貴族の結婚となれば、それはそれは盛大に祝われるものだ。花嫁は着飾り、思い思いのドレスを選ぶ。花婿はそれに見合った資金を持った存在が、最善とされる。美しい花嫁も、金持ちの花嫁も、すべてが幸せそうにして歩いていく。しかしルイフィリアの見つけた娘はどうだろうか。
ハンスは、こんなことでルイフィリアの恋愛が躓こうものなら、と不安を解消すべく動こうとした。だが、そんな心配をよそにルイフィリアは学園の図書館に何度も足を運んでいく。こんなに活発にしている彼の姿は滅多に見ることがなく、それが片恋のためであることも、誰も知らなかった。知らなかっただけでなく、想像すらしていない。こんな一面が彼にあったなんて―――
「今日も坊ちゃまは学園ですか!?」
ハンスがマリアに尋ねると、困ったような顔でマリアも言う。
「そうなんですよねぇ。また学園みたいで」
「お忍びとはいえ、回数が多いのでは?」
おかしな貴族が学園に何度も足を運んでいる、なんて噂が立ったら。そんなこともハンスの不安である。ルイフィリアは幼い頃から、目に入ったことを真っすぐに進んで行く人間だ。真っすぐで誠実、真面目で素直。だからこそ、こんなに彼が夢を見ているなんて、想像もしなかった。運命の相手がいるなんて、戯言同然の話である。
「でもあの坊ちゃまが、通い詰めているからですねぇ」
「あのカリブスの妹とは……」
困ったようなため息交じりの声で、ハンスは言う。それを聞いて、マリアは驚いた声を上げた。
「あら!カリブスの妹ですか?」
「養女なのでカリブスと血は繋がっていないようですが、どんな娘か……心配で」
「坊ちゃまが気に入ったのだから、気にしないことですよ」
そんなものだろうか、とマリアの言葉を聞きながらハンスは思う。確かに、今までルイフィリアが人で失敗したことはない。間違えた人選をしたことなど、一度もないのだ。しかし今回は結婚相手。これから生涯を共にする相手が、どんな娘であるのか、ハンスは気が気ではない。先に死んだ、先代の騎士団長にも顔向けできないことにならなければ、と思う。
一方ルイフィリアは、学園の図書館に来ていた。来賓用の扉から入り、くれぐれも騎士団長と分からぬよう、と司書から忠告されている。学園の図書館は、いつ誰が利用してもいいようになっている。国で一番の図書館であり、来賓の出入りも多かった。ここで見初められる可能性もある、と学園の生徒たちは噂していたが、それは滅多なことでは有り得ない。
司書の厳しい目があり、多くの場合は来賓と生徒が一緒に過ごす時間はないからだ。しかしルイフィリアは本棚の間から、セシリア・ウォーレンスを見つけ出した。母の持っていた蔵書の多くを図書館に渡し、その本を気に入ったのがセシリアだ。ルイフィリアはただ本のことが気になっただけ。しかし母の本を愛してくれるセシリアに、ルイフィリアは恋をした。
真面目な表情で、母の愛した本を読んでくれる娘。その赤毛と緑の瞳は、母によく似ている。懐かしさと温かさ。そして、本を読む姿にルイフィリアはとても気持ちが落ち着いていた。母の本がこの図書館ならば大切に扱われることは理解している。しかし誰が読んでくれるのかまでは、考えたことがない。そんな中、セシリアに出会う。
しかし、ルイフィリアはセシリアに話しかけることができなかった。ここでは、来賓と生徒が一緒に話をすることは禁じられている。声をかけることも禁止行為。だから、ただひたすら見つめるしかない。変質者と疑われないように、そっと覗く程度。しかしそれでも、セシリアの本へ向ける視線は熱く、美しかった。長く伸びた髪は緩く波打ち、その美しさは母にはないもの。きれいな指先も、騎士団にいた母にはないきれいさ。
生きる世界の違う2人。しかし同じ本を眺めて、同じ本を手に取っている。同じようで違う2人。ルイフィリアは、最初こそ母の面影を彼女に見たが、最終的にはセシリアの美しさと知的さに惹かれていった。恋とはこんなに焦がれるものなのか―――家族を失った哀しみとは違うもの。揺さぶれる大きな思い。しかし、心地よいとも思ってしまう。
帰りの馬で、ルイフィリアは何度も思った。セシリア・ウォーレンスならば、グラース家にふさわしい存在だ、と。彼女ならば自分の妻となり、多くを助けてくれるのではないか、と感じ取っていた。
こうして、ルイフィリア・レオパール・グラースは、数多くの縁談話を断って、偶然出会った娘との結婚を熱望する。それが友人の妹となれば、不安もない。養女なので、ウォーレンス家の血筋ではないにしても、優秀で努力家。常に成績もよく、令嬢として立派だと知り、ルイフィリアは安心した。ハンスもそれらを知って、安心したようである。カリブスにこんな妹がいた、とは誰も知らなかったのだ。カリブス自体も、妹の話をあまりするような男ではない。極力家族の話は避けていたので、セシリアが養女であることを気にしていたのかもしれなかった。
最初の書状を書いたルイフィリアは、それを執事へ持たせた。カリブスのいる家にハンスを送ることはできないので、まずは別の者からだ。しかし返事はなかなかやってこない。確認すれば、セシリアの父親が仕事で出ているという。貿易商であるセシリアの父親は、自身も現地に足を運ぶ多忙な日々。息子が帰ってきたというのに、大して家業に向いていないことも分かったようで、より一層忙しくしているようだった。
「返事はまだか、ハンス」
「まだのようです。ウォーレンス商会はまだ戻っていない、と港から連絡がございました」
「そうか。はぁ…」
今まで幾つも幾つも縁談を断ってきたというのに、今のルイフィリアは返事が待ち遠しいのである。仕事をしている時でも、何をしている時でも、彼は常にセシリアのこと、セシリアを嫁として娶ることだけを考えていた。
「坊ちゃま、後数日はかかりますのでお気を長くお待ちください」
「そうだな。まあ、ウォーレンスの家が資金を欲しがっているのは確実だ。早めに面倒なことは片付けて、セシリアを迎え入れたい」
「はい、承知いたしました」
「そうだ。騎士団を引退した者を積極的に採用しろ。庭師もメイドもだ」
ルイフィリアは、先の大きな戦争で騎士団として動くことが厳しくなった者たちの行く末を案じていた。何か働き口を見つけてやろう、といつも考えているが、実際のところはなかなか難しい。そのため、騎士団の鍛錬を教える役、料理番、鍛冶屋などさまざまな職を探していやっている。その中で、最近力を入れているのがグラース家の使用人だ。グラース家の使用人ともなれば、給金も多く支払える上に、今後の護衛にもなる。前線には戻れない傷を負った者の多くを、ルイフィリアは優先的に雇うことにしていた。
「承知しました。坊ちゃま、後ほど騎士団を引退した者の一覧を準備いたします」
「頼む」
「名目上、完全に騎士団との関係性を切ってしまうといけませんので、騎士団にも所属しつつ、屋敷でも雇うという形をとっております。本人たちにも了承の上です。また、今後坊ちゃまがご結婚された際は、奥方の護衛も考える必要があるかと」
貴族の娘が嫁に来る―――それは先代が選ばなかったこと。ルイフィリアの母は、異国から来た女性だった。そして、騎士団でもあったので護衛など不要だったのだ。しかし、次の娘は話が違う。ルイフィリアとハンスは、綿密な計画を立てながら、花嫁を迎え入れる準備に力を注いでいくのであった。