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第50話

ネージュの意識は、魔力と共に緩やかに王城を巡っていた。細く鋭く流れていく魔力は、些細な物でも感知できるように研ぎ澄まされている。調理室や洗濯室、図書室とぐるぐると循環する。


どこにも魔力は漂っているものだ。魔素という小さな小さな存在として、空気に漂っている。不審な点は見られない。


ネージュの魔力を受け入れるように、王城にはネージュの魔力で満たされていく。ひたひたと満ちていく感覚は、己が王城になったような感覚でもあった。


――ふと、魔力に突っかかるものがあった。ネージュの魔力を突っぱねる何かは、何度もネージュの魔力を拒む。それが、複数個所存在することにネージュは心の中で首を傾げる。


呪物があるわ…。魔力を拒むんだから、怪しんでくださいって言ってるようなものよ。でも、コレはきっと普通の探知魔術なら気付かないものね。黒魔術師直伝の探知魔術であり、治癒魔術を使うネージュの魔力だからこそ拒んでいると推測できた。


呪物があるのは、エルネスタの部屋を中心とする五ヵ所。五芒星を描いて、エルネスタの部屋を取り囲んでいるような。随分と大がかりなものを仕掛けたものだなあ。王妃様が寝込んだ今が、時が満ちたというやつなのかもしれないわ。


ネージュはその呪物の位置を把握しながら、エルネスタの部屋に意識を戻す。ネージュの魔力に反発するユーリア・オゾンスと、何もないかのように受け入れるエルネスタ。暫くその様子を感じていたネージュは、己の魔力がどんどん吸い尽くされていることに気付いた。


…あれ?


ネージュの流れていく魔力が、エルネスタの腹部で溜まって緩やかに吸収されていく。何度も何度も繰り返すそれを見ていて、ネージュは小さく息を吐く。そして、同じように手を繋いでいる国王からの魔力も、同様に吸い取っているのが確認できた。


なるほど、そういうことね…。

そりゃあ、治す場所がないわけだわ…。


王城って怖い場所よね。たくさんの思惑が渦巻く場所で、少しも気を抜くことが出来ない。気を抜いていなくても、こうやって身の危険にさらされることもあるのだから。


にしても王妃様の自己防衛本能の力って、かなり凄い部類に入るんじゃないかしら…。一度、ちゃんと調べてみた方が良いかもしれないわねえ。


ごっそりと予想以上に魔力がなくなるのを感じながら、ネージュは意識を身体に戻す。倦怠感が身体を取り巻くのを感じながら、目を開ける。


「…ネージュ?」


ジェラールの声と国王の声が重なる。大丈夫だと、小さく微笑んで。クラリと意識が遠のきそうになるのを、足を踏ん張って耐える。


「…顔色が悪い、一度休憩を」

「いえ、大丈夫です」

「――大丈夫なわけがあるか、馬鹿」

「…ジェラールさま」


国王の言葉を拒否すれば、ジェラールが近付いて来て、力が今にも抜けそうな腰に腕を回される。がっしりとしたジェラールの腕が、ネージュを支えた。


「陛下、一度休憩をいただいても」

「あぁ。その方が良いだろう」

「…でも、」

「でももなにもない。休めと言ってくださる好意を無駄にするな」

「う」

「すまない、椅子と水を貰えるだろうか?」


慌てて侍女たちが動くのを感じながら、ネージュは息を吐く。意識があるだけで御の字だわ…。枯渇はしてるし意識も遠のきそうだけれど、まだ、伝えれるだけの時間はありそう。


「ほら、大丈夫か?」

「…ありがとうございます」


コップに入った水を、椅子に座ったネージュは震える手で受け取る。こくりこくりと喉を潤しながら、ネージュは感じたこと想ったことをまとめる。


呪物はあった。それは間違いなく完全な呪いとして成り立っている。でも、王妃様の自己防衛本能のために、命まで奪えなかった。呪いは途中で書き換えることが出来ないから、じわじわと体力を削るだけなのだろう。


今回のことは情報過多だった。それに尽きた。


「ネージュ、何か、分かっただろうか?」

「…ええ、色々と」

「それで、エルネスタは」

「そうですね、幸いにも私の方でどうにかできそうです」

「…本当か?」

「はい。可能であれば、王城の魔術師さんの助力も受けることが出来れば…」

「それは如何様にでもできる」

「なら、大丈夫です」


ネージュは頷いて、エルネスタを見た。夢も見ることがない深い場所で眠っている。けれど、身体は痛んでいるだろうし、悪夢は今か今かと口を開けて待っている状態だ。


「王妃様の自己防衛本能は素晴らしいですね」

「自己防衛本能?」

「身を守るための無条件反応の事です。王妃様は、それが人よりも鋭いんでしょう」

「その、自己防衛本能がどうしたというんだ?」

「――王妃様は、ご懐妊でいらっしゃいます」


沈黙。


「…え?ね、ネージュ、今、なんて?」

「ご懐妊でいらっしゃいます」

「…ご懐妊?エルネスタが?」

「はい。そんなに驚かれることですか?」


きょとんとしたネージュが辺りを見渡す。誰もが、驚き固まっていた。侍女でさえも各々が目を見開いている状態だった。え、何この反応。


「ネージュ、それは、本当か?」

「ジェラールさままで。みなさん、どういう反応ですかそれ?」

「ね、ネージュさん」


ひとりの治癒魔術師がネージュに声を掛ける。振り返れば、その治癒魔術師は目を潤ませていた。


「王妃様は極度の生理不順で、不妊体質と診断されているのです」

「はあ」

「なので、そんなことが…」


ありえないという言葉を呑み込んで、治癒魔術師は目を伏せた。なるほど。そういう。


「ですが魔力の質から見ても、陛下の子供ですよ?」

「そんな…そんな奇跡が…」

「で、とりあえず話を戻しますね?」

「あ、ああ」

「王妃様は自身と子供を守るための自己防衛本能から、黒魔術に抵抗するために高熱に魘されています。あと、元々体温が高かったんだろうと思います。妊娠初期と言うのは体温が上がりますから」

「体の痛みや悪夢は…」

「それも妊娠初期の症状にも上げられますし、黒魔術のせいだとも言えます」

「急に曖昧だな」


ジュエラールの言葉に、ネージュは苦笑いを浮かべた。


「呪物を見てから黒魔術の判別に入るので今詳しいことは解り兼ねますが、恐らくすぐに死をもたらすものではないと思います。苦しめて死なせるものだと仮定して、王妃様自身の自己防衛本能が働き、じわじわと体力を削るものになったんでしょう」

「黒魔術は、魔術と違って途中で術式を書き換えることは可能なのか?」

「出来ませんよ。だから、命を奪えずに七日間体力を削っている」

「…自己防衛本能はそこまでできるものか?」

「私も、王妃様の様にここまで大きく自己防衛本能を働かせている人は初めててですね。だから、治すことが出来なかった」


まあ、妊娠の線を誰もが考えていなかったことが驚きにも近いけれど。生理不順とは言っていたけれど、そういう管理はしていなかったのかしら。そう思うも、そこはネージュが関与するところではない。


「えぇっと。呪物が特殊な陣を描いていて此処が中心になっているので、ひとまず王妃様をこの部屋から移しましょうか」


ネージュはそう言うも、誰も動かない。特に国王は、エルネスタの手を取って深い想いに浸っているようだった。ジェラールに目を向けると、ジェラールも蘇芳色の目に様々な感情を浮かべているのが、見えた。


でも、くらくらと目が回り始めている。やばいなあ。もう時間切れかなあ。


「ネージュ?大丈夫か?」

「…目の前が回ってます」

「自己申告出来て偉いな、少し休ませてもらおう」


少しだけ休ませてもらおうと立ち上がった瞬間、ネージュの意識は暗闇に堕ちて行った。


「ネージュ!?」


手足が冷えて行く。暗闇に、堕ちて行く。


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