「……ねぇ、ハル……。ワタシ、また、なにか、変なこと、しちゃった、の……?」
ハルがガルディンとアッシュを呼びに向かっている途中、彼の背中の上に乗っているリーヴが、若干不安を表明する声色で尋ねてきた。
「んっ? そんなことはないよ。あのままリーヴがあのボタンを見つけてくれなかったら、俺たちはずっと真っ暗な中を調査しなくちゃならなかったところだからね」
ハルは首を左右に振りながらリーヴに返事をした。いかに都合が良すぎるからといって、リーヴがなにかよからぬことを考えているとは思えないし、そもそもリーヴにそんなことをする動機があるとも思えない。
あのコントロールパネルからなにか情報を得られるのか、というところはハルも大いに気になるところではあるが、そのためには、なにを置いてもガルディンとアッシュをその部屋に連れていく必要があった。
「あっ、ガルディンさん、アッシュさん。まだここにいたんですね。ちょうどよかった、ちょっと話があるんですが」
そして、最初に入った大部屋に戻ってくると、そこには思っていた通りガルディンとアッシュが高性能端末を操作している光景が目に入ってきた。
「おぉ、キミか。突然この部屋が明るくなったものだから、なにがあったのかと思っていたが、どうやら、そちらでなにか見つけてくれたようだな」
「はい。実は……」
ハルが戻ってきたのに気が付いたガルディンは、すぐさまこの部屋の様子が変わった理由について尋ねた。そこで、ハルは要点をかいつまむ形で事情を説明した。
「……ふむ、なるほど。確かに、そのコントロールパネルというものは気になるな」
「僕も、同じ意見ですね。せっかくアイラさんたちが電力系統を回復させてくれたんでしたら、今のうちに情報を入手しておくのが一番いいと思いますよ」
ハルから説明を聞いたガルディンとアッシュは、やはり例の巨大なコントロールパネルに興味を示していた。電力系統を再稼働させるスイッチまで設置されていたということは、そのコントロールパネルにはなにか重大な秘密が隠されている可能性が十分にある。
お互いに意見の一致を見た以上、その正体を突き止めることが最優先になるだろう。ガルディンとアッシュはハルの案内に従い、例の部屋へと向かっていった。
「アイラさん。ガルディンさんとアッシュさんを連れてきました」
そして、ハルがガルディンとアッシュを伴ってコントロールパネルのある部屋に戻ってくると、そこではすでにアイラがそのコントロールパネルを使ってなにかを調べようとしている様子だった。
ただ、アイラも見たことがないタイプのコントロールパネルだったらしく、操作方法が今一つ分からない、というのが現状であるようだ。
「あっ、すまないね、ハル。リーダー、アッシュ。こっちだよ」
アイラはハルにお礼の言葉を述べながら、続けてガルディンとアッシュをコントロールパネルの前まで呼び寄せた。ガルディンもアッシュも、そのコントロールパネルの巨大ぶりに目を見張りながら、改めて部屋の照明が機能していることを確かめていた。
「アイラ、話は聞いた。ここの電力系統を再稼働させることができたそうだな」
「はい。正確にはリーヴがそのスイッチを見つけてくれたんですが、おかげで、調査もまた色々と進展しそうですね」
「それにしても、随分と大きなコントロールパネルですねぇ。こんな大きなコントロールパネルで、一体なにをしようとしていたんでしょうかねぇ?」
合流したアイラたちが、それぞれに会話を繰り広げていた。しかし、ここから先がどのような展開になるのか、というところはハルも概ね察しが付いていた。
「えっと、それじゃ俺たちは他の部屋を調べてみますよ。そのコントロールパネルのことは、皆さんに任せますので」
「あぁ、分かったよ、ハル。そっちも、リーヴのこと、ちゃんと面倒見てあげな」
ハルはそう言いながら、リーヴを背負ったままその部屋を出ていこうとした。アイラが事情を察知したかのようにハルに返事をすると、ハルは心の中でありがとうと言いながら、別の部屋へと足を運んだ。
「さて、とりあえず電力系統は回復したし、これでまた調査もやりやすくなるだろうな。あとは、他の部屋にもなにか手がかりになりそうなものがあればいいんだけど……」
別の部屋を探す、とは言ってみたものの、ハルも特別なにか探す目標があるわけではなかった。むしろ、コントロールパネルを調べてくれているアイラたちの邪魔にならないように、という思いの方が強かったからだ。
少なくとも、リーヴの面倒をきちんと見ることができるのは、今のところハルしかいない。肝心のリーヴがハル以外の人間たちに心を許そうとしない限り、その状況に変化が訪れることもないだろう。
「……ねぇ、ハル……。もっと、奥、行って、みる……?」
リーヴがハルの背中の上に乗りながら、廊下の奥を指差して言った。来た直後とは異なり、廊下全体も照明が稼働しているらしく、かなり遠くの方まで見通すことができる。
「もっと奥、か……。それもいいけど、とりあえず、近くの部屋から調べてみようか。あまりアイラさんたちから離れすぎちゃうのも、それはそれで問題だろうし」
「……うん、分かった……。ハルが、そう言う、なら……、ワタシは、いい、よ……」
ひとまず、ハルが近くの部屋から調べてみようと言うと、リーヴはそれほど反対することなく、素直にハルの意見に従った。
あの一件以来、リーヴは少しずつではあるが自分を主張することが増え始めている。それまでは単にハルに付いていくだけだったのが、自分の意見を押し通そうとする場面がちらほらと出てきている。
ただ、それはリーヴがわがままになったというより、これからもハルのそばにいたいという、リーヴの強い願いが反映されたものであるのかも知れない。
「うん。それじゃ、まずは隣の部屋から調べてみようか。なにかいいものが見つかるといいね」
そう言いながら、ハルは隣の部屋に向かい、そのドアを開けた。セキュリティロックが設置されていないところを見るに、ここはあまり重要度が高く設定されていないのだろう。
ハルとリーヴが入ると、まるでそれに呼応するかのように部屋全体が照明で明るく照らされていった。どうやら、人感センサーのようなものが、この部屋のどこかには設置されているらしい。
「この部屋もちゃんと明るくなったね。電力系統は今もちゃんと動き続けているみたいだな。さて、早いところ調べないと」
明るい部屋の全体をざっと見渡してみると、部屋の奥に巨大な本棚が並べられているのが見えた。その本棚には、ほとんど隙間なく無数の冊子が理路整然としまわれている。
どうやら、ここは資料室に類する部屋のようだった。資料室ということが事実であれば、なにか有力な手がかりが隠されている可能性は十分にあるだろう。
「リーヴ、大丈夫かい? もし大変だって思ったら、下りてもいいんだよ?」
「……大丈夫、だよ……。ワタシ、ずっと、こうして、いたい……」
本棚のあるところに向かいながら、ハルはリーヴを気遣うように声を掛けた。すると、リーヴはハルを抱き締める腕に少しだけ力を入れ、彼から離れないという意思を伝えようとした。
そんなリーヴの細い両腕の感触を確かめたハルは、今のところはリーヴも大丈夫だろうと思い、本棚の中を物色し始めた。
「うーん、これは昔の植物図鑑かな……? 地上にこんな植物が生息していたなんて、今のこの状態からは想像もできないな……」
ハルが手に取った冊子には、詳細な説明と共になにかの植物と思われるものの写真が掲載されていた。その後も同じような構成のページが続くところから、これが植物図鑑に相当するものだろうと推察した。
今は雪と氷に覆われ、草一本生えない極寒の大地となっているこの地上であるが、またこの植物図鑑に掲載されている植物類が地上に生い茂る日は来るのだろうか。
「こっちは、なんだろうな……? 昔のコンピューターシステムの技術資料のようにも見えるけど……?」
さらに別の冊子に手を取ってみると、先程の植物図鑑とは全く異なった内容が記されていた。どうやら、これは過去のコンピューターシステムに関する技術的な資料のようである。
ハルにとってはあまりに難解な内容で、その詳細までは窺い知ることはできなかった。すでにこの時代には受け継がれていないとはいえ、かなり高度なコンピューターシステムを運用していたらしいことが、この技術資料から読み取ることができた。
「……ねぇ、ハル……。あれ、なに、かな……?」
その時。リーヴがハルの肩越しに本棚の一部を指差して言った。ハルがその指の先に視線を移すと、そこには見たこともない記号のようなものが書かれた背表紙のファイルの存在を認めることができた。
「んっ? なんだ……? あんな文字、俺も見たことないけど……。とりあえず、見てみるか……」
一見してすぐに内容を推察することはできなかったが、せっかくリーヴが気になると言ってくれたものを放置するのもハルにとってはあまりに忍びない。ハルはそのファイルを手に取り、おもむろにその中身を広げていった。
「な、なんだ、この文字……? まるで、暗号みたいだな……」
すると、そのファイルの中身も、背表紙に書かれていたものと同類と思われる記号が無数に羅列されていた。まるで、他人に読み取られることを拒むような、無意味な表意文字の類であるとしか、ハルの目には映らなかった。
「もし、これが本当に暗号だったとしたら、これを解読するための機械が必要になるな……。でも、そんなもの、俺、持っていないしな……」
大昔の戦争においては、軍隊内の重要な通信に暗号技術が使われることは日常茶飯事だった。この時代に使われているコンピューターシステムを秘匿するための暗号化技術も、全てはこの大昔の暗号技術をベースに構築されている。
大昔の暗号は、それを解読するために機械式の解読器が作られた、という記録が今も残されているが、この時代の暗号化技術は、その程度で容易に解読されてしまうほど脆弱なものではない。
「とりあえず、これを読める方法がないか探してみるか」
ハルは懐から携帯端末を取り出すと、そのカメラ機能を使い、ファイルに書かれた記号を写し取り始めた。もし、これを暗号として認識することができれば、端末がなんらかの反応を示すはずである。
しかし、携帯端末からはなにも応答が返ってこなかった。カメラのピントを調節し、きちんと鮮明に写せるようにしても、結果は変わることはなかった。
「うーん、やっぱりダメか。ということは、これを解読するには、なにか専用の解読装置が必要ってことかも知れないな……」
ハルはこの記号を読めるようにするためには、ひとまず別の方法を調べる必要があると判断した。本棚をよく見てみると、似たような記号が書かれている背表紙を持ったファイルは、他にもいくつか存在していた。
「とりあえず、このファイルをアイラさんたちに見てもらおう。向こうの方でも、もしかしたらなにか情報が掴めているかも知れないし」
暗号化されていることが事実であるとすれば、その情報は間違いなく高い機密性を帯びたものになる。たとえそれが地上の秘密につながるものではなかったとしても、自分たちにとって全く無関係な情報だと判断するのは自分の務めではない。
ハルはそのファイルを次々と本棚から取り出していった。かなりたくさんのファイルが存在していることが途中で判明したが、それでも、一つたりとも見逃してはならないと、全てを取り出すつもりで作業に没頭していった。それらのファイルに、自分たちが知りたい情報が隠されていると信じて。