仲の良い両親を見ていたので、ルイフィリアはそういう夫婦像を捨てきれずにいた。幼い頃から、成人した今となっても、である。特に縁談話が来ると、令嬢の人となりをよく見ていた。彼にとって、結婚とはただの結婚ではない。グラース家を引き継ぎ、いずれは自分の側で支えてくれるような女性を求めている。
しかし、ルイフィリアはそれを誰にも話さなかった。運命は必ず自分に訪れると思い、ただひたすら待ち続けたのである。そうしているうちにまた数年が経ち、戦禍がひどくなり、ついに家族がみんな死んでしまった。愛した家族を失って、ルイフィリアはただ1人残される。騎士団長を引き継いだものの、彼は常に心に空いた穴をふさぎたいと願ってしまう。それがどんなものでふさがるのか、どうやってふさげばよいのか、その時の彼にははっきり分かっていなかった。それくらいに、魔女との戦争は悲惨なものだったのだ。
友人であったカリブスも騎士団を離れ、父も息を引き取った。失うことが続いたルイフィリアにとって、屋敷自体が苦しいものになっていく。ハンスは副団長を辞めてルイフィリアの側にいてくれると言ったが、騎士団への責任を捨てられなかったルイフィリアは、ハンスに騎士団にも残って欲しいと懇願する。本来ならば若手に副団長を譲らねばならない、と分かっていた。分かっていたが、それができない。できないことも、分かっていた。
屋敷には幼い頃からの思い出がたくさん詰まっている。弟と遊んだ庭や部屋が、とても懐かしい。馬小屋には両親が残した馬がいて、ルイフィリアは度々その馬小屋に通っていた。子どもの頃と同じ場所なのに、違って見える。違っているのに、同じ場所。彼の心の穴は、埋まることなく時間だけが過ぎていった。
時間が過ぎれば、ルイフィリアは騎士団長として国を守り、騎士団を動かさねばならなくなる。それがどれほど辛いことだったか。側に居続けたハンスはそれを見つめ、支えるしかなかった。
「坊ちゃま」
「なんだ、ハンス」
騎士団の仕事をこなすルイフィリアは、弱音を吐かない。しかしそれも長くは続かない、とハンスは思う。だから早く妻を娶らないか、と提案したのだ。しかしルイフィリアは乗り気ではなかった。
「ハンス、お前の気持ちは嬉しいが、今はそんな気分じゃないんだ」
「失礼ですが、坊ちゃま。その、ご結婚には適齢期というものもございます。あまりお年を召してからのご結婚は、お相手も見つかりにくくなりますし、子どもを持とうと思えば難しくなることもあるかと」
ハンス自身、子どもに恵まれなかった。妻はハンスと結婚し、その後、魔女として覚醒している。夫婦で過ごした時間も短く、そして子どももいない。その分、ルイフィリアやフォールスを可愛がってくれたのだ。だからこそ、子どもを持ちたいと願うならばどうすべきか、ハンスはよく分かっていた。
「そうだな。だがな、ハンス……そんな気分になれないんだ」
それは相手にも失礼だろう、と寂しさを含んだ赤い瞳が、こちらを見ている。ハンスは何も言えなくなり、ただルイフィリアの側で見守ることしかできなかった。ルイフィリアは日々気分の上がり下がりを繰り返し、ひどい時には1人で馬を乗り回して長く屋敷に戻らないこともある。しかしそれを止めてしまえば、彼の心も張り裂けてしまうのではないか、とハンスは感じていた。
彼はまだ若い。若くして家族を失い、その哀しみを癒す方法を知らない。
美しい令嬢も、可愛らしい令嬢も、パーティーではルイフィリアに近づきたいと明るい声で話しかけてくる。しかしどの娘を見ても、彼の心は動かないのだ。偽物の巻き毛、偽物の乳。財産を食いつぶすような浪費癖、使用人を虐げていることなど、彼はすべてを知って、縁談を断っていく。ハンスは、確かに彼の意見が正しいとは思ったが、このままでは本当に1人きりになってしまうのではないか、と不安を感じた。ハンスの命も永遠ではない。いつの日か、ルイフィリアを置いて去らねばならない時が来る。そちらの方が早かったら、と思ってしまうのだ。
しかし、そんな不安を他所にルイフィリアは度々出かけることが増えた。馬に乗って、遠出しているようだ。どこで何をしているのか、とハンスが問うと、魔女に関する情報を集めている、と言う。しかし次第に、しどろもどろになっていき、何か隠しているのか、ハンスにさえ言えないことがあるのか、と感じられることが増えていく。
だからと言って、帰って来ないわけでもなければ、素行が悪そうな雰囲気もない。むしろ、楽しそうにしている日もあれば、静かな日もあり、ハンスはルイフィリアの病気を心配した。彼は心を病んでしまったのではないか、とハンスは心配したのだ。日々の騎士団の厳しい運営や、家族を失ったことによる哀しみが、ルイフィリアを狂わせたのではないか、と。
だが、ある日ルイフィリアはハンスにすべてを告白した。それは、学園で見つけた娘と結婚したい、という話である。しかもその娘は、かつて騎士団に所属していたカリブス・ウォーレンスの妹。彼女のことを見るために、何度も学園の図書館に通っていたというのである。それらを聞いて、ハンスはルイフィリアが純情なのか、本当に運命を信じているのか、分からなくなっていた。
「赤毛に緑の瞳をしていて、とても知的な娘だった」
「坊ちゃま、お2人でどのようなお話を……」
「いや、まだ話は何もしていないぞ」
ただ遠くから見つめるだけ―――ルイフィリア・レオパール・グラースの初恋である。その初恋は、兄妹ほど年齢の離れた娘への片恋であった。ハンスの心配をよそに、ルイフィリアは娘と結婚する手っ取り早い方法を考え、実行に移そうとする。まずはウォーレンス家を調べては、と提案しても、カリブスの実家ならば平気だと彼は言い切った。そして娘の知的さや、穏やかさを遠目からでもすでに感じ取っているようである。
「坊ちゃま、まずはウォーレンス家に縁談のお話を通してください」
ハンスは正直呆れていた。幼い頃から知っている彼が、やっと運命の相手に出会ったと浮かれている。しかしそれは、きっと彼が気づかないだけで、ずっと近くにいたのかもしれない。実母によく似た容姿の娘―――赤毛に緑の瞳。それも決め手であることは、容易に想像できた。
「カリブスに話すか」
「いえ、カリブス様はまだ家督を継いでおられませんので、カリブス様のお父上です」
「そうか。ではいくらほど準備すればいい?」
「坊ちゃま、その、資金だけの問題では……」
その娘にすでに許嫁や婚約相手がいないとも限らない。その場合、相手との約束を破棄してもらうか、諦めるかしなければいけなくなる。そんな想像もできないほどに、ルイフィリアは娘に恋焦がれているようであった。
「坊ちゃま、本当によろしいのですね?」
「構わん!」
10も年下の娘を嫁にもらうことは、ないわけではない。しかし多くの場合が、それは政略結婚だと見なされる。若い娘が、地位や金のために嫁ぐのだ。まさにその道を進んでいるとも気づかず、ルイフィリアは1人浮かれている様子であった。ハンスは不安になる。今まで、本当に女っ気のない子だった。親族として、騎士団の仲間として、側でずっと見てきたが、こんなことになるとは思っても見なかった結果である。
いや、結果はまだ出ていないのだ。
その娘が本当にグラース家に嫁ぎ、騎士団長の妻になってくれるかどうかは、誰にもまだ分からなかった―――