[ジェラール視点]
「――始めます」
ネージュは、何度か深呼吸を繰り返したあと両手をエルネスタの上にかざす。入室を許可されたヴェーガが、ネージュの背後に陣どりながら頭を伏せるのを、ジェラールは見た。
ネージュの魔力は白くて美しい。白銀の髪と同じような淡い白い光を放ちながら、ネージュの足元に大きな魔術陣が浮かび上がった。朝見たものよりも、何倍も複雑な魔術陣にジェラールは息を呑む。
「これも詠唱なしか」
「…そうですね」
「並みの魔術師でも出来ないことが出来る治癒魔術師なんて居るか?」
「普通なら、出来ないでしょうね。魔術陣が大きくて範囲も広い分、消費する魔力も多い筈なのに無詠唱で挑むなんて、と俺も驚いています」
宰相に話しかけられたジェラールは、ネージュから視線を逸らさずに答える。そう、‘普通’の治癒魔術師なら、出来ない芸当だ。それをさも当たり前のように、ネージュはやってのける。命を救うために、ただそれだけのために。
「トラバルトも、どうしてここまでの逸材を手放すことを選んだと思う?」
「さあ。俺には解り兼ねます」
「私もだよ」
ネージュは、自身のすることの規模や反響を考えていない。そこにある命を救おうとしているから、どうだっていいのだ。だから、自分の魔力が枯渇しても、平然としている。
ネージュの魔力が、ひたひたと足元に伸びるのをジェラールは感じながら目を伏せた。満たされていくような感覚がある。自身の魔力がネージュの魔力に満たされていく。増幅ではないけれど、僅かな足りていない部分を補うような感覚にも似ていた。
今、ネージュが展開している探知魔術は探るものだ。人を探知魔術の範囲内に含めた時、術者の魔力が臓腑をかき混ぜるような感覚が付きものだと思っていたのに、ネージュはそれを覆してきた。
「すごい…。これが、白銀の天使のちから」
「この魔力なら、確かに誰も抵抗反応は起きませんね…」
「えぇ、探知魔術なのに心地いいとさえ思わせられる…。魔力の質も、才能も天賦の才の持ち主なのね」
治癒魔術師たちの感嘆の声を聞きながら、ジェラールは息を吐いた。
『白銀の天使』ネージュは、そう呼ばれている。最初に呼び始めたのは、なんと一番最初に救い上げられた騎士だったというのをアドルフから聞いた。それは、瞬く間に騎士団に広がりを見せ、そして、あのワイバーンが襲撃するという災害が起こった。
一気に広がるのは、その時だった。治癒魔術だけではなく、身体能力の向上魔術をも操るネージュの姿に誰もが魅入られたのは。『白銀の天使』のことが、街の住民にも広がりを見せたのは、中央区の天幕での診療の時。優しくて、常に真摯に向き合ってくれる姿に天使を見たのだと、と耳にした。
「白銀の天使、か」
そうやって、ネージュを祀り上げる人は少なからずいる。その姿に、憧れを抱く者もいるだろう。これから、出て来るだろう。そのたびに、ネージュは誰にも優しい『白銀の天使』であることを求められるのだ。
そう思うと、少しだけ遣る瀬無い。ジェラールは小さく息を吐いて、ネージュを見た。ふわふわと魔力の奔流で髪が空に流れている。膨大で大量の魔力が、綿密な作業で細く鋭く魔術陣に流されているのが、なんとなく分かった。
そして、その魔術陣が王城をすべてを覆っているのも分かった。魔力の扱いは器用な方だとジェラールは自負しているし、魔術師団どもとは不仲ゆえに自身もそれなりに魔術は磨いて来ている方だ。
ネージュのしていることの凄まじさを、ジェラールは目の当たりにしている。この場に魔術師どもが居たら、ネージュに興味を持つことだろう。その光景が目に見えたから、この場に魔術師どもが居ないことに安心する。
「ジェラール」
「はい?」
「ひとつ忠告してやろう」
「忠告、ですか」
クロヴィス家の一番上の兄と親しい宰相は、ニタリと笑って弟分にも似たジェラールに言葉を投げる。
「ネージュ・アルナルディは、自身を強く持っている。だから、どんな環境にも適応して過ごすことが出来ている。でも、今回お前との結婚で、少し揺らいでる部分もあるだろう。私でさえもあんな報告書を読めば、ネージュ・アルナルディが愛情に薄いということが分かる」
「…何が言いたいんですか」
「しっかりと、向きやってやれ。恐らく、すべてはお前のためだと思っている」
「俺のため?」
「こうだと思って決めた女は強いぞ、負けるなよ」
宰相は口元を持ち上げる。ジェラールはその宰相の言葉に、また息を吐く。どうせそうだと思った。俺が、エルネスタとの間に何もないのだと告げても、あれは納得していない顔だった。すべてを呑み込んで、なんでもないような顔をして。
「…そんなに、俺たちは恋人同士に見えましたか?」
ジェラールの隠された主語に、問い掛けられた宰相は目を瞬かせる。ジェラールは、苦々しい顔で宰相を見ていた。
「あー…そうだな。お前は、懐に入れた人間には甘いから」
「…そんなつもりは」
「そんなつもりはなくても、周りにはそう見せるほどの甘さがあったぞ。滅多に合わない私とて、それは思った記憶がある」
「…そんなに?」
「あぁ。お前は父上に似て愛情深いからなあ」
知ったような口ぶりを、とも思うがジェラールは宰相から目を逸らして、エルネスタとの過去を振り返る。そんなつもりはないのだ。だって、エルネスタは可愛い妹分で。常に後ろをついて来た可愛い女の子。ドレスを新調したら褒めたし、行きたい場所には都合をつけて連れて行った。夜会も同伴者として何度も出た。
「…」
ただ、思い返せば、それがなんとなくマズイような気もしてきた。エルネスタを自分なりに甘やかしていた。可愛かったからだ。いや、そこに色恋はない。可愛い‘妹分’だから。でも、そうだな。自分を第三者の視点から見ると、間違いなく恋人も同然のような、そんな関係だった。
「お、更に苦い顔になったな。漸く自分を見たか」
くつりと宰相が笑う。そりゃあ、周りが口を酸っぱくするほど言うわけだ。陛下に対して略奪愛なんだと言って、貴族たちは散々騒いでいたが。そりゃあ、そう言いたくもなる。とすれば。
「俺は最低な男ですね…」
「そう落ち込むことはない。挽回の余地があると良いな」
「……えぇ」
陛下と婚姻を交わしても、エルネスタは可愛い妹分だ。後宮問題では、クロヴィス家の人間として手を回したこともあった。陛下は手札があるのだから良いと言って、交流をそれなりに黙殺してくれていたが。陛下にも失礼なことをしていた。
「……はあ」
「嫁が頑張っている後ろで大きな溜め息を吐くなよ。どうせ、話し合いをするのだから腹を割って話し合えば良い。まあ、暫くはこの件で奔走するだろうがな」
ネージュは目を開けない。ずっと、そこに集中している。エルネスタの原因を探るために。ただ、その命を救い上げるために。俺の言葉を信じず、俺のためだと思って。
――そう言えば。彼女は。ネージュは、『幸せになりたい』と一言でも、言ったことがあっただろうか。記憶を探しても、見当たらない。ただ『私と、幸せになってくださるんですか』そう問われた時がある。その時、幸せが何か分からないとも言っていた。
己の不甲斐なさが、ずっしりと肩に乗っかって来る。
「ジェラール、まだ今からだ。お前たちは若いんだから」
「…はい」
白い魔力はずっと輝き続けている。ネージュは今、隅から隅までを見ているのだろう。一切の見落としがないように。ひとつでも見落とせば、この命を救い上げることが出来ないと自身を鼓舞して。
「すべてが片付いたら、一週間休み貰ってもいいですかね?」
「仕事を片付けておいてくれよ」
「はい」
新婚旅行も考えないとな。少しぐらい命のやり取りから離れても良いだろう。微動だにしないネージュの横顔を見ながら、ジェラールは考えるのだった。
[END]