「フゥ。すまないね、いきなりアンタを連れてきちゃって」
「いえ、俺は大丈夫ですよ。アイラさんたちが色々調べてくれているおかげで、俺はリーヴのことに集中できますし。これぐらい、どうってことないですよ」
ハルはアイラと共にコンピュータールームの隣の部屋に移動していた。すでになにも使われていないこの部屋は、文字通りの殺風景なもので、コンクリートの壁で覆われた無機質な風景が、乾いた空気を演出していた。
ハルの肩上では、相変わらずリーヴが小さな寝息を立てながら夢の世界に身を躍らせている。今は一体どのような夢を見ながら、ハルを抱き締めているのだろうか。
「それで、アイラさん。俺に話っていうのは、どういうことでしょうか?」
「あぁ、そうだったね。いや、実は、この話はアンタにしか聞かれたくないっていうか……、その、リーダーとアッシュには、あまり耳に入れてほしくない話なんだけど……」
改めてハルが話を切り出した時、アイラは何故か煮え切らない態度をハルの前で示した。この状況で、ハル以外には聞かれたくない話とは、一体どういう内容なのだろうか。
「えっ? アイラさん、どうかしたんですか?」
「んっ? まぁ、大したことじゃないかも知れないんだけど、最近、ちょっと気になることがあってさ……」
一体アイラはなにをそれほどに迷っているのか。首を傾げる思いを抱きながら、ハルはアイラに再度問いかけた。
「アンタさ、最近のアタシたちって、なんだか奇妙だと思わないかい?」
アイラがようやく話の本題を始めようとしたが、それを聞いてもなお、ハルは話の筋を見出すことができなかった。奇妙なことと言われても、具体的な内容を話してくれないことには、それが奇妙なことなのか判断することは容易ではない。
「えっ? 奇妙? なにがですか?」
「うん。なんていうのかな、どうも上手くいきすぎているっていうか、都合が良すぎるって思っていてね」
アイラが指摘したこと。それは、ここ最近の出来事が、自分たちにとって好都合に傾き過ぎている、ということだった。しかし、このレジスタンスの経緯をあまり知らないハルにとっては、なにが好都合過ぎるのか、今一つ判然としなかった。
「上手くいきすぎている?」
「そうだね。例えば、あの集落跡に潜入できたこととかさ。古いセキュリティロックが掛かっていたにも関わらず、アタシたちはあっさりと中に入ることができたわけだろう?」
アイラは、あの集落跡に潜入する時のことを例として指摘していた。あれは、確かリーヴが興味本位に端末を操作していたら、ロックの解除に成功してしまった、というものだった。
あの時は単なる偶然だとハルも思っていたが、先程のリーヴの話を聞いた後だと、抱く印象はまた違うものとなってくる。
「確かにそうですね。あれは、俺も正直ビックリしましたけど」
「それだけじゃない。アタシたちは、あの集落跡で、色々な情報を入手した。さっきの環境浄化ナノマシンのこともそうだけど、大昔の地上がどんな風になっていたのか、その様子を知ることもできた」
アイラの指摘は確かにその通りだった。過去の環境危機とそれを解決するために開発された環境浄化ナノマシン。それに加え、かつて地上が大いに繁栄していた時代の風景を知れたことも、それはそれで十分な収穫だった。
「はい。確かに」
「今も、リーダーとアッシュが調査を続行してくれているけど、今まで思うように情報が集められなかったのに、急に情報が転がり込んでくるようになったんだよね」
そこまで聞いたところで、ハルはアイラがなにを言いたいのか、なんとなくではあるが察していた。恐らくは、自分たちを取り巻く状況が変容した、そのきっかけになったものを探しているのだろう。
「それでさ、アタシ、色々考えてみたんだ。そうしたら、ちょうどその子、リーヴと出会った時から、アタシたち、割とスムーズにここまでくることができたなって思ったんだ」
やはりか。ハルはそう思った。つまり、アイラは自分たちの状況が変化した原因はリーヴにあると考えているのだ。原因とまではいかなくても、少なくともなんらかのきっかけを作ったことは間違いない。そういう認識なのだろう。
「確かに、言われてみればそうですね。でも、それってただの偶然じゃないんですか?」
「まぁ、アタシも多分そうだろうとは思うけどさ。でも、今までアタシたちがこんな風にトントン拍子に調査を進められたことってなかったからさ。ひょっとしたら、リーヴがなにか関係しているんじゃないかな、って思っているんだ」
アイラの話を聞いていくうちに、ハルは自分でも意識しない間に少しずつ表情がこわばっていった。
間違いない。アイラはリーヴに対して疑惑の目を向けている。リーヴのことを福音をもたらす天使なのか、災厄をもたらす悪魔なのか、まだ判断しかねている状態ではあるが。
リーヴ自身が言っていた「願いを現実にする力」。リーヴ自身はその力を自分自身の願いを具現化するものだと認識していた。
しかし、本当はそれだけではないのかも知れない。リーヴの周りにいる人たちの強い願いをリーヴが感じ取り、それを現実に変える。リーヴのこれまでの行動を振り返ってみても、その側面があった部分も確かに存在している。
「……ねぇ、ハル、どうしたんだい? 急に、そんな怖い顔して……?」
しかし、そんなハルの思考は、アイラの一言によって遮られた。ハルが今まで見せたこともないような険しい表情を浮かべている。そのことを不審に思わないほど、アイラも無神経な人間ではなかった。
「……えっ? あぁ、いえ、別に、なんでもありません……。ただ、ちょっと考え事をしていただけですから……」
アイラに声を掛けられたことで、ハルは我に返った。そうだ、まだ全ての原因がリーヴにあると決まったわけではない。
そもそも、アイラも自分の仮設に絶対の自信を持っているわけではないだろうし、単なる偶然だという可能性も捨てていない以上、この場で結論を急ぐのは得策ではない。
「ふぅん、そうかい。まぁ、アタシもまだよく分かっていないことの方が多いし、ここでリーヴを見捨てるなんて言ったら、それこそハルの怒りを買いそうだからね」
アイラがリーヴのことを分かっていないのと同様、ハルもまたリーヴについては理解できていないところが多い。
ただ、アイラにとって分かっていることがあるとすれば、リーヴがハルのことを大切に思っていること。それはハルのリーヴに対する思いもまた同様であるということだった。
「そんなこと、冗談でも言わないでくださいよ。俺だって、ただなにも考えなしにリーヴの面倒を見ているわけではありませんからね」
そうハルは返事をしたが、アイラがそんなことをするような性格の女性ではない、ということはすでに承知していた。
ただ、普段あまり怒らない人間がいざ怒りに身を任せた時ほど恐ろしいものはない。いざという時にはそれを思い知らせる覚悟も、ハルの心にはあった。
「……んっ、うぅん……」
その時。ハルの肩上で眠っていたリーヴから小さなうめき声が聞こえた。ハルがリーヴの顔に視線を移した時、彼の視界にはいかにも寝起き風の表情を浮かべているリーヴが映り込んでいた。
「あっ、リーヴ。ごめんね、起こしちゃったかい?」
「……あっ、ハル……。えっと、ここ、どこ……?」
ハルとアイラの会話が耳に響いてしまったのだろうか。ハルは夢の世界からリーヴを引き戻してしまったことを謝った。リーヴは周囲を見渡しながら、見慣れない景色に戸惑っている様子だった。
「おや、起こしちゃったみたいだね。悪い悪い。あとで、またゆっくり寝かせてあげるから……」
続けてアイラもリーヴの寝起き顔を見ながら謝ろうとしたが、自分に向かって数歩近づいてきたアイラを見るなり、ハルを強く抱き締めながら表情を険しくした。
それは、まるでハルがアイラに取られてしまうと思い、ハルを奪われてなるものかと必死の思いでアイラを拒否しようとする、どこにでもいそうな女の子の姿そのものだった。
「アハハ。まだアタシには心を開いてくれないみたいだねぇ。でも、心配はいらないよ。別にアンタからハルを奪い取ろうなんて、ほんの少しも考えていないから」
そうしたリーヴの態度を見たアイラは、彼女がまだ自分に対して心を許してくれていないことを寂しそうに思いながら、同時にハルのことを本当に信頼しているのだなということも確信し、安堵するのだった。
そんなハルにとっても、こうしてリーヴに抱き締められることで、彼女の信頼の思いをはっきりと感じ取ることができる。だからこそ、自分はこうしてリーヴのそばにい続けているのだろうと、改めて実感していた。
「す、すみません、アイラさん。どうも、最近のリーヴはいつにもましてこんな調子で……」
「いいんだよ、別に。ところでさ、アンタたち、一体いつまでそんな風にしているつもりだい? それじゃ、まるでぬいぐるみみたいじゃないか」
ひとしきり会話が落ち着いたところで、アイラは先程から気になっていた、もう一つのことについてハルに尋ねてみることにした。今のハルとリーヴの姿が、まるでぬいぐるみに抱かれているようにしか、アイラには思えなかったからだ。
「あっ、言われてみればそうですね。ねぇ、リーヴ。そろそろ離れた方が……」
「……イヤ……。ハル、絶対、渡さない、の……」
そこで、ハルはそろそろリーヴを降ろそうかと思い、彼女の身体を持ち上げようとした。すると、突然リーヴが表情を険しくしながら、身体を左右に振ってそれを拒否する態度を示した。
このリーヴの態度はどういうことだ。ハルはそう思いながらも、このままでは自分が思うように身動きが取れないと言って、リーヴを説得しようとした。
「あ、あのね、リーヴ。気持ちは嬉しいけど、このままじゃ、俺、思うように動けないから……」
「……えっ? ……ハル、動けない、の……? だ、ダメ……、ダメ、なの……。ハル、だ、大丈夫、なの……?」
ところが、ハルが動けない、と言った途端、りーヴの表情が不安の色を帯びていった。リーヴにとっては、動けないという言葉が、ハルの身によくないことが起こったのではと認識したに違いない。
「えっ? 大丈夫って……? あぁ、そういうことか。俺は大丈夫だよ。キミを護るためなら、俺はどこまでも動けるから」
リーヴの不安の理由をすぐに察知したハルは、そういうことではないという意味を込めながら、自分はいつでも元気だよ、という声色を込めて返事をした。
すると、リーヴの表情が一気に笑顔で満たされていくのがはっきりと見て取れた。その姿は、本当に甘え盛りの女の子のようであった。
「ふぅ、やれやれ。とりあえず、そっちは問題なさそうだね。よかったよ」
アイラは、見ている方がむしろ恥ずかしいという表情を浮かべながら、笑顔でハルを抱き締めるリーヴの姿に、二人は大丈夫だろうと小さく頷いていた。
ハルは、リーヴの態度が急に変わり始めたことに対して、若干の戸惑いを覚えていた。今までのリーヴは、どちらかといえば内気で言葉も少なく、感情の起伏もあまり大きくなかった。
しかし、今のリーヴは、そうした今までの姿とは明らかに異なる部分がある。自分が女の子であるということをハルにも、そしてアイラを始めとした周囲にも主張しようとしているように見える。
あの時、ハルの胸元で溜まっていた思いと共に涙を流し続けたことで、リーヴの中でなにかが吹っ切れたのかも知れない。これもまた、リーヴの成長を示す一端になるだろうと、ハルはリーヴをそっと抱き締め返した。
「さて、そろそろ戻ろうか。リーダーとアッシュが、色々と調べてくれているはずだし、向こうでも、新しい情報が見つけられたかも知れないしね」
「えぇ、そうですね。それじゃ、戻りますか」
そして、アイラとハル、そしてハルを抱き締めているリーヴは、調査状況を確認するため、コンピュータールームに引き返していった。