「それにしても、本当に真っ暗だな。リーヴ、俺から絶対に手を離しちゃダメだよ」
「……うん……。ハルの、手、あったかい、の……」
地下シェルターの先に進んでいったハルは、自分も用意していたガルディンのそれと同型の懐中電灯を使い、前方と足元を同時に照らしていた。
右手で懐中電灯を持ちながら、左手でリーヴの手をしっかりと握る。この後細かい手作業が必要になるかも知れないと思い、手袋を一時的に外していたハルは、リーヴの手の小さな感触を確かめながら進んでいった。
「確かに、コイツはちょっとあまりに真っ暗だねぇ。これじゃ、調査どころの話じゃないよ」
ハルとリーヴを先導しながら、アイラも懐中電灯で前方を照らしていた。懐中電灯のおかげで暗闇に怯えながら進むことはなかったが、それでもこのままではアイラの言う通り調査もままならない。
「じゃあ、どうするんですか、アイラさん?」
「まずは、この地下シェルターの電力管理室に行こう。そこで、ここの電力系統がまだ生きているかを調べるんだ」
ではこの暗闇をどうするのか。ハルが尋ねると、アイラは自分たちの当面の目的地について話を始めた。
「電力系統ですか。でも、ここって随分前に放棄されたみたいですし、電力系統も、もう動かないんじゃないですか?」
「それをこれから調べに行くのさ。セキュリティロックは動いていなかったけど、この地下シェルターのシステムバックアップのために、必要最小限の電力で稼働しているかも知れないからね」
電力系統を調べることになにか意味があるのかと思ったハルだったが、アイラの言い分にも一理あると思い、それ以上の詮索はしなかった。
ただ、もしアイラの言うことが本当だったとしたら、バックアップすべきシステムの内容も、また気になるところではあった。
とはいえ、電力系統を回復させ、照明をきちんと動かせる状態にしないと、調査も思うように進展しないのは紛れもない事実だった。まして、さらに地下深く進まなければならない可能性を考慮すると、また動かないエスカレーターを降りていくのはいささか危険なことでもある。
「さて、電力管理室は、っと……。んっ? どうやら、ここがそれっぽい感じだねぇ」
そうして、目に付いたドアを一つ一つ開け、中の様子を懐中電灯で照らしていくアイラ。ここは違う。ここもそういう雰囲気ではない。次々とハズレくじを引かされる中、ようやくアイラは電力管理室のような部屋を発見した。
「ここは? ……確かに、どことなくなにかの管理室、のような雰囲気がしますね」
ハルが懐中電灯で部屋の内部を照らしながら覗き込むと、そこは自分たちのアジトのコンピュータールームと同様、何台ものコンピューター端末が机の上に理路整然と並べられている光景が広がっていた。
確かに、ここがなんらかの管理をするための部屋であろうということは、この部屋の雰囲気を見ればなんとなく察することができる。もっとも、ここが自分たちが目的としている電力管理室であるかどうかは今のところ不明だった。
「そうだね。問題は、ここが本当に電力管理室だったとして、その機能をどうやって回復させるか、なんだけど……」
足元に注意しながら懐中電灯で部屋の内部を照らしていくアイラ。とはいえ、部分的にしか照明を当てることができないのでは、この部屋の詳細を調べることは容易な話ではない。
「リーヴ、大丈夫かい? 真っ暗なところばかりで、怖くないかな?」
「……ううん……、ワタシ、怖く、ないよ……。だって、ハルと、一緒、だから……」
ハルは、リーヴがこの地下シェルターのあまりの暗さに怖がっていないかどうか不安になったが、いつもとほとんど変わらない口調で返事をするリーヴを見て、どうやら杞憂だったかと安心していた。
リーヴにとっては、暗闇が怖いかというよりも、ハルと一緒にいられるのかどうか、ということの方がよほど重要であるようだ。
どんなに明るい場所にいても、ハルが一緒にいないのであれば、リーヴにとって決して安心することはできない。それは、逆に言えばどれほどに危険な場所であっても、ハルと一緒であれば大丈夫という、リーヴなりの小さな確信の象徴でもあった。
「うーん、これが、この部屋のメイン端末のようだね。今のところ、特に怪しいボタンとかはなさそうだけど……」
アイラは部屋の奥に進み、そこにある巨大なコントロールパネルを照らしていた。何百インチのサイズがあるか分からない、まるで大昔の映画館を彷彿とさせるような巨大スクリーン。その手前には、これまた無数の操作ボタンが設置されたコンソールが見える。
「このコンソールとこの大きなスクリーンを使って、なにかを監視したりしていたんでしょうか? でも、今はもう動いていないみたいですし、再稼働させるためのボタンも、ちょっと見当たりませんね……」
ハルもアイラに続くように巨大なコントロールパネルを照らしながら、どこかに怪しいところはないか調べていった。
しかし、そこで分かったことといえば、このコントロールパネルはすでに機能していないということ。そしてこれを再稼働させるための方法も見当たらない、ということだけだった。
「やっぱり、ダメだね。ちっとも反応しない。でも、この部屋にはなにかありそうな感じもするから、もうちょっと他のところも調べてみようかね」
アイラが適当にコンソールを操作してみるが、当然なにも起こるはずがなかった。電力で稼働することを前提としたコンピューターシステムであれば、その電力がなければそもそも稼働させることもできない。
アイラはやれやれ、といった様子で部屋の周囲を調べ始めた。このコントロールパネルを動かすことはできなくても、電力系統の再稼働に役立つ情報が、どこかに隠されているかも知れない。
「……ねぇ、ハル……。あれ、なに、かな……?」
ハルもアイラに倣って部屋の周囲を調べるべく動き出そうとした。すると、リーヴが握っていたハルの手を引っ張るようにしながら、ハルにあることを伝えようとしていた。
「んっ? どうしたんだい、リーヴ? なにか、気になることでもあるのかい?」
「……うん……。あそこ、ホラ、ちょっと、出っ張って、いる、ところ……」
リーヴがまたなにかを発見したのだろうか。そう思ったハルは一旦足を止め、リーヴの話を聞いてみることにした。すると、リーヴはコンソールの裏側のある一点を指差した。
そこになにがあるのかとハルが懐中電灯でその付近を照らしてみると、なんと、そこにはなにかが出っ張っている様子を認めることができた。
「あれはなんだろう? なにかカバーが付いているようにも見えるけど……? でも、リーヴ。こんな暗いところで、よくあれが分かったね」
「……うん……。ハル、ちょっとだけ、あそこ、照らして、くれた……。だから、ワタシ、見えた、の……」
あれが有力な手がかりになるかどうかはともかく、ハルはリーヴが十分な照明もないまま、その出っ張りを見つけることができたことに対し、若干の驚きを覚えていた。
リーヴはそこをハルが一瞬だけ照らしてくれた、と言っていたが、ハルにはそんな覚えなど一切なかった。
これも、もしかしたらリーヴが持っているかも知れない「願いを現実にする力」の一端なのだろうか。電力系統を回復させるための手がかりが欲しい。そんな自分たちの願いに、リーヴが無意識のうちに応えた、ということなのか。
「そうか。スゴイな、リーヴ。よし、それじゃ、改めて確認してみるか、っと……」
どのような形であれ、リーヴが自分たちの調査を進展させるために協力してくれていることに変わりはない。ハルはリーヴを褒める言葉を投げながら、その箇所に改めて視線を凝らしてみた。
すると、その出っ張りの正体がアクリル製と思われる透明のフタであることが判明した。その透明のフタの中には、なにやら大きめの丸いボタンのようなものが設置されているのが見える。
「んっ? なんだ、あのボタンは? それに、わざわざフタをしているということは、あのボタンは、なにか大切な時にしか押すことができないようになっているんだろうか?」
ハルはすぐにあることを直感した。アクリルの蓋がされているということは、そのボタンを簡単に押すことができないようにするためである以外には考えられない。
それは、すなわちそのボタンを押す状況が訪れることが、非常に重要な瞬間である、ということを意味するものでもある。
「これは、俺だけで判断できることじゃないな。アイラさんにも見てもらわないと」
そこで、ハルは別のところを調べているアイラに声を掛けた。ハルが事情を説明すると、アイラはすぐにその怪しいボタンをハルと一緒に見てくれた。
「ホラ、アイラさん、あれですよ。あのボタン、ちょっと怪しいと思いませんか?」
「確かに、こんなにおあつらえ向きに用意されているというのも、思いっきり怪しいね。そもそも、こういう目立たないところに設置するというのも、無闇に押されないようにするためだろうし」
アイラもそのボタンを見て、すぐに怪しいと思ったようだった。このあたりは、やはり元政府の科学者という肩書が伊達ではないということを、改めて示すものとなっているのだろう。
「だけど、あのボタンを押したところで、なにかが起こるとは思えないけどね。この地下シェルターの電力系統が動いていない以上、あれを押してもあまり意味はないと思うけど」
続けたアイラが指摘したことも、ハルにとってはある程度予想通りだった。このコントロールパネル自体が動いていないのに、それとは独立してこのボタンだけが機能するとは到底考え難い。
「確かにその通りでしょうね。でも、俺にはあのボタンがなんの意味もなく作られたようには思えないんですけど」
そう言いながら、ハルはこの場であのボタンを押すべきかどうか、思案を巡らせていた。
アイラの指摘が正しいとすれば、今この場であのボタンを押しても、なにか良い結果が生まれる可能性は極めて低いだろう。
ただ、もしあのボタンがリーヴの「願いを現実にする力」によって発見できたものであるとすれば、ここでボタンを押すのを止めることによって、有力な手がかりを逃してしまうことにもなりかねない。
そういう意味では、非常に難しい判断を、今のハルとアイラは迫られている状況だった。押すことによってなにが起こるのか。なにも起こらないのか、それともこの地下シェルターになんらかの変化が生み出されるのだろうか。
「まぁ、せっかく見つけたんだ。ここで押してみないとなにも始まらないだろうね。もし、それでなにか悪いことが起こっても、それは誰の責任でもないってことで」
結局、ボタンを押して様子を見てみるということで話がまとまった。他に手がかりになりそうなものがないのであれば、それがたとえどれほどに小さな手がかりであったとしても、目の前に転がっているものを見過ごすことは愚の骨頂でしかない。
アイラがコンソールの裏側にあるそのボタンに向けて手を伸ばしていく中、ハルとリーヴは二人揃って視線を同じ方向に向け、アイラの動きを見守っていた。
「んっ、と。さすがにちょっと固いね。まぁ、そう簡単に押されちゃ困るボタンなんだろうけど。……よし、破けた。さぁ、押すよ」
アクリルの蓋が思っていた以上に固かったのだろう、破るのに多少時間が掛かったものの、アイラのような女性でもそれなりに力を入れれば十分破ることができる程度の強度だった。
そして、透明なアクリル板を外した後、慎重な動作で問題のボタンを押した。これまた若干力を入れないと押すことができない固い構造をしていたが、アイラは指先に力を入れ、その固さに負けないように奥まで押し切った。
ここまで力を入れないと押すことができないということは、それだけ明確に押す意思を示さないとならない、ということなのだろう。果たしてこれでなにが起こるのか。ハルが見届けていた、その時だった。
「……ねぇ、ハル……。後ろ、後ろ……」
ふと、リーヴがハルの防寒着を引っ張って彼を呼ぶ素振りを見せた。どういうことかとハルがその方に視線を向けた時、彼の目に、衝撃的な光景が映し出された。
「んっ? どうしたんだい、リーヴ……、あっ! こ、これは……!」
それは、部屋全体が照明で明るくなった姿だった。天井に設置された無数の照明器具が一斉に点灯し、部屋の内部を人工の光による偽りの昼間に変えてしまっている。
「へぇ、これは驚いたね。ということは、このボタン、やっぱりこの地下シェルターの電力系統を再稼働させるボタンだった、ってことなんだろうね」
ハルとリーヴがコンソールの下から出ていくのを見ながら、アイラも続けてコンソールの下から出てきていた。すでに部屋が明るくなっていることはアイラも気が付いていたらしく、それによって先程のボタンの正体を知ることができていた。
「どうやら、そうみたいですね。このコントロールパネルも動き出したみたいですし。といっても、俺にはなんのことだか、さっぱり分かりませんけど」
巨大なコントロールパネルも明るく映っている。今はただ真っ白な画面が表示されているだけであるが、ひとまず電力が通るようになったことはここからも明らかだった。
「よし、それじゃ、アタシはこのコントロールパネルでなにか調べられないか見てみるよ。ハルはリーダーとアッシュを呼んできてくれるかい?」
「はい、分かりました。それじゃ、リーヴ、おいで」
アイラの指示を受けて、ハルは腰を落とし、自分の背中をリーヴに向けて示した。リーヴがすぐさまハルの背中に乗ると、リーヴを落とさないようにしながら再度立ち上がり、ガルディンとアッシュを呼びに向かっていった。