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第32話

 アイラとハルが話し合いをしていた頃、コンピュータールームではガルディンとアッシュが端末の前でそれぞれ作業を続けていた。

 ガルディンが新たな調査対象となる施設を探す一方、アッシュは例の集落跡から持ち帰ったメモリーチップの詳細な分析を行っていた。

「フゥ、こいつはなかなか難儀な作業だなぁ。ねぇ、リーダー。そっちの方はどうですか?」

 アッシュが端末を操作しながら、その手を止めることなくガルディンの状況を確認しようとした。

「あぁ、私の方も思うようにはいかんな。これは、もう少し調査範囲を拡大した方がよさそうだな……」

「そうですか。それはいいんですけど、調査範囲を広げるということは、途中で巨獣に襲われる可能性もありますし、その辺のリスクも考えないといけないでしょうねぇ」

 どうやらガルディンの方も、作業は思うように進んでいないらしい。調査範囲を拡大するということは、それだけ巨獣の襲撃に遭いやすくなるというリスクを抱えるということでもある。

「……うーん、そろそろメモリーチップの分析が完了する頃かな。……おっ、終わったみたいだな。どれどれ……?」

 アッシュは、メモリーチップの内容を詳細に分析するソフトウェアを端末にインストールし、それを使って分析を行っていた。

 かなり古い時代に作られたメモリーチップだったため、アクセス速度が最新版と比較して明らかに遅く、そのため分析に時間がかかってしまっていたが、先程ようやく分析が完了した旨のメッセージが表示された。

「……んっ? なんだ、これ……? 隠しファイル、か……?」

 分析が完了すると、端末のディスプレイに、今まで表示されていなかった別のファイルがメモリーチップに格納されていることが判明した。しかし、そのファイル名を一目見たアッシュの表情が、見る間に怪訝さを帯びていった。

「ファイル名がメチャクチャだな……。多分、文字化けしているんだろうな。とりあえず、中身が開けるかどうか確認しないと……」

 ファイル名が意味不明の記号のようなものの羅列でできている。アッシュはこれを文字化けだと判断し、ひとまずファイルの中身にアクセスしようとした。

「んっ? 開けない、か……。隠しファイルの上に、相当古いファイルだろうからな。今の時代の端末じゃ、簡単には開けないってことか……」

 しかし、何度アクセスしようとしても、端末は全く反応しなかった。あの研究報告ファイルが容易にアクセスできたことの違いは、やはり隠しファイルだったことに尽きるだろう。

 アッシュはそれならばと、アクセスできないファイルの原因を調べることができるソフトを端末にインストールし、その文字化けしたファイルをソフトに投入した。

 しかし、その分析結果は『UNKNOWN(原因不明)』。つまり分からない、と表示された。

「……なにっ? エラーの原因が分からない? どういうことだろうな……?」

 隠しファイルだった以上、そこになにか重要な情報が記録されている可能性は高い。しかし、ファイルにアクセスすることができず、その原因も不明とあっては、正直どうしようもない。

「あっ、リーダー、アッシュ。お疲れ」

 その時。隣の部屋で話し合いをしていたアイラとハルがコンピュータールームに戻ってきた。リーヴは相変わらずハルの肩上でアイラ曰く、ぬいぐるみのように抱き付いている。

「おっ、戻ったか。話の方は大丈夫なのか?」

「はい。見ての通りですよ、リーダー。リーヴはもうすっかり、ハルに夢中のようですからね」

 ガルディンがアイラに声を掛けると、アイラは問題ないという風に返事をした。アイラが示した先には、リーヴに抱き付かれているハルの姿がある。

 そんな二人を見ながら、ガルディンは得心した様子で小さく頷いていた。恐らく、口にこそ出さなかったが、ガルディンもハルとリーヴの関係が気になっていたのだろう。

「あっ、アイラさん。ちょうどよかった。ちょっと、こっち来てくださいよ」

 その時。アッシュが端末の席に座ったままアイラに声を掛けた。例の文字化けファイル問題は、自分だけではどうにもならない。しかし、元政府の科学者であるアイラならば、なにか分かるかも知れない。

「んっ? どうしたんだい、アッシュ?」

「いえね、ちょっと、例のメモリーチップの内容を分析していたんですが、どうにも怪しい気配がするファイルを見つけたんですよ。ですがね……」

 アイラに事情を尋ねられ、アッシュはここまでの経緯を説明した。この文字化けファイルが怪しい気がするが、どうしても中身にアクセスすることができない。

 そんな二人のやり取りを、すぐ後ろで見守っている、ハルとリーヴの姿があった。ガルディンの方に回ってもよかったのであるが、リーヴの視線がアッシュの方に向いているのに気付いたハルは、その視線に従うことにした。

「……なるほどね。うーん、こりゃ、確かに酷い文字化けぶりだ。だけど、エラーの原因が分からないっていうのが、ちょっと引っかかるねぇ……」

 一通りアッシュから経緯の説明を聞いたアイラだったが、実際にその文字化けファイルを見た瞬間、思わず表情を曇らせた。

 単純に文字化けを起こしているというのであれば、システム的な問題ということも考えられるが、ファイルの中身にアクセスできず、しかもその原因が不明となると、また話は違ってくる。

「……ねぇ、ハル……。あの、変な、文字、みたいなの、なぁに……?」

 アッシュとアイラのすぐ後ろで様子を見ていたリーヴが、文字化けファイルの表示欄を指差しながら、ハルにその内容を尋ねてきた。

「んっ? あぁ、これか。さすがに、これは俺にもちょっとよく分からないな……」

 しかし、そのファイル名が文字化けを起こしていること以外、ハルにはなにも分からなかった。専用のソフトを使っても原因が判明しないものを、ハルがすぐに見抜けるはずがない。

「……ねぇ、この、ファイル……? その、もう一回、見てみるって、ダメ、かな……?」

 ハルの反応を見た後、リーヴが文字化けファイルが表示されたディスプレイを指差して、もう一度分析してみようと言った。

 それを聞いたハルとアイラ、そしてアッシュの視線が、まさしく示し合わせたかのようにリーヴに向けられた。その言葉の意味するところを、彼らはすぐには理解することができなかった。

「ちょっと、さすがにそれは無理があるんじゃないか……」

「……いや、それ、試してみる価値、あるかも知れませんよ、アイラさん」

 怪訝な表情を浮かべるアイラに対し、アッシュはリーヴの提案に一定の賛意を示している様子だった。ハルも口には出さなかったが、リーヴの提案は決して悪いものではないかも知れないと、改めて考えていた。

「なにを言い出すんだい、アッシュ? さっき調べてダメだって出たばっかりだって……」

「そりゃ、そうですけど。もしかしたら、なにか見落としがあったのかも知れませんし、それに、次につながる手がかりが目の前にあるのに、それを放置する手はないでしょう?」

 反論するアイラの言葉には、やはり元政府の科学者という、論理的思考に基づく意味が込められていた。科学者というのは、目の前の客観的事実を第一優先としながら、目的の結果を得るために推論と演算を繰り返す。そういう職種であるからだ。

 一方で、アッシュはそうではなかった。アッシュは科学者としてというより、探索者としての側面を色濃く映し出していた。未知の事象に対して、望む結果を得るために一つ一つを深く掘り下げていく。

「……なるほど。確かに、アッシュの言い分も分かるわね。アタシも、この文字化けファイルの中身がなんなのか、気にならないわけじゃないからさ」

「それじゃ、決まりですね。このファイル、もう一度分析にかけてみますわ」

 結局、この場はアイラが折れる形でアッシュに従うことになった。もっとも、それも元をただせばリーヴの何気ない提案が根底にあったことは事実なのだが、今はその部分に気を留めている場合ではなかった。

 アッシュはコンピューター端末を再度操作し、先程の文字化けファイルを今一度エラー分析してみることにした。

 その際、実際に分析を行う前に、ソフトの設定画面を呼び出した。アッシュ自身が指摘した見落としが、そこに隠されている可能性は十分にあるからだ。

「……んっ? なんだ、これ……? こんな項目、このソフトにあったかなぁ……?」

 しかし、設定画面を開いて少しした後、アッシュの表情がにわかに曇りを帯びていくのが、ハルの目にもはっきりと捉えることができた。

 アッシュの視線の先にはエラー分析ソフトの設定画面が表示されている。アッシュが注目していたのはその画面が最下部付近にある「原因不明のファイルを可能な限り修復する」と書かれたチェックボックスだった。

「今まで使う必要がなかったから、気が付かなかっただけだろうな……。まぁ、あまり考えても仕方ない。とりあえず、コイツを有効に、っと……」

 アッシュはそのチェックボックスを、普段使っていない項目だったため、あまり注意していなかったと結論付けていた。

 しかし、内容不明のファイルを分析するという、自分たちの目的を果たすのに好都合なはずのソフトの設定を、こうも見逃し続けることなどあり得るのだろうか。ハルは、その疑問を脳裏によぎらせながら、リーヴと一緒に作業の様子を見守り続けていた。

「……ふぅん。やっぱり、さっきの設定を有効にしたせいですかね。分析するのに、ちょいと時間がかかるみたいですわ」

 分析を開始した直後、アッシュの表情が今度は暗みを帯びていくのが見えた。どうやら、分析結果が出るには少々時間がかかるようである。

「時間がかかる? それで、どれぐらいかかりそうだい?」

「うーん、この残り時間表示はあまりアテになりませんが、ファイルの修復も一緒に行うとなると、さっきの倍近く掛かるんじゃないですかね」

 アイラが分析に要する時間を尋ねると、アッシュはあくまで推定値として、という意味の前置きをしながら、それでも早期に終わるものではない、と答えた。

「そうかい。この端末、結構な高性能のはずなんだけど、それでもすぐには終わらないのかい?」

「残念ながら、そうですねぇ。まぁ、結果が出るまで、僕もちょいと休ませてもらいますわ。ずっと座りっぱなしで、腰が少々疲れましたから」

 そう言うと、アッシュは端末の前から立ち上がり、コンピュータールームの隅にある簡易型のベッドの上で横たわった。分析結果が出るまで、自分たちができることはない。そう暗に告げようとしているかのようでもあった。

「じゃあ、俺とリーヴもちょっとだけ休ませてもらいますね」

「あぁ、いいよ。こっちの様子はアタシの方で見ておくから、その点は心配しなくていいよ」

 ハルはこの場を一旦アイラに任せ、リーヴと一緒にコンピュータールームのあまり物が置かれていないところに移動した。

 椅子が二脚置かれているのを見たハルは、一方の椅子にリーヴを座らせようと思った。このままリーヴを抱え続けていてもよいのだが、さすがに肩が疲れてきた。

「ねぇ、リーヴ。そろそろ降りた方がよくない? その体勢だと、リーヴも疲れちゃうんじゃ……」

「……ダメ。ワタシ、ずっと、ハルの、そばが、いいの……」

 ハルはリーヴを肩から降ろそうとしたが、リーヴがどうしてもハルから離れてくれない。確かに、なんらかの変化がリーヴに起こっている。今まであまり強くなかった自我が、あの出来事をきっかけに強くなり始めているのだろうか。

「そんなこと言わないで。そんなわがままばかり言っていると、俺、キミのこと、嫌いになっちゃうよ」

「……えっ……? い、イヤ……。そ、そんな……。き、キライに、ならないで……」

 ハルは、あまり使いたくない言い回しではあったが、今のリーヴに言うことを聞かせるにはこれしかない、と思い立った。

 すると、リーヴの表情が、途端に困惑の色を深めていくのがはっきりと分かった。それは、兄を溺愛する妹が、兄に愛想を尽かされようとしていると思い込み、慌てふためいているような光景だった。

「冗談だよ。ゴメンね、リーヴ。でも、今はちょっとここに座ってくれると、俺も嬉しいかな」

「……うん……。ゴメン、なさい、ハル……」

 あまりリーヴを困らせてしまうのも悪いと思ったのだろう、ハルは冗談だと言って彼女の背中を優しく叩いた。その後は、リーヴもハルの言うことに素直に従い、彼の肩から降りて椅子に座っていた。

 もう一方の椅子をリーヴの隣に移動させ、おもむろにそこに腰掛けるハル。コンピュータールームという、幾何学の集合体のような空間にあって、そこだけが違う空間として切り取られているようでもあった。

「フゥ、あとはアイラさんの方で結果が出てくるのを待つだけか……。どういう結果が出てくるんだろうな……?」

 ハルはコンピューター端末の前でジッと座っているアイラと、隅のベッドで仮眠を取っているアッシュを交互に見ながら、この先自分たちはどうなるのだろうと、先の見えない不安を覚えていた。

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