目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第34話

「……んっ、ふあぁ……。なんだ、もうこんな時間か……」

 明けて翌日。ハルはリーヴより一足早く目を覚ました。明けて、とはいっても、ここは日の光が一切届かないシェルターである上、地上は今も雪と氷に覆われたままであるため、実際の時刻を知るには携帯している時計を見る以外に方法はなかった。

 リーヴの部屋には、幸いなことにベッドが二台用意されていた。それぞれ反対側の壁に隣接されていたベッドに一台ずつ、ハルとリーヴが寝ている格好となっている。

 二人が寝ている間、お互いに距離ができてしまうことになるが、ハルがこの部屋にいるという事実に変わりはないため、リーヴも不安に思うことはないだろう。

「リーヴはまだ寝ているのか……。よし、この間に防寒着に着替えておくか」

 小さな寝息を立てて夢の世界に誘われているリーヴ。まだしばらくは目を覚まさないだろうとお判断したハルは、念のため毛布で自分の身体を隠すようにしながら防寒着に着替え始めた。

 すでに何度も着替えているということもあり、毛布が途中で落ちないようにしながらでも、着替えるのはさほど時間を必要としなかった。

「……うん、これでよし、と。リーヴの分はちゃんとここにあるし、あとは、っと……」

 程なくして、防寒着に着替え終わったハルは、毛布をどかしながらベッドから身を起こした。そろそろリーヴを起こさないといけない。そう思い、子供用の防寒着を持ってリーヴのところに近づいていった。

「……んっ、んんっ……」

 すると、まるでハルが近づいてくるのが分かっていたかのように、リーヴが小さなうめき声を上げながら目を覚ました。

 まるで予知能力者かなにかだな、と思いながら、ハルは毛布の中から顔を出す寝起きのリーヴに優しく声を掛けた。

「おはよう、リーヴ。昨日はよく眠れたかい?」

「……お、おはよう、ハル……。うん……、ワタシ、は、大丈夫……」

 ハルの声に対し、リーヴはまだ寝起き状態から覚醒していないのだろう、若干呂律が回っていないながらも目の前にいるハルに対しておはようと返事をした。

 その直後、リーヴは防寒着を着込んでいるハルの姿に、一瞬ギョッとしたような表情を浮かべた。しかし、昨日のハルとの話を思い出し、すでに準備をしているのだと思い直した。

「うん、よかった。出発まで時間があるけど、先に着替えておく?」

「……うん……。これに、着替えれば、いいん、だよね……?」

 リーヴの体調に異変がないことを確認したハルは、用意していた子供用の防寒着をリーヴに向けて差し出した。リーヴは身体を起こしながらそれを受け取ると、ハルが目の前にいるのも気にせず着替え始めようとした。

「あぁっ! ち、ちょっと待って!」

 ハルは慌てて近くにあった毛布を手に取り、リーヴの前にカーテンのようにして差し出した。

 ハル自身の視界にリーヴが着替えている様子が映らないようにすると同時に、万が一着替えている途中で誰かが部屋に入ってきても、こうしておけば見られる心配はとりあえず避けることができる。

「いいよ。さぁ、早く着替えてね」

「……?……、うん、分かった……」

 リーヴはハルがなにをやっているのか、その意図が分からず、思わず首を傾げた。ただ自分がこの防寒着に着替えるだけだというのに、なにをそれほどに慌てる必要があるのだろう。

 とはいえ、あまりハルを困らせてしまうのもリーヴにとっては本意ではない。リーヴは毛布の影に隠れるようにしながら、防寒着に着替えていった。

「……ハル……、着替え、終わった、よ……」

 程なくして、リーヴの声が聞こえてくると、ハルは目の前に掲げていた毛布を外した。すると、そこには子供用の防寒着に身を包んだリーヴの姿があった。

 ハルはリーヴがきちんと着替えてくれたことに安堵すると同時に、防寒着姿になってもあまり変わらないリーヴの印象を前に、どことなく背中がこそばゆい思いを募らせるのだった。

「よし、いい子だね、リーヴ。それじゃ、みんなのところへ行こうか」

「……うん……、行こう、ハル……」

 ハルは少しだけ乱れているフードを被せ直しながら、リーヴの頭を優しく撫でた。リーヴは小さく微笑みながらこれに応え、ハルの手を握りながらベッドの上から降りていった。

 そして、二人が手をつなぎながら部屋を出た時、そこにはハルたちと同様、防寒着姿となったアイラとガルディン、そしてアッシュがこちらに近づいてくるのが見えた。

「あっ、おはようございます」

「やぁ、おはよう、ハル。その様子だと、そっちも準備万端みたいだね」

 ハルが声を掛けると、真っ先にアイラが手を挙げながら返事をした。リーヴも着替え終わっているところを見て、二人の準備も整っていると判断したのだろう。

「えぇ、こっちはいつでも大丈夫ですよ」

「そうか、それは心強いな。今回の調査は、今までよりも場所が離れている。途中で政府はもちろん、巨獣の妨害に遭う可能性もある。十分に注意するように」

 アイラに続き、ガルディンがハルとリーヴに今回の調査のことを簡潔に説明した。遠い場所への調査となる以上、今までよりも危険度が高いことは当然注意を払わなければならない。

 そして、一行は事前にアッシュが用意していたバイクに乗り込み、あの地図が示した地点を目指して走り出した。

 ガルディンを先頭に、アイラ、アッシュ、そしてハルとリーヴが続く。その後方には、アッシュの護衛部隊がしんがりを務める形で走っていた。

「リーヴ、大丈夫かい? 寒かったら、いつでも言うんだよ?」

「……ううん……、ワタシ、寒いの、平気……。前にも、そう、言った、よ……?」

 ハルがリーヴを気遣う声を掛けると、リーヴは大丈夫とハルに向けて念を押すように返事をした。リーヴにとっては、それはすでに話したことのはず。それをもう一度聞いてくるなんて、もしかしたら忘れてしまっていたのかも知れないと思っていた。

 リーヴは前回までと同様、ハルのバイクの前に取り付けた子供用のシートの上に座っている。ハルが確認しやすくすることで、リーヴの安全をより正しく確保する、という意味もそこにはあった。

 ちなみにアッシュの護衛部隊は、あの集落跡で政府の監視員たちを抑え付けた後、適当な方法で拘束して戻ってきていた。いずれ政府の別動隊が彼らを発見して保護してくれる。そういう目算の上での拘束だった。

「リーダー、目的地まで、どのぐらいかかりますか?」

「そうだな。この調子なら、大体三時間ぐらいというところか。もっとも、なにもトラブルがなければ、という話だが」

 アイラとガルディンが通信機を使い、バイクを走らせながら会話をしていた。ただでさえ猛吹雪で視界が悪い上、常に暴風が吹き荒れ、轟音が炸裂する中、通信機の声は正確に二人の声を拾い上げていた。

 二人の通信内容は、アッシュとハルにも伝わっていた。リーヴは通信気を付けていないためその内容は分からなかったが、むしろ余計な情報を与えないことで混乱させないようにするという配慮があった。

「リーダー、背後から生命反応が近づいてきます。この反応、巨獣ですよ!」

 だが、やはり事態は彼らの思い通りにはいかなかった。アッシュが別のレーダーを確認していた時、自分たちの背後から高速で生命反応が接近してくるのを感知した。それは紛れもなく巨獣のものだった。

「なにっ! 早速来たか! 全員、スピードを上げろ! フルスロットルだ!」

 アッシュの報告を受けて、すぐさまガルディンが遭遇を回避するためにバイクの速度を上げるよう、全員に指示を出した。巨獣対策が万全ではない以上、迂闊に戦闘に入ることは得策ではない。

「リーヴ、スピードを上げるよ! しっかり掴まっていてね!」

「うん、わかった……!」

 ハルがリーヴにバイクの速度を上げると告げると、さすがにいつもと違う口調から大変な事態が起こったことを察知したのか、返事の言葉を少なくした後、シートのハンドルを力強く握り締めた。

 リーヴがすぐにハンドルを力強く握ってくれたことで、ハルも遠慮なくバイクの速度を上げることができるようになった。バイクのスロットルを最大限回すと、バイクは一気に加速し、すでに加速を始めていたガルディンたちに追い付く勢いとなった。

「ダメですね! 巨獣の方が速い!」

 しかし、事態は好転するどころかさらに悪化していった。アッシュがレーダーの反応を確認すると、巨獣の生命反応がなおも高速で自分たちに接近してきていた。

「クッ! このままでは追い付かれるか! なんとかならんのか!」

「リーダー! ここはアタシの幻覚薬で……」

「ダメだ! あのような効果が不安定なものを、このような緊急事態で使うべきではない!」

 アイラが例の幻覚薬を使おうとしたが、すぐさまガルディンがそれを却下した。まだ試作品であり、効果の発動が保証できない以上、下手に巨獣を刺激することはかえって逆効果になってしまう。

 さらに全速力でバイクを走らせていくが、巨獣はそれをも上回るスピードで彼らに接近してきていた。このままでは追い付かれてしまう。そうなっては戦闘もやむを得ない。

「チクショウ! せっかく情報が手に入りそうなのに、ここまでなのか……!」

 後ろを振り返っている余裕はない。今はとにかく最大速度で巨獣から逃げ切ることを最優先しなければならない。しかし、このままではどうやっても追い付かれてしまう。

 やはり、自分の力では、地上の秘密を解き明かすことはできないのか。ハルの心に焦りの念が募っていく。しかし、次の瞬間、ハルにとって思いもよらない事態が襲い掛かってきた。

『……イヤ……、ダメ……、コナイデ……』

 突然、ハルの耳に声が届いてきた。いや、それは声が届いたというより、ハルの脳内に直接言葉が響き渡ってきたという方が正解に近い印象だった。

「な、なんだ? 今の声は……? り、リーヴの、声……?」

 不意に脳内に響き渡った声に、最初は驚きを隠せなかったハルだったが、すぐにその声がリーヴのものだと分かると、さらなる異常事態の到来を告げるものではないと知るに至った。

 しかし、とっさにハルがリーヴに視線を向けた時、そのリーヴはシートのハンドルを握ったまま、身体を小さくうずめている。

『……キチャダメ……、オネガイ……、キチャダメ……、ミンナヲ……、キズツケナイデ……』

 すると、ハルの脳内に、またしてもリーヴの声が響き渡ってきた。ハルは再度リーヴに視線を向けるが、リーヴはうずくまった態勢のまま、一切動く気配がなかった。

「ま、またリーヴの声が……。でも、リーヴが喋っているようには見えないし……。と、とにかく、今は巨獣から逃げないと……!」

 突然脳内に届けられたリーヴの声。その正体が気になるところではあったが、今は巨獣から逃げ切ることが先決だ。ハルはバイクのスロットルを最高段階に維持したまま、なおもバイクを走らせた。

 猛吹雪の中に混じるように、バイクのエンジン音が唸りを上げる。しかし、巨獣との距離は開くどころか、さらに詰まっていく一方だった。

「ま、マズい! こ、このままじゃ、追い付かれる……!」

 そして、巨獣の手がハルが乗っているバイクに向かって伸びてきた。護衛部隊の上をすり抜けるようにしながらハルに向かって伸びていく巨獣の手。このままでは本当に捕まってしまう。だが、その時だった。

「……んっ? な、なんだ……?」

 今まさにハルたちを捕まえようとしていた巨獣の手が、突如としてその動きを止めた。そのおかげでハルは捕まらずに済んだが、同時に不可解な点も付きまとっていた。

「こ、これは……! リーダー! 巨獣の動きが止まりました!」

 そこに、一歩遅れる形でアッシュからの通信が入った。どうやらレーダー上でも、巨獣の動きが止まったことは確認できた様子である。

「なんだと? 巨獣の動きが止まった?」

 アッシュの通信を受けたガルディンが、反転させながらバイクを急停止させた。アイラもそれに続くように反転と急停止を行う。すでに速度を落としていたアッシュは、反転することなくバイクを停止させた。

「みなさん、どうしたんですか? 巨獣の動きが止まったって聞きましたけど……?」

「あぁ、ハル君か。まぁ、見ての通りだよ。いきなり巨獣の動きが止まったもんだから、僕も正直ビックリしたわぁ」

 彼らの目の前でバイクを停止させたハルが、何事かと事情を尋ねた。もちろん、それは巨獣の動きが止まったことが原因であるのは明らかなのだが、念のために確認しておく必要があると、ハルは判断していた。

 それに答えるアッシュの声色には、若干ではあるが明らかに驚愕と困惑の色が見え隠れしていた。ハルが背後を振り返ると、そこには確かに微動だにしなくなった巨獣の姿が、猛吹雪の中に影となって映っていた。

「しかし、これは一体どういうことなのだ? アイラも幻覚薬は使っていないはずだし……?」

「えぇ。それに、あの幻覚薬は、効果が表れてくるに従って、相手の動きが鈍くなるように調合されています。ですが、これでは、まるで……」

 石像にでもされたみたいだ。アイラがそう言いたいのを、その場にいた全員が理解していた。もしくは巨獣だけ時間の流れが強制的に停止させられたかのような印象さえ匂わせる。

「……ンッ、プハァッ! ……ハァ、ハァ……」

 その時。それまでバイクのシートに座ってうずくまっていたリーヴが、突然うめき声と共に顔を上げた。直後、今まで水中に潜り続けていたかのように呼吸を荒げ、空気を何度も吸い込もうとしていた。

「リーヴ! どうしたんだい? 大丈夫? どこか、具合でも悪いのかい?」

 ハルはリーヴの容態が急変したのではないかと思い、後ろからリーヴの両肩を抱いて声を掛けた。巨獣に襲われるという強烈なストレスが、リーヴの身体に悪影響を及ぼしてしまったのだろうか。

「……んっ……。ハル……。うん……、ワタシ、は、大丈夫、だよ……? ちょっと、だけ、苦しかった……、けど……」

 両肩をハルに抱かれたリーヴは、呼吸が落ち着いた直後、穏やかな笑顔を向けながら大丈夫、と返事をした。ただ、今まで苦しかったことは事実のようで、そのことはハルに伝えておかなければならないと思ったのだろう。

 呼吸をするのも忘れてしまうほどに、リーヴは恐怖を覚えていたというのだろうか。確かに最初の時と違い、この猛吹雪の中で襲われそうになったとあっては、同じ種類の相手でもその恐ろしさは天と地ほどの差があるだろう。

「んっ? どうしたんだい、ハル? もしかして、リーヴになにかあったのかい?」

「いえ、こっちは大丈夫です。ただ、よっぽど怖かったんでしょう、緊張のあまり呼吸をすることも忘れてしまっていたみたいで」

「そうか、ならばよかった。それじゃ、先を急ぐよ。またいつ巨獣が動き出すか分からないし、今のうちに、できる限り距離を稼ぐんだ」

 アイラがハルとリーヴの様子が気になり、二人に声を掛けてきた。ハルが特に心配はないと返事をすると、アイラは納得したように再度バイクに乗り込んだ。

 そして、それを合図にするかのように、ガルディンとアッシュもバイクに再度乗り込んだ。その後、先程と同様の隊列を組む形で、一行はバイクを走らせた。

「……あの声は、一体なんだったんだろう……? あの様子だと、俺以外には聞こえていなかったみたいだし……」

 ひとまずという形とはいえ、巨獣の危機が去ったことで、一行は落ち着いてバイクを走らせることが可能になった。そこで、ハルは先程の声の正体について思案を巡らせていた。

 あの声がリーヴのものであることは間違いない。今まで何度もそばで聞き続けてきた彼女の声を、今さら聞き間違えることなどあり得ない。

「……あの声……、一体、なにを目的としたものだったんだろう……? 来ないで、って言っていたから、もしかして、巨獣に対して言っていたのかな……?」

 もし、リーヴが巨獣に対して自分たちに近づかないで、と願っていたのであれば、まさにリーヴ自身が言っていた「願いを現実にする力」によって、巨獣は動きを止められた、ということになる。

 しかし、それがハルの脳内にも届くほど強烈な思いとなっていたというのであれば、アイラたちにも届いていたとしてもなんら不思議な話ではないはずなのだが。

「まぁ、いいか。あまり考えすぎても仕方がない」

 とはいえ、今のところこれだとはっきりと言える確証はなに一つとして存在していない。であれば、ここで余計な詮索をするのはあまり得策ではないだろう。

 今は地上の秘密を解き明かす新たな情報を入手することを優先する必要がある。ハルはそう思い直し、リーヴの様子に気を遣いながらバイクを走らせるのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?