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第51話

――いつまで、その闇の中に揺られて眠っていただろう。


頭や身体が重くて、倦怠感がまとわりついてきている。このまま眠りに落ちて身体を休めておきたい。もう少しだけ、この微睡みに沈んでいたい。けれど、ネージュにはやることがあった。


やることがある、と思うと意識がどんどん浮上していく。重たい指が、何かに触れる。ぎゅぅと握り締められた。知っている温かさに、引き揚げられていくような感覚。


「…ぅ」

「ネージュ」


柔らかな声音がネージュの耳に吹き込まれる。ネージュはゆっくりと目を開けた。霞む視界の向こうで、ジェラールが心配そうな顔でネージュを見ていて、ネージュと視線が絡み合うとほうと息を吐いた。


「ネージュ、もう起きて良いのか?」

「…どれぐらい寝てました?」

「夜明けだ」

「あー…かなり寝ちゃった……」


身体を起こしながら、顔にかかる髪を耳に掛ける、エルネスタの所に居たのは確か夕刻だったように思う。それから、恐らくだが日付が変わるあたりまで探知魔術を展開し続けたように思う。それが、夜明け。かなり休んでしまったように思うが、まだ数時間ほどだろう。


「陛下からは朝食まで休んでいいとのことだから、気にするな」

「あの、私が眠ってからってどうなりましたか?」

「部屋を移した程度だな」

「なるほど…。事態が動いたということもなさそうですね」


ふぅと息を吐いて、ネージュは握り締められた手を見た。ジェラールの大きな手が、ネージュの手を包み込んでいる状態だった。ほのかな温もりが気持ち良いが、どうして?


「あれから、身体が急激に冷え切って大変だったんだ」

「まあ」

「俺の魔力とも相性が合っていたから、良かったよ。俺の魔力でギリギリだった魔力を補うことが出来たんだ」

「…ご迷惑を」

「何が迷惑だ。王城全体に探知魔術を展開したからだと言っていた。あと胎児に魔力を持って行かれたのだろうと」

「…ご明察ですねえ」


ジェラールは大きく溜息を吐いて、ネージュの額を小突く。何言っているんだと蘇芳色の目が言うのをネージュは見た。その目が柔らかくて、優しくて、目を逸らす。


「ネージュ、起きて居られるなら少し話をしないか?」

「え?」

「不甲斐ない男の話なんだが」

「えぇ?ちょっと、え?ジェラールさま、ジェラールさま?」


ネージュの手を強く握り込んで、ジェラールは懺悔するようにその手を額に当てた。これ、ジェラールさまの懺悔が始まってしまうのでは?ネージュは、今この状況でそんな懺悔を聞いている余裕はないと思う。どんな懺悔なのかは置いといて。


「ジェ、ジェラールさま、ちょっと待ちましょう?」

「いや、聞いてもらいたいんだ…。どうした、調子がやっぱり悪いのか?」

「え、ええ、そうなんです。少し、まだ頭が重たくて」


そうだよな、と呟いてジェラールはやるせなく首を横に振った。ネージュは、そろりとジェラールの手の上に自分の手を重ねる。


「ジェラールさま、全部が終わったらお話しましょう。私にも弁解の余地をくださいね?」

「弁解の余地…。それを乞うのは俺の方なんだよな」

「そ、それはお話して決めましょう?ね?」

「…ネージュは優しいな」


しみじみと言うように、ジェラールは小さく微笑んだ。だめだ、ジェラールさま何か考えて勝手に傷ついてらっしゃるわ…。でも、今はそんなことよりも、と思ってしまう。


「ジェラールさま、ジェラールさま」

「ん。なんだ、ネージュ」

「王妃様は部屋を移しただけですか?」

「あぁ。ひとまず、陛下の部屋に移した」

「侍女の皆さんも?」

「そうだな。治癒魔術師や医者も揃っている筈だ」

「…そうですか。そういえば、ジェラールさまに教えていただきたいことがあるんですが、この国には後宮制度はないんですか?」

「あー…」


苦々しい顔になるジェラールに、ネージュは苦笑いを浮かべた。ジェラールの顔がよく語ってくれている。その表情から、後宮制度があったことをネージュは悟った。王族の一夫一妻はどちらかと言えば、半々だ。この国は、大きいから後宮制度があったってなにも可笑しいことではない。


後宮制度の問題というのは、何処の国にも存在する。一夫一妻であっても、後宮制度を復旧させたいという人間も少なからずいるというのを、ネージュは知っていた。


「陛下が即位する前に、後宮は解体した、はずだった」

「はずだった?」

「陛下には前妻が居る」

「…ん?」


ぜんさい。ネージュはそう口の中で呟いて、前妻と言う言葉を頭の中の辞書を捲ってみる。所謂、最初の妻である。陛下に前妻。離婚経験があるということ、でいいのかな?


「陛下の暗殺未遂で処刑されているがな」

「…暗殺未遂、ですか」

「先代の王に恨みがあった一族と共謀して謀ったことだと供述して、一族郎党処刑で事は済んだんだが…」

「…凄いですね……」


とても濃い話だ。初っ端から、前妻の処刑。私は後宮問題について聞いたつもりだったのだけど。


「で、えっと、その後宮は解体したのに出来ていなかったって…あの、それって陛下の権力はちゃんと機能してるんですよね?」

「あぁ。今でこそ、機能しているが当時は、即位したばかりで反対派もまだ大臣としてのさばっていた時期だった。そのなかで後宮の解体声明を発表したんだが、とある大臣の手に寄って、手続き書類の改ざんがされていたんだ」

「反対派閥の力が大きかったんですね」

「あぁ。解体出来なかった後宮から勝手に嫁いできたから、追い返すことも出来たんだが、改ざんされた書類の手前どうすることも出来なかったんだ」

「…へえ」


あの国王に反対派もいるんだ…。疲れたようなジェラールは、ネージュの手をにぎにぎと握る。そのことで、騎士団にも余波があったのだろうか。


「反対派閥を取り除くことに苦労してな…。なんとか落ち着いた頃に、陛下はエルネスタを王妃に迎えたんだが…」

「だが?」

「後宮に居た女たちがエルネスタを王妃から下ろせと嘆願書を上げて来た。ふさわしいのは、自分だと言って日にも日にも…」

「うわ…。円満な後宮の解散ではなかったんですね…」


いや、後宮解体に円満なものがあるのかどうか分からないのだけれども。ネージュは、その時の気苦労が凄まじいものだったのだろうと、少しばかり国王に同情する。


「ん?ジェラールさまは騎士団に居たんですよね?陛下とは親しいと聞いていますが…」

「当時はまだただの騎士だったんだが、クロヴィス家の人間として兄や父について王城に上がっていたんだ。使えるものは使えというのが母の言い分でな、エルネスタの擁護のために上がったわけだが…」

「それで、王城の内情に詳しかったのですね…。後宮の解体に反対した大臣や貴族などの名簿はありますか?」

「え?あるとは思うが、宰相に聞かないと分からないが…」

「こういう時、大体の犯人の相場が大臣か貴族の仕業というのは通説なんですよね…。劇なんかでもそういう話が多いですし」

「…劇?見に行ったことが?」

「え、えぇ、まあ。」


トラバルトを出て最初の国で、仲良くなった少女と劇を見に行ったことが一度だけある。それは、とある王子様との恋愛物語だった。とても人気の劇で、友人の強運のおかげでチケットが取れて見ることが出来たのだ。懐かしいな、と思い出しながらネージュは目を伏せる。あの少女は珍しい病に臥せり、治すことも別れを告げることが出来ないまま去って行った。


「ネージュ?」

「いえ、なんでもないです。えっと、その書類を用意してもらうことはできますか?」

「宰相に言って用意してもらうか。後宮についても、宰相が詳しいことを教えてくれるだろう」

「後宮問題、奥が深いですからねえ…」

「まあ、そのことは後で分かるだろう。もう少し、休んでいると良い」

「…ジェラールさまは?」

「宰相に話をつけて来る、書類の用意は早い方が良いだろう?」

「そうですね、お願いします」

「じゃあ、寝て待っていると良い」

「はい」


身体をゆっくりと横たわらせ、ネージュはジェラールを見送ったあと目を閉じた。


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