2人での話が終わると私はルイと手をつないで歩き出す。
この瞬間が大事なのだ、とハンスには言われていた。
本当の最初の共同作業。
それは2人で部屋を出る為に、ドアを開けること。
私にとって、2人でドアを開けることなんて大したことじゃないと思っていた。
別にドアなんていつでも開けられるし、扉の形式をしたものなんて、たくさん存在している。
でも、今はその感覚が違った。
彼とともに歩む為に、一緒に開ける。
だから、意味があるのだ。
ドアを2人で開けて、部屋を出た。
しばらく歩くと、家族だけが残った広間に通される。
特別な来客であるユーマを除いて、みんな家族だ。
でもお兄様の訓練に付き合ってもらっているから、半分家族と言ってもおかしくはないかもしれない。
「坊ちゃま……いえ、旦那様」
ハンスはやっと彼が幼き日から知っている少年ではなく、このグラース家の当主になったのだと感じられたのだと思う。
幼い頃から知っているから、どうしても坊ちゃま呼びが抜けていなかった。
でもそれは、ハンスにとっては大事な甥への愛情でもあったのだろう。
「ご結婚、おめでとうございます」
「ありがとう、ハンス」
「亡きご当主に代わり、このハンス、旦那様のご結婚を見届けることができ、嬉しく思います。亡き大奥様もさぞお喜びだと思います」
「……ハンス、伯母もきっと喜んでくれていると思う」
「はい、そうであると思っております」
そう言った時、ルイは少しだけアリシアを見たと思う。
今、ルイの伯母であり、ハンスの妻の魂は、アリシアの中にある。
いつか魔女となって、また戦争を引き起こすかもしれない。
けれども、家族はここに揃っていた。
何も知らないアリシアは、ただ幸せな結婚式に招待された妹として、喜んでいた。
可愛らしいドレス。
綺麗な金髪に澄んだ青い瞳。
本で見たままのアリシアは、本当に私の妹なのかと思ってしまうくらいに愛らしいのだ。
「奥様」
「はい」
「ここにおりますグラース家に仕える者は皆、騎士団の出身でございます。皆、命に代えても奥様をお守りし、グラース家をお守りいたします」
「……命に代える必要はありません。必ず生き残って、天寿をまっとうするその日まで、私を守ってください。それが私の願いです」
私は、誰かの代わりに生き続けたいとは思わない。
一度死んだ苦しみを味わっているから、その苦しみを誰かに味わわせたいとは思わないのだ。
私の言葉を聞いて、マリアさんが声を上げて泣いた。
お兄様は、立派な格好をしていた。
本当に騎士だったのだ、と思う格好で、穏やかに微笑んでいる。
「セシリア」
「お兄様」
「お前に心配をかけ続ける兄ですまない。僕の事情ももうすぐ終わるから、それまでしばらくルイを貸しておいてくれよ」
「もう、お兄様ったら」
「僕は、ルイと兄弟になれてとても嬉しい」
共に戦場を駆け抜けたから。
共に学び、切磋琢磨してきたのだろう。
だから、お兄様はルイとのつながりが嬉しかったのだと思う。
兄弟になることが叶った今、お兄様は本当に笑っていた。
いつものヘラヘラした調子など見せない。
それを見て、なんだかお父様の方が小さく感じてしまうほどだった。
お父様はまだ養生の為に休んでいる。
お母様が代わりに私の前に来た。
「綺麗だわ。あなたを娘に選んでよかったと思う」
「お母様……」
「赤い髪が燃える花のよう。緑の瞳は、新しい芽吹き。美しくて、しなやかで、強い娘だと信じていた」
真面目に語るお母様に、私は驚きつつも、素直に言葉を受け取った。
今まで自由奔放にしていたお母様が、私のことをしっかりと見て話をしてくれる。
それだけで嬉しいことだし、家族として前に進んだと思いたい。
「アリシアと姉妹にしてよかったわ」
「お母様……」
「幸せになりなさい」
私の幸せ。
それを今までずっと考えないようにしていた。
でも、やっと形が分かった気がする。
新しい世界に転生して、ルイに出会えて。
いろいろなことがあって、恐いことも苦しいこともあったけれど、私は十分に幸せになれると思った。
「お姉様」
「アリシア」
「お姉様、幸せになってくださいね」
「ありがとう、アリシア。そうだわ、ブーケはあなたにあげる。次の花嫁に慣れるのよ」
「そんな!わ、私はまだこれから学園に行く年ですよ!」
花束を渡したら、アリシアは困って顔を真っ赤にしていた。
可愛い妹。
あの物語のように、このまま幸せになって欲しい。
どうか、魔女よ。
お願いだから、出てこないで。
どうか、このまま。
アリシアをアリシアのままで、居させてあげて。
歴代の話を聞く限り、それは叶わぬ夢だと分かっている。
いつの日か魔女として覚醒した娘は、魔女に支配され、すべてを失うのだ。
記憶も心も、すべてが魔女になってしまう。
自分の愛した人とさえ、敵対する。
どうか、どうか、それが来ないようにできないだろうか、と姉である私は思うのだ。
ルイやハンスも、思い続けたに違いない。
魔女によって失われた大切な人を、もう一度取り戻したいと願っていたに違いないのだ。
可愛らしいアリシアの手に触れた時、私の中に知ることのなかった世界が見えた。
それは、どうして見えたのかとか、理由は、方法は、なんて細かいことは分からない。
ただ、アリシアを通して私に見えた『過去』のようなものだ。
若き日のハンスと一緒に歩く姿。
産まれたばかりのルイを抱きしめて、一緒に幸せを感じる。
それ以外にも、燃える戦場でただ立ち尽くし、周囲の屍を見た。
自分に斬りかかる剣士。
非難する大勢の声。
何なの、これは!
こんなのアリシアじゃない!
そう思った瞬間に、どこかで聞いたことのある声がした。
女の声は、ただ私にすべて諦めて、受け入れてしまえばいいと言う。
妹が魔女であること。
その魔女の復活は決められたことだから。
だから、ただ時の流れに任せればいい、と。
そんなこと、と思っても、私は妹を守ってやる方法が浮かばなかった。
あふれる涙と、産まれたばかりの妹の姿が浮かんでくる。
母の腕の中で、アリシアは産声を上げ、そして私の記憶も蘇ったのだ。
だから、きっと。
私とアリシアと魔女は、何らかの関係があるはず。
だから、止められるんじゃないか、と諦めることができない。
気分が悪くなって、私はその場に膝をつく。
ルイが慌てて私に駆け寄った。
「しばらく休め、セシリア」
「ルイ……」
「お前は少し離れていろ。お前の姉は、少し疲れているんだ」
本当のルイなら、怒鳴っていたはず。
かつて妹が勝手に屋敷へやってきた時なんて、凄い剣幕だった。
でも今はそうではない。
幼い子どもに言い聞かせるように、丁寧だった。
私はルイによって部屋に運ばれ、休む。
父娘揃って結婚式で倒れるなんて、おかしな話だ。
そんなことを頭の片隅で考えながら、本当は魔女の気配が確実に近づいていることも分かっていた。
アリシアは、私の大事なアリシアであってほしい。
この世界を滅ぼして、世界で1人になってしまうつもりなのだろうか。
ふと横を見ると、母がいた。
少し驚いて、目が丸くなったと思う。
「ただの貧血よ、気にしなくていいわ」
「お母様……」
「女の子はそれくらいなきゃ、可愛らしさもないわ」
「な、にを……」
「あら、貴族の娘の話をしているのよ。たまにはクラクラするくらいがちょうどいいの。いつまでも強気で突っ張って生きていたって、いいことないわぁ」
母のそんな声が遠のく。
この結婚式を境に、母との距離も縮まればいいな、と思っているが……。
正直、あまりそれに期待していない自分もいるのだ。
母の存在が、私にとって、重荷というよりは勝手に飛んでくる綿毛のように感じられた。