ノックのあと、ジェラールが顔を覗かせる。
「お呼びでしょうか?」
「お前、自分の嫁の手綱ぐらいちゃんと握っておけ」
「…は?」
突然の国王の言葉に、ジェラールは訝し気に目を細める。そして、視界の端っこにネージュが居ることに気付いて、ジェラールは細めた目を瞬かせた。ネージュはにへらと笑みを浮かべたあと、なんてことないかのように口を開く。
「ジェラールさま、お忙しいところすみません」
「いや…。それで、ネージュ。君は何を言って陛下を困らせたんだ?」
「…えぇ?そんな、困らせることなんて」
「なるほど?手綱を握れと言われる程のことを言ったんだな」
はあ、と溜め息をついたジェラールにネージュは口を噤む。別に、なんてことないのに。本当に。多分、陛下は魔力が枯渇したあとのことについて言ったのだろう。でも、本音なのに。
「それで、何か進展でもあったんですか?」
「黒魔術という線が上がった」
「黒魔術?」
そして、国王に向けられていたジェラールの視線がネージュに向いた。ネージュは頷いて見せる。
「あくまでも、仮定ですが。それを調べるために、一度王妃様を中心に王城全体を含めて探知魔術を展開します」
「は?」
ジェラールは、理解しがたいという顔をするのをネージュは小首を傾げた。どうしてそんな顔をするのだろう。もしかすると、王妃様の病の原因が分かるかもしれないのに。良いことのはずなのになあ。
「そんなことをして、魔力に余裕はあるのか?」
「え?枯渇状態には陥りますが、その辺りに転がしていただけたら別に…」
「ネージュ?」
「…陛下や宰相様も同じ顔をしてましたが、そんな可笑しいこと言ってますか?」
「……君の国の治癒魔術師は、自分を顧みることはあるのか?」
「顧みる…?私たちは使い捨てですし…。魔力がなくなれば、後ろに下がらされて回復を待ちますし、それで使えなくなったらそれまでなので…」
人道に反していると、思ってはいる。でも、刷り込みだ。そうやって、先輩や同僚たちは下がらされていたし、ネージュ自身も魔力が枯渇して下がらされた経験は何度もある。
「死にはしませんから大丈夫ですよ」
「…ネージュ。今一度、君とはちゃんと話し合わなければならないようだ」
「えぇ…。そんな、大袈裟な」
「大袈裟じゃない。命を尊重し尊ぶ君が、自分の命を粗末に扱うのはどうかと思う」
「そんなつもりはないんですよ?死なないから無茶できると言いますか」
「猶更悪いな。陛下、今日は連れて帰っても?」
「ああ」
「今日は探知魔術を使うので帰りませんよ?」
「…終わったら連れて帰る」
「うーん…」
そんなに早く終わるものではないのだが、まあ口にする必要もないだろう。ネージュはそう結論付けて、曖昧に笑みを浮かべる。ジェラールは眉を跳ね上げさせたが、それ以上言及することはなかった。
「それじゃあ、時間も惜しいから移動しよう」
「では、私は治癒魔術師の所に向かってから合流します」
「ああ、頼んだ」
国王の執務室を出て、ネージュは一番後ろをヴェーガと共に歩く。クルリと喉を鳴らして、ヴェーガはネージュを見上げた。まるで、ジェラールに何を言ったのと言わんばかりの態度だ。ネージュは声を潜める。
「まあ、ヴェーガったら。特に何も言ってないのよ?でも、怒らせちゃったの」
死ななければ何をしても良い、それは思っている。持てるものすべてを使うことの、何が駄目なのか。魔力なんて、いずれ回復するものだ。枯渇したら枯渇したまま、というわけではないのに。その感覚が、この国では可笑しいこともさっきの態度で気付いた。
でも。そう思ってしまうから。
「ヴェーガ、探知魔術を使うから護衛をお願いね」
バウッと吠えたヴェーガに、先頭を歩いていた国王とジェラールが振り返る。慌てて手を振って、何でもないことを伝える。対魔力、対魔術で抵抗された時にネージュは無防備になる。いくら安全な場所だと分かっていても、長らく傍に居て守って来てくれたヴェーガに護衛を頼むことは、不自然なことではなかった。
ネージュの魔力によって召喚されたヴェーガの魔力は、ネージュの魔力に対して柔軟に適応することが出来る。だから、ネージュの影にもぐりこむことが出来ているわけだが。
対魔力、対魔術で何かあった際には、最も誰よりも何よりも早く対応できるのはヴェーガだけだ。だから、ヴェーガにネージュは頼む。
「探知魔術を使うなんて、いつぶりかしら」
年に一度使うか使わないか、そんな程度だった。魔力の流し方や流す量で、探知の精度は変わって来る。あまり使わない魔術であっても、それなりの精度は出せるだろうとネージュは考えた。
それに探知魔術に関しては、師事を仰いだのはあの隣人さんである。だから、魔術を使うにあたってのことは身体がよく覚えているだろう。結構厳しかったなあ。『何かあった時に困るのは白雪ですよ』と言っては、精度の荒さや魔力の練り方についてこんこんと言われたものだ。
そんな思いに耽っていると、国王とジェラールの歩みが止まった。エルネスタの部屋に戻って来たのだ。背筋を伸ばした近衛たちが、ジェラールと一言二言交わしているのを見ながら、ネージュは自身の魔力を収束させていく。
「ネージュ?大丈夫か?」
「はい、ジェラールさま。あ、探知魔術を展開中に、私に何か起きても決して止めないでください。何らかの問題が起きた場合は、ヴェーガが対応します」
「…それもあとで、話し合うとしような」
「……弁解の余地くださいね」
一歩、部屋に踏み入れる。やっぱり、魔力の反発を感じた。ユーリア・オゾンスが治癒魔術師たちに質問を受けてるのを目の端で見ながら、ネージュはエルネスタの寝台の横に立った。
「こんなに穏やかな眠りにつけているんだ。エルネスタも休めていることだろう。ネージュ、エルネスタと手を繋いで居ても良いか?」
「良いですよ」
ネージュの反対側で椅子に座る国王からの問いかけに、ネージュは問題ないと頷いた。どうせ王城を覗くのだ。魔力の揺れも混ざりも、今から全部をネージュが覗くのだから、ここでひとつ混ざり合っていたって問題はない。
「ネージュさん、少しいいですか?」
部屋のあちこちに視線をやっていると、後ろから声が掛かる。振り返れば、治癒魔術師が険しい顔でネージュを見ていた。
「どうかされましたか?」
「…全員が、彼女からの魔力の反発を確認しました」
「間違いない?」
「はい。神に誓っても」
「そうですか…。元々、この部屋でそういった魔力が反発する感覚はありましたか?」
「いえ、ネージュさんに言われて初めて気づきました…。不甲斐ないです」
「気付いたのは、私も感覚を尖らせていたからです。普通の状態なら気にも留めない」
しかし、治癒魔術師全員と反発するということは、ユーリア・オゾンスには何かしらの問題があるという事が確証された。ネージュは、視界の隅っこで不満そうな表情を浮かべたユーリア・オゾンスを見る。
「私が探知魔術を展開している間、この部屋で彼女の様子の確認をお願いします」
「えっ。ネージュさん、探知魔術も使えるんですか?!」
「えぇ。昔、少々必要に駆られたもので」
「凄いですね…。本当に、なんでも御出来になるのですね…」
「死者蘇生とかはできないですよ!?」
「ぷっ。治癒魔術師にそれはご法度ですから、出来たら大変です」
ネージュの言葉に小さく噴き出した治癒魔術師は、顔を引き締めて頷いた。
「他に何か手伝えることはありますか?」
「今は、彼女の確認に集中してください」
「承知しました」
治癒魔術師が、頭を下げてネージュの近くから去って壁際に戻る。それを見届けて、ネージュは小さく息を吐いた。これで、ユーリア・オゾンスについて気を配らなくて済む。目の前のことに集中できる。
「――それでは、始めます」