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第76話

『赤毛で緑の瞳。妹のような溌溂とした子がいいわ。あなたのように聡明で、私のように手先が器用なの。料理も上手よ。なんでも作ってくれる。動物も好きで、子どもも好きで。あなたとの間になら、きっと生まれると思うわ』


若き日のハンスは、妻の言葉を聞いて楽しい未来が来ると思っていた。

少し年の離れた2人だが、妻の年齢を考えれば子どもも遅くはない。

自分が遊ばれて大変なめにあうだけだ。

それくらいにしか、思っていなかった。


ーーー翌日目覚めた人が、妻でないと知るまでは。



「ハンス……」

「不思議なものです。坊ちゃまには坊ちゃまのお好きな方を、と思っておりました。そしてお連れになったのがあなただ」

「わ、私は……」

「妻が欲しいと言った子、そのもの。それを思い出しました」


忘れていたのではなくて、忘れようとしていた。

辛くて哀しい過去にふたをして、二度と思い出すことがないようにしていたのだ。

ハンスはそんな人だ。

そうやって、自分を痛めつけて、騎士団の為に、グラース家の為に、ルイの為に、前に進んできた。


「奥様、どうか坊ちゃまをよろしくお願いいたします」

「はい」


私は、ハンスの言葉をしっかりと受け止めた。

そして、彼の思いも受け止める。

きっといつの日か、彼の思いや存在が、私を救ってくれることになるだろう。


2人で廊下を歩き、ルイの元へ戻る。

少しずつ来賓が帰路に着き始め、私は挨拶をしたり、頭を下げに行ったりした。

親しい人はルイへ言葉を贈ってくれて、私にも親切にしてくれる。

優しい人ばかりで、ルイへの愛情が溢れていた。

彼の真面目さや信頼の厚さを私は感じることができて、嬉しい。

これから先の未来を、彼と一緒に歩んでいくということがとても嬉しく感じられた。


お客様が落ち着くと、ルイと私の元へハンスがやってきた。

グラース家は、結婚式の後に短時間だけれど新郎新婦だけの時間を作るらしい。

慌ただしいのはこれから先も続くので、その前に2人だけでしっかり話をする時間を作るという。


ルイの部屋に招かれて、温かいお茶が出るのかと思ったら、ルイは結婚式の料理をたくさんハンスに運ばせていた。

なに?と思ったら、人前ではしっかりと食事ができなかったらから、と笑っている。

食事はルイにとってとても大事なものなのだ。

彼は見た目よりもよく食べるし、その時間を大事にしている。


「結婚式は食べられないものだな」

「あまり食べないんですよ、こういう場所では」

「せっかくのいい料理じゃないか」

「そうですけど。私はドレスですし」

「俺も久しぶりにこんなに立派な格好をしたぞ」


騎士団長なのに?と思って私は笑ってしまった。

ルイは私が笑っていると、穏やかに表情が緩んでいく。

どんなに騎士団長とは言っても、とても緊張していたのかも。

国王陛下も来ていたし、いつも見ない来賓も多かった。


「国王陛下はいい人ですね。初めてお会いしましたけれど」

「そうだな。俺は幼い頃から世話になっている」

「この国が穏やかなのは、陛下のおかげなんですね」

「陛下の統治が始まってから、国はとても落ち着いている。陛下は若い頃から落ち着いておられて、お優しいんだ」


ルイから見て、それだけ穏やかな人ならやはりこの国は安心だろう。

騎士団長がそう言うのだから、私も安心できる。

私が子どもの頃から、この国はとても穏やかだ。

大きな戦争は、魔女との戦争が最後。

それがとても大きな戦争だったはず。

そうか、私は昔から彼に守られ、陛下に守られて生きてきたのだ。

これからは、少しでも2人の役に立てればいいな、と思う。


「……また難しいことを考えているな?」

「え、あ、そうでしょうか?」

「そんな顔をしている。お前は気にするな、好きなことを自由にしていればいい」

「自由にはさせていただいています。やりたいこともたくさんあります。でも、それと同じくらい、ルイや陛下の役に立てれば、と思って」

「お前は、すぐにそんなことばかり考えるな。俺はともかく、陛下はお前の助力など気にしていないぞ」

「あの、なんでそんなに人のやる気を削ぐような言い方なんですか?」


ムスッとして、私はルイに言った。

ルイは少し笑いながら、こちらを見てくる。


「陛下の周りには優秀な人間が多い」

「む……」

「今度、紹介をしよう。面白い奴もいるんだ」

「面白い?」

「ああ。陛下は人を惹きつける人だ」

「確かに、私も初めてお会いしたのに、とても和やかにしていただきました」


ルイの語る陛下は、とてもいい人だった。

国の為にできることをしている陛下は、本当に素晴らしいと思う。

でも、私だってそんな陛下のことを少しでもお助けできれば、と思いたいじゃない。


「ふ、お前は俺の妻としていてくれれば、それで十分だ」

「それはもちろんですけれど」

「この前は大臣の妻が若い男と逢引したのなんので、大騒ぎだったんだぞ」

「え!?」

「結論、相手は甥だったんだがな。売れない画家と大臣の妻が会っているとなれば、誰でも逢引や不倫を疑う」

「わ、私がそんなことすると思ってるんですか!?」

「思っているわけがないだろう。そんな度胸はないだろ、セシリア」


うん、そうだな。

騎士団長の妻となった私は、不倫なんてしてしまったら、ここで斬り殺されてもおかしくない。

悪者は私だけ、正義はルイになる。

いや、不倫したらそうなんだけど!


「大臣は奥方にご執心でな」

「えっと、確か、かなりの幼な妻だとか」

「俺もお会いしたことはあるが、あれは幼な妻ではない。若作りが酷いだけだ」

「ちょ、そんなこと言わないでください!」


笑ってしまって、顔を隠すので必死になる。

大臣という役職の人は複数人いるのだけれど、その中で有名なのが国王の幼馴染とも言える大臣だ。

その人はとても若い奥方を娶った、と国中で噂になったことがある。

可愛らしい少女のような奥方、と方々で有名だった。

それが、ルイから見ればただの若作りと言う。

そんなこと、女性に言っちゃダメよ!と思うけれど、笑いが堪えられない。


「いや、あれは若作りだろう」

「だから、ルイったら!」

「陛下の周りには色々な人間がいる。俺の父の頃は、それなりに争いもあったようだが、それがおさまってからはとても落ち着いているんだ」

「その中に、あなたもいるんですね」


私がそう言うと、ルイは目を丸くして「そうだな」とだけ呟いた。

呟いた彼の隣に来て、私はその手を取る。


「ルイ」

「ああ」

「私は幸せです。あなたに見つけてもらえて


涙をこぼし、ルイは頷いた。

きっと亡くなった両親にも、見せたかったはず。

一度は世界が終わったと思ったけれど、彼はまた見つけてくれた。

そこに私がいたというだけのこと。


ルイ、私は、もう老舗旅館の後継ぎ娘じゃない。

ただ本を開いて、その輝く世界に憧れるだけの存在ではなくなった。

あなたの妻として。

この世界のセシリアとして。

異世界の赤毛のアンとして。

生きている。

しっかりと、あなたの側で。


これから多くの苦難や苦しみもあるだろう。

でも同じくらいに幸せも喜びもあるはず。

家族が増えたり、減ったりもするだろう。

でもその時。

喜びも哀しみも、私はあなたと分け合いながら生きていく。


妹だけが生きる目的で、生きる喜びであった頃とは違う。

私はあなたの愛を受けて、進んで行ける。

だから、どうか。


「ルイ、どうか、この手を離さないでくださいね」

「セシリア」

「迷子になることはないと思っていますけれど、もしかしたらってこともあるじゃないですか」


笑って彼に言うと、涙をこぼす瞳は緩く細くなってくれた。

温かくて、優しい。

そして、この国で一番強いあなた。


これからも、一緒に歩んで行きたい、と私はルイの腕の中で深く想う。

どうか、これからも。

長い時間を一緒に過ごすことが、できますように。


この温かくて幸せな時間が、魔女を遠ざけてくれますように。



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