ハルとリーヴは、相変わらず二人だけの時間を過ごしていた。とはいっても、今は思い悩んでいるリーヴの気持ちを、ハルがどうにかして落ち着かせてあげようとしている、そんな状況だった。
「……ハル。ワタシ、ハルと出会って、から、ずっと、思っていたことが、あるの……」
ふと、リーヴがハルに向けて小さくつぶやくように言葉を向けた。それは、どうやらリーヴがハルに対して、なんらかの思いを抱いていることを告げようとしているものだった。
「んっ? なんだい、リーヴ? 思っていたことがあるなら、遠慮なく言ってごらん?」
ハルはリーヴに余計な刺激を与えないように気を付けながら、彼女に話の続きをするよう促した。いずれにしろ、ここで彼女の思いを聞き出さないことには、話の進展を望むことなどできるはずもない。
「……うん……。ワタシ、なにも、分からなかった、時、ハルに、いっぱい、教えて、もらった……。ワタシの、名前も、ハルに、付けて、もらった、もの……」
リーヴは、一つ一つ確かめようとするかのように、自分の思いをハルに伝え始めた。それを聞きながら、ハルはリーヴと出会ってから、実に色々なことがあったのだなと、これまでの経緯を振り返っていた。
もっとも、リーヴが今のように言葉を話せるようになったのは、アイラが用意してくれた睡眠学習プログラムによるところが大きいのだが、それ以降という話になると、やはりハルの影響を無視することはできない。
「うん、そうだね」
「……それでね、ワタシ、ずっと、ハルと、一緒、だった……。ハルと、一緒なら、ワタシ、なにも、怖く、なかった……」
ハルが頷いて返事をすると、リーヴは続けて自分の思いをハルに告げていった。確かに、思い返してみれば、あの時からずっと、自分はリーヴと一緒だったなと、ハルは小さく微笑んだ。
「怖く、なかった……?」
「……うん。だから、ワタシ、ずっと、心で、願って、いたの……。ハルと、一緒に、いたい……。ハルと、絶対に、離れたく、ない……。これからも、ずっと、ハルの、そばに、いたいって……」
リーヴの話を聞いていくうちに、ハルは、いつの間にか自分の存在が、リーヴにとって大切なものになっていた、ということを実感させられていた。
ありていな表現を使えば、リーヴにとってハルは「かけがえのない存在」ということになるのだろう。ただ世話をしてくれているとか、自分の名付け親になってくれたとか、そういうところをはるかに超越した領域に、今のリーヴの思いはある。
「俺と、一緒に、いたいって……」
「……ずっと、毎日、ハルと、一緒に、いたい……。そう、願い、続けたの……。そうしたら、ね。……ハル、ずっと、ワタシと、一緒に、いてくれる、ように、なった……」
そこまで聞いたところで、そういうことだったのかと、ハルは改めてリーヴの深い思いを痛感させられることになった。
ハルと一緒にいたいという、リーヴの強い願い。その願いに応えようとするかのように、ハルは今までリーヴの面倒を見続けてきた。
そして、アイラもガルディンも、さらには途中で合流したアッシュでさえも、ハルとリーヴが一緒に過ごすことに対して、特別反対意見を述べるようなことはしていない。
「そうなんだ。でも、俺はリーヴと一緒にいることが、結構楽しいけどなぁ」
「……ワタシ、ハルのこと、とっても、感謝、している、の……。ワタシが、今、こうして、いられるのも、ハルの、おかげ、だから……」
ハルが若干照れた様子で返事をすると、リーヴはさらに追い打ちをかけるようにハルに対して感謝の言葉を述べた。
睡眠学習プログラムによって、こうした言葉の使い方も当然のように覚えているであろうが、それをこうしてリーヴ自身の口から直接聞かされるというのも、ハルにとっては背中がこそばゆくなる思いだった。
「ありがとう、リーヴ。そう言ってもらえて、俺も嬉しいよ」
「……でも、ワタシ、もう、ハルと、一緒に、いられない、かも、知れない、の……」
ハルがリーヴの感謝の言葉に嬉しい感情を添えて応じた。しかし、次に発せられたリーヴの言葉には、先程までとは違った、物悲しい雰囲気が込められているように感じられた。
「どうしたんだい、リーヴ? 急に、そんなことを言うなんて……」
「……ワタシ、ハルの……、みんなの、役に、立ちたい、って、思って……。そうしたら、ちょっと、色々、できるかな、って、思って……。でも、ワタシが、なにかする、たびに、みんな、ビックリしちゃって……」
一体、リーヴは何故自分と一緒にいられない、などと言い出したのか。ハルがその疑問の理由を尋ねると、リーヴは力ない声色で自分の思いをハルに告げていった。
ハルは、言われてみれば確かにそうだったかも知れないと、今一度これまでの経緯を振り返っていた。自分たちがなにか困ったことに遭遇すると、リーヴがそれを解決する手がかりを示してくれる。
そのおかげで、自分たちはあの集落跡に潜入することができたのだし、特別なコンピューター端末を発見することもできた。
もしかしたら、リーヴが最初に巨獣から自分たちを護ってくれたのも、巨獣から自分たちを護りたいという、リーヴの強い願いによるものだったのだろうか。
「……だから、あの人が、助かった、のも……、きっと、ワタシの、願いの、せい、なの……」
そこまで聞いて、ハルはリーヴが本当に言いたいことをようやく理解するに至った。つまり、リーヴにはなんらかの形で自分の願いを現実にする力がある。
巨獣の襲撃からアジトを護ったのも、あの集落跡に潜入するキーコードを発見したのも、全てはそうしたリーヴの願いの具現化によるものだった、というのだろうか。
しかし、もしそれが事実だとすれば、自分が今こうしてリーヴと一緒にいるのも、一緒にいてほしいというリーヴの強い願いによってそうさせられている、ということになるのだろうか。
「……ワタシ、もう、みんなに……、ハルに、迷惑を、かけたく、ないの……。ワタシが、なにかを、願うと、みんなが、ハルが、苦しい思いを、しちゃう、から……」
そう話すリーヴの両肩が、小さく震えているのを、ハルは見逃さなかった。こんな小さな身体に、これほどの強い願いを、今までずっと抱えていたというのだろうか。
リーヴの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちていくのが見えた。涙はリーヴの膝の上に一滴、また一滴とこぼれ落ち、膝の上を小さく濡らしていく。
「それは違うよ、リーヴ」
このままでは、リーヴは自分の力に心が押し潰されてしまう。ハルは、リーヴの心を優しく包み込もうとするかのように、そっと彼女を抱き締めた。
「……えっ? は、ハル……?」
「俺は、誰の命令でキミと一緒にいるわけじゃない。俺がそうしたいから、俺がキミと一緒にいたいから、俺はこうしてキミのそばにいるんだ」
不意に抱き締められ、涙が止まるほどの驚きに包まれていくリーヴ。そんなリーヴの心に安らぎをもたらすことができるのは自分しかいない。ハルはその思い一つで、リーヴにそっと語りかけた。
「……ハル……。で、でも、ワタシは、ワタシ、は……」
「確かに、キミが一緒にいてほしい、って言ってくれているから、というのは事実だよ。でも、俺はあくまで、自分の意思でキミの願いに応えたいって思っているんだ。決して、自分以外の力に動かされているとか、そういうことは決してない」
困惑が消えないリーヴは、ハルにどう返事をすればよいか分からなかった。ハルは、そんなリーヴをなおも抱き締めたまま、自分が彼女と一緒にいるのは、他ならない自分自身の意思によるものだ、とはっきり告げた。
リーヴを抱き締めながら、自分の方に身体を寄せていくハル。リーヴが自分と一緒にいたいと願うのであれば、自分も元の姿に戻った地上をリーヴに見せてあげる。その願いを抱き続けることこそ、リーヴの切実な思いにきちんと向き合う、ということに他ならないのだから。。
「……ハル……、ワタシ、これからも、ハルの、そばに、いて、いいの……? ハルと、一緒に、いたいって、願っても、いいの……?」
「もちろんだよ、リーヴ。キミがそう願い続けてくれる限り、俺もキミのそばを絶対に離れたりしない。一緒に、美しい地上を取り戻そう。そして、できればキミと一緒に住めるようになると、俺も嬉しいな」
リーヴは涙で濡れた顔を隠そうともせず、ハルに自分の願いに応えてくれるのか尋ねた。その瞳には今も大量の涙が溜まっており、少しでもなにか刺激を与えれば、途端に溢れ出てくることだろう。
ハルはリーヴを優しく抱き締めたまま、小さく頷いて応えた。これが自分の出した答え。リーヴの願いに対する、自分の揺るぎない意思。それが、きっとリーヴを幸せにする一番の道であると、ハルは強く信じていた。
「……ハル、ハル……。ご、ゴメンなさい、ゴメン、なさい……。わ、ワタシ、ワタシ……」
ハルの返事を聞いたリーヴは、それまでこらえていたものがとうとう抑え切れなくなり、ハルの胸に自ら抱き付いて大きな泣き声を張り上げた。
今はハルとリーヴの二人しかいない。だから、リーヴが泣いている姿を誰かに見られてしまうこともない。しかし、たとえ誰かに見られたとしても、リーヴにはなにも関係がなかった。
ただ、リーヴにとってはこれからもハルと一緒にいられる。ハルがいつでもそばに付いてくれている。そのことが、リーヴの心になによりも強い歓喜となって響いていた。
「リーヴ、辛かったんだね。苦しかったんだね。いいんだよ、苦しい時は思いっきり泣いても。これからも、俺がキミのこと、ちゃんと護ってあげるからね」
ハルは、そんなリーヴの頭を優しく撫でながら、彼女の身体に余計な負担が掛かってしまうことのないよう、適度に力を入れて抱き締め返した。
思えば、これほどに大声を張り上げて泣いているリーヴを見るのは初めてだった。今まで、あまり感情を表に出すことがなかったリーヴが、今こうして彼の前でその感情をさらけ出している。
それもまた、彼女が持つハルへの強い信頼の証なのだろう。ハルはこれからもその信頼に応え続けなければならないと思いながら、美しさを取り戻した地上で彼女と過ごす未来を思い描くのだった。