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第77話

2人での話が終わると私はルイと手をつないで歩き出す。

この瞬間が大事なのだ、とハンスには言われていた。

本当の最初の共同作業。

それは2人で部屋を出る為に、ドアを開けること。


私にとって、2人でドアを開けることなんて大したことじゃないと思っていた。

別にドアなんていつでも開けられるし、扉の形式をしたものなんて、たくさん存在している。

でも、今はその感覚が違った。

彼とともに歩む為に、一緒に開ける。

だから、意味があるのだ。


ドアを2人で開けて、部屋を出た。

しばらく歩くと、家族だけが残った広間に通される。

特別な来客であるユーマを除いて、みんな家族だ。

でもお兄様の訓練に付き合ってもらっているから、半分家族と言ってもおかしくはないかもしれない。


「坊ちゃま……いえ、旦那様」


ハンスはやっと彼が幼き日から知っている少年ではなく、このグラース家の当主になったのだと感じられたのだと思う。

幼い頃から知っているから、どうしても坊ちゃま呼びが抜けていなかった。

でもそれは、ハンスにとっては大事な甥への愛情でもあったのだろう。


「ご結婚、おめでとうございます」

「ありがとう、ハンス」

「亡きご当主に代わり、このハンス、旦那様のご結婚を見届けることができ、嬉しく思います。亡き大奥様もさぞお喜びだと思います」

「……ハンス、伯母もきっと喜んでくれていると思う」

「はい、そうであると思っております」


そう言った時、ルイは少しだけアリシアを見たと思う。

今、ルイの伯母であり、ハンスの妻の魂は、アリシアの中にある。

いつか魔女となって、また戦争を引き起こすかもしれない。

けれども、家族はここに揃っていた。

何も知らないアリシアは、ただ幸せな結婚式に招待された妹として、喜んでいた。

可愛らしいドレス。

綺麗な金髪に澄んだ青い瞳。

本で見たままのアリシアは、本当に私の妹なのかと思ってしまうくらいに愛らしいのだ。


「奥様」

「はい」

「ここにおりますグラース家に仕える者は皆、騎士団の出身でございます。皆、命に代えても奥様をお守りし、グラース家をお守りいたします」

「……命に代える必要はありません。必ず生き残って、天寿をまっとうするその日まで、私を守ってください。それが私の願いです」


私は、誰かの代わりに生き続けたいとは思わない。

一度死んだ苦しみを味わっているから、その苦しみを誰かに味わわせたいとは思わないのだ。

私の言葉を聞いて、マリアさんが声を上げて泣いた。


お兄様は、立派な格好をしていた。

本当に騎士だったのだ、と思う格好で、穏やかに微笑んでいる。


「セシリア」

「お兄様」

「お前に心配をかけ続ける兄ですまない。僕の事情ももうすぐ終わるから、それまでしばらくルイを貸しておいてくれよ」

「もう、お兄様ったら」

「僕は、ルイと兄弟になれてとても嬉しい」


共に戦場を駆け抜けたから。

共に学び、切磋琢磨してきたのだろう。

だから、お兄様はルイとのつながりが嬉しかったのだと思う。

兄弟になることが叶った今、お兄様は本当に笑っていた。

いつものヘラヘラした調子など見せない。

それを見て、なんだかお父様の方が小さく感じてしまうほどだった。


お父様はまだ養生の為に休んでいる。

お母様が代わりに私の前に来た。


「綺麗だわ。あなたを娘に選んでよかったと思う」

「お母様……」

「赤い髪が燃える花のよう。緑の瞳は、新しい芽吹き。美しくて、しなやかで、強い娘だと信じていた」


真面目に語るお母様に、私は驚きつつも、素直に言葉を受け取った。

今まで自由奔放にしていたお母様が、私のことをしっかりと見て話をしてくれる。

それだけで嬉しいことだし、家族として前に進んだと思いたい。


「アリシアと姉妹にしてよかったわ」

「お母様……」

「幸せになりなさい」


私の幸せ。

それを今までずっと考えないようにしていた。

でも、やっと形が分かった気がする。

新しい世界に転生して、ルイに出会えて。

いろいろなことがあって、恐いことも苦しいこともあったけれど、私は十分に幸せになれると思った。


「お姉様」

「アリシア」

「お姉様、幸せになってくださいね」

「ありがとう、アリシア。そうだわ、ブーケはあなたにあげる。次の花嫁に慣れるのよ」

「そんな!わ、私はまだこれから学園に行く年ですよ!」


花束を渡したら、アリシアは困って顔を真っ赤にしていた。

可愛い妹。

あの物語のように、このまま幸せになって欲しい。

どうか、魔女よ。

お願いだから、出てこないで。

どうか、このまま。

アリシアをアリシアのままで、居させてあげて。


歴代の話を聞く限り、それは叶わぬ夢だと分かっている。

いつの日か魔女として覚醒した娘は、魔女に支配され、すべてを失うのだ。

記憶も心も、すべてが魔女になってしまう。

自分の愛した人とさえ、敵対する。

どうか、どうか、それが来ないようにできないだろうか、と姉である私は思うのだ。

ルイやハンスも、思い続けたに違いない。

魔女によって失われた大切な人を、もう一度取り戻したいと願っていたに違いないのだ。


可愛らしいアリシアの手に触れた時、私の中に知ることのなかった世界が見えた。

それは、どうして見えたのかとか、理由は、方法は、なんて細かいことは分からない。

ただ、アリシアを通して私に見えた『過去』のようなものだ。


若き日のハンスと一緒に歩く姿。

産まれたばかりのルイを抱きしめて、一緒に幸せを感じる。

それ以外にも、燃える戦場でただ立ち尽くし、周囲の屍を見た。

自分に斬りかかる剣士。

非難する大勢の声。


何なの、これは!

こんなのアリシアじゃない!


そう思った瞬間に、どこかで聞いたことのある声がした。

女の声は、ただ私にすべて諦めて、受け入れてしまえばいいと言う。

妹が魔女であること。

その魔女の復活は決められたことだから。

だから、ただ時の流れに任せればいい、と。


そんなこと、と思っても、私は妹を守ってやる方法が浮かばなかった。

あふれる涙と、産まれたばかりの妹の姿が浮かんでくる。

母の腕の中で、アリシアは産声を上げ、そして私の記憶も蘇ったのだ。

だから、きっと。

私とアリシアと魔女は、何らかの関係があるはず。

だから、止められるんじゃないか、と諦めることができない。


気分が悪くなって、私はその場に膝をつく。

ルイが慌てて私に駆け寄った。


「しばらく休め、セシリア」

「ルイ……」

「お前は少し離れていろ。お前の姉は、少し疲れているんだ」


本当のルイなら、怒鳴っていたはず。

かつて妹が勝手に屋敷へやってきた時なんて、凄い剣幕だった。

でも今はそうではない。

幼い子どもに言い聞かせるように、丁寧だった。


私はルイによって部屋に運ばれ、休む。

父娘揃って結婚式で倒れるなんて、おかしな話だ。

そんなことを頭の片隅で考えながら、本当は魔女の気配が確実に近づいていることも分かっていた。


アリシアは、私の大事なアリシアであってほしい。

この世界を滅ぼして、世界で1人になってしまうつもりなのだろうか。


ふと横を見ると、母がいた。

少し驚いて、目が丸くなったと思う。


「ただの貧血よ、気にしなくていいわ」

「お母様……」

「女の子はそれくらいなきゃ、可愛らしさもないわ」

「な、にを……」

「あら、貴族の娘の話をしているのよ。たまにはクラクラするくらいがちょうどいいの。いつまでも強気で突っ張って生きていたって、いいことないわぁ」


母のそんな声が遠のく。

この結婚式を境に、母との距離も縮まればいいな、と思っているが……。

正直、あまりそれに期待していない自分もいるのだ。


母の存在が、私にとって、重荷というよりは勝手に飛んでくる綿毛のように感じられた。



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