しばらく母の看病を受け、私は次第に疲れを癒していく。
結婚式のドレスに緊張していたのか、食べすぎたのか、色々なことが頭に浮かんだけれど、一番考えられるのは妹のことだ。
あの子のことが頭から離れなくて、ついには自分が幻覚のようなものまで見てしまったんじゃないか、と思う。
いや、あれは幻覚ではなかったかもしれない。
あれこそ、魔女の記憶。
アリシアの中にある魂が、何度も転生するうちにその魂に刻み込んだものではないか。
私にとって、アリシア以外の思い出は知らないものであったけれど、そこに出てくる人たちに幾つか思い当たる顔はあった。
ハンスやルイなど、今も私の側に居てくれる人たちの存在だ。
魔女は、これから先必ず私を苦しめる。
でも同時に、アリシア自身も苦しめて、家族も苦しめるだろう。
ルイやハンスはまたその苦しみを味わうことになる。
そんなこと、と思った時に視界に母の顔が入った。
「あなた、寝ないのね」
「あ、いえ、その」
「子どもの頃もそうだったわ。部屋に1人でいて、本ばかり読んで。あなた文字の読み書きを覚えるの早かったわよねぇ。まあ妹ができれば誰でもお姉ちゃんって気持ちになれるものね」
母が笑う笑顔は、まさにアリシアと同じだ。
でも母娘でこんなに似ているものかしら、と疑問にも思う。
そう思いながら、確かに私の読み書きが早かったことは認める。
だって、アリシアが生まれた時に私の記憶は転生前のものを取り戻したのだから。
それくらいアリシアの誕生(つまりは再会?かしら)が衝撃的だったのだと思う。
確かに、あの本はすごく好きだった。
すごく好きで、好きで、シリーズをそろえて隠し持っていたくらいだ。
だから私は、アリシアの誕生が心の底から衝撃だったのだと思う。
世界は、ここから始まった!と叫び出したくなるくらいに。
私にとって、世界は雨に濡れず、食事が出て、母が笑う程度のものだった。
そして本を読むこと。
老舗旅館の手伝いしかしてこなかった私にとって、それ以外をしたことがなかったのだから、仕方ない。
私は、そのためにあの家にいたのだから。
でも転生した後は違う。
孤児院から運よく引き取られて、ただ貴族の家で、養女として育てられただけ。
ただそれだけのこと。
だから、友達が欲しいと思うこともなかったし、ただ静かに本が読めるだけで幸せだったのだ。
あれ、私はどうしてそんなことを思い出していたんだっけ。
そうか、母の顔を見たから。
母の顔を、とても久しぶりに見た気がしたのだ。
あれ、私は結婚式に出ていたはず。
私とルイの大事な結婚式だった、はず。
どうして。
「あなた、まだ混乱しているのね。もう少し休んだ方がいいわ」
「お、かあさ、ま」
「気にしなくていいわよ、どうにかなるもんだから。そう、人生って」
なんのはなしだろう。
ははのいっていることがとおのいて、わたしはめをとじた。
体中が重たく感じられて、苦しくなってくる。
恐くて、寒くて、どうしてこんな目にあっているのだろう、と感じた。
なれないと思っていた花嫁になることができたのに、ルイとこれからを歩むことができるというのに、私は何をしているというのだろうか。
誰かにたたき起こされて、目が覚める。
目が覚めたそこは、かつての私の部屋。
老舗旅館に併設して建てられた家の1つ。
私の部屋は畳の臭いがして、寒くて、嫌な部屋だった。
跡取りはこの部屋で暮らすもの、この旅館の血筋の者は、この部屋で成長するのだと祖母からきつく言われていた。
違う、違う。
私は叫んで飛び起きた。
「セシリア!」
「ルイ!ルイ、私は!」
「安心しろ、お前は寝ていていいんだ。少し体調が悪かっただけだ」
「はあ……はあ……わ、私の、部屋が」
「ここはお前と私の部屋だ。結婚式の後は一緒にすると言ったじゃないか」
そんな話をしていたのが、遠い昔のように感じられる。
おかしいな、頭の中が滅茶苦茶だ。
転生前のことと、今が、一緒になってしまっている。
「セシリア」
「私、嫌な部屋に住んでいたんです。昔、ずっと昔から」
「そうか」
「寒くて、1人で、離れていて……」
「この部屋はそんなことはないはずだ。代々グラース家の当主とその妻が生活している部屋だからな」
そう言われて、私の視界には綺麗な部屋が見えた。
今までのルイの部屋とも違う。
綺麗な壁紙に、花瓶には美しい花。
落ち着く香りがして、大きな鏡もある。
「グラース家は妻を娶った後に、この部屋の使用が許可される。同時にそれは、伴侶を愛する証とも言われているんだ。伴侶がいない当主や、先立たれた当主はこの部屋での生活を禁じられている」
「こ、この部屋は……」
「俺とお前の部屋だ。だから長生きしてくれよ、俺の花嫁。俺は長くこの部屋で暮らしたいんだ。この部屋は両親の思い出がたくさんあるからな。かつては祖父母もここで暮らしていたんだ」
思い出のある部屋。
それは、同じ言葉のはずなのに。
私の生きていた部屋と、新しい主を迎えた部屋は大違いだ。
ルイは微笑み、ベッドに横になる私を見た。
「長生きしてくれるか」
「ルイ……」
「お前が長生きしてくれるなら、俺も長く生きたいと思える」
彼は優しく言った。
家族を失った彼が、また家族を手に入れる。
その行動だけで、とても大変だったことだろう。
騎士団長の花嫁探しは、偶然が重なって私になったけれど、元々はとても大変なはずだ。
私は彼にとって、新しい家族。
そして、この思い出の部屋で一緒に暮らしたい相手。
彼が選んだ、彼の為の相手だ。
「私で、いいんですね」
「今更聞くな」
「だって……私は」
「話をしただろう。母の本を愛するお前に、恋をしたのは俺なんだ」
「はい……」
愛されていいのだと知った。
この世界で、この場所で、この人の側で。
私にとって、それは世界の始まりだ。
この世界は、終わりではなく始まり。
ルイと共に作り上げていいのだと、神様が与えてくれた新しい世界。
「おいおい、泣かないでくれよ」
「だって、ルイ」
「本当は、両親にもセシリアを会わせたかった」
「私も、お会いしたかったです……」
「でも、2人の犠牲があったから、今がある。感謝をしなければ」
2人が命を賭して、魔女から守ってくれた世界。
だから私は生きている。
だから私は彼と出会えた。
それが、幸せだ。
「疲れは残っているだろう。明日か、明後日まで。無理はしなくていい。もうすぐカリブスの決闘を支援しに行くが、その結果が出るまでは、お前もゆっくりしているといい」
「お、お兄様の……!」
「結婚式の後で早々に悪いが、立て込んでいる。でもこれが済んだら、俺はカリブスを騎士団に戻すつもりだ」
「ほ、本気ですか!?」
「ああ。国王陛下にも相談する」
「でも、その、そうなると……ウォーレンス家が」
「その話だが、事業自体はグラース家が吸収する。家督はカリブスに継がせて、事業の基本的な運営はセシリアがやるといい」
わたしが。
やる。
え!?
「な、な、なな!?私がですか!?」
「その通りだ。家督はカリブスが継ぐが、カリブス自体は騎士団に復帰させる。国王命令を出してもらうからな」
「ちょ、そ、そんなこと、できるんですか!?」
「国王はカリブスを気に入っていると話しただろう」
「そ、そ、それとこれは話が違うのでは!?」
「いや、大差ない」
騎士団長は大きな懐を持っていないといけないと、常々思っていた。
でも、これは大きすぎ、というか。
お兄様の意思を無視して、騎士団に復帰させるなんて……。
本当にそんなこと、できるのかしら。
そ、そうだ、それと同時に。
「わ、私が、事業を……するのでしょうか?」
本当にできるのか!?
むしろ、できないんじゃないか、と思ってしまうのだけれど。
ど、どうしよう……。
私は不安ばかりが募っていた。