人が、妻でないと知るまでは。
「ハンス……」
「不思議なものです。坊ちゃまには坊ちゃまのお好きな方を、と思っておりました。そしてお連れになったのがあなただ」
「わ、私は……」
「妻が欲しいと言った子、そのもの。それを思い出しました」
忘れていたのではなくて、忘れようとしていた。
辛くて哀しい過去にふたをして、二度と思い出すことがないようにしていたのだ。
ハンスはそんな人だ。
そうやって、自分を痛めつけて、騎士団の為に、グラース家の為に、ルイの為に、前に進んできた。
「奥様、どうか坊ちゃまをよろしくお願いいたします」
「はい」
私は、ハンスの言葉をしっかりと受け止めた。
そして、彼の思いも受け止める。
きっといつの日か、彼の思いや存在が、私を救ってくれることになるだろう。
2人で廊下を歩き、ルイの元へ戻る。
少しずつ来賓が帰路に着き始め、私は挨拶をしたり、頭を下げに行ったりした。
親しい人はルイへ言葉を贈ってくれて、私にも親切にしてくれる。
優しい人ばかりで、ルイへの愛情が溢れていた。
彼の真面目さや信頼の厚さを私は感じることができて、嬉しい。
これから先の未来を、彼と一緒に歩んでいくということがとても嬉しく感じられた。
お客様が落ち着くと、ルイと私の元へハンスがやってきた。
グラース家は、結婚式の後に短時間だけれど新郎新婦だけの時間を作るらしい。
慌ただしいのはこれから先も続くので、その前に2人だけでしっかり話をする時間を作るという。
ルイの部屋に招かれて、温かいお茶が出るのかと思ったら、ルイは結婚式の料理をたくさんハンスに運ばせていた。
なに?と思ったら、人前ではしっかりと食事ができなかったらから、と笑っている。
食事はルイにとってとても大事なものなのだ。
彼は見た目よりもよく食べるし、その時間を大事にしている。
「結婚式は食べられないものだな」
「あまり食べないんですよ、こういう場所では」
「せっかくのいい料理じゃないか」
「そうですけど。私はドレスですし」
「俺も久しぶりにこんなに立派な格好をしたぞ」
騎士団長なのに?と思って私は笑ってしまった。
ルイは私が笑っていると、穏やかに表情が緩んでいく。
どんなに騎士団長とは言っても、とても緊張していたのかも。
国王陛下も来ていたし、いつも見ない来賓も多かった。
「国王陛下はいい人ですね。初めてお会いしましたけれど」
「そうだな。俺は幼い頃から世話になっている」
「この国が穏やかなのは、陛下のおかげなんですね」
「陛下の統治が始まってから、国はとても落ち着いている。陛下は若い頃から落ち着いておられて、お優しいんだ」
ルイから見て、それだけ穏やかな人ならやはりこの国は安心だろう。
騎士団長がそう言うのだから、私も安心できる。
私が子どもの頃から、この国はとても穏やかだ。
大きな戦争は、魔女との戦争が最後。
それがとても大きな戦争だったはず。
そうか、私は昔から彼に守られ、陛下に守られて生きてきたのだ。
これからは、少しでも2人の役に立てればいいな、と思う。
「……また難しいことを考えているな?」
「え、あ、そうでしょうか?」
「そんな顔をしている。お前は気にするな、好きなことを自由にしていればいい」
「自由にはさせていただいています。やりたいこともたくさんあります。でも、それと同じくらい、ルイや陛下の役に立てれば、と思って」
「お前は、すぐにそんなことばかり考えるな。俺はともかく、陛下はお前の助力など気にしていないぞ」
「あの、なんでそんなに人のやる気を削ぐような言い方なんですか?」
ムスッとして、私はルイに言った。
ルイは少し笑いながら、こちらを見てくる。
「陛下の周りには優秀な人間が多い」
「む……」
「今度、紹介をしよう。面白い奴もいるんだ」
「面白い?」
「ああ。陛下は人を惹きつける人だ」
「確かに、私も初めてお会いしたのに、とても和やかにしていただきました」
ルイの語る陛下は、とてもいい人だった。
国の為にできることをしている陛下は、本当に素晴らしいと思う。
でも、私だってそんな陛下のことを少しでもお助けできれば、と思いたいじゃない。
「ふ、お前は俺の妻としていてくれれば、それで十分だ」
「それはもちろんですけれど」
「この前は大臣の妻が若い男と逢引したのなんので、大騒ぎだったんだぞ」
「え!?」
「結論、相手は甥だったんだがな。売れない画家と大臣の妻が会っているとなれば、誰でも逢引や不倫を疑う」
「わ、私がそんなことすると思ってるんですか!?」
「思っているわけがないだろう。そんな度胸はないだろ、セシリア」
うん、そうだな。
騎士団長の妻となった私は、不倫なんてしてしまったら、ここで斬り殺されてもおかしくない。
悪者は私だけ、正義はルイになる。
いや、不倫したらそうなんだけど!
「大臣は奥方にご執心でな」
「えっと、確か、かなりの幼な妻だとか」
「俺もお会いしたことはあるが、あれは幼な妻ではない。若作りが酷いだけだ」
「ちょ、そんなこと言わないでください!」
笑ってしまって、顔を隠すので必死になる。
大臣という役職の人は複数人いるのだけれど、その中で有名なのが国王の幼馴染とも言える大臣だ。
その人はとても若い奥方を娶った、と国中で噂になったことがある。
可愛らしい少女のような奥方、と方々で有名だった。
それが、ルイから見ればただの若作りと言う。
そんなこと、女性に言っちゃダメよ!と思うけれど、笑いが堪えられない。
「いや、あれは若作りだろう」
「だから、ルイったら!」
「陛下の周りには色々な人間がいる。俺の父の頃は、それなりに争いもあったようだが、それがおさまってからはとても落ち着いているんだ」
「その中に、あなたもいるんですね」
私がそう言うと、ルイは目を丸くして「そうだな」とだけ呟いた。
呟いた彼の隣に来て、私はその手を取る。
「ルイ」
「ああ」
「私は幸せです。あなたに見つけてもらえて
涙をこぼし、ルイは頷いた。
きっと亡くなった両親にも、見せたかったはず。
一度は世界が終わったと思ったけれど、彼はまた見つけてくれた。
そこに私がいたというだけのこと。
ルイ、私は、もう老舗旅館の後継ぎ娘じゃない。
ただ本を開いて、その輝く世界に憧れるだけの存在ではなくなった。
あなたの妻として。
この世界のセシリアとして。
異世界の赤毛のアンとして。
生きている。
しっかりと、あなたの側で。
これから多くの苦難や苦しみもあるだろう。
でも同じくらいに幸せも喜びもあるはず。
家族が増えたり、減ったりもするだろう。
でもその時。
喜びも哀しみも、私はあなたと分け合いながら生きていく。
妹だけが生きる目的で、生きる喜びであった頃とは違う。
私はあなたの愛を受けて、進んで行ける。
だから、どうか。
「ルイ、どうか、この手を離さないでくださいね」
「セシリア」
「迷子になることはないと思っていますけれど、もしかしたらってこともあるじゃないですか」
笑って彼に言うと、涙をこぼす瞳は緩く細くなってくれた。
温かくて、優しい。
そして、この国で一番強いあなた。
これからも、一緒に歩んで行きたい、と私はルイの腕の中で深く想う。
どうか、これからも。
長い時間を一緒に過ごすことが、できますように。
この温かくて幸せな時間が、魔女を遠ざけてくれますように。