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第52話

やはり身体が休息を求めていたようで、ネージュはうつらうつらと夢と現実を行き来していた。王城を魔力で満たすなんて、割と無茶なことをしたと思っている。ネージュの探知魔術は、あの人がネージュのために組み替えたものだ。それは、自身の魔力の特性を強く活かしたものだ。


浸食ではなく魔力で満たす方法で、異物を探る。魔力に反発するなり魔力に浮き出るなり様々な方法で、それを知ることが出来る。


今回の探知魔術では、かなり絞られた。魔力が多い方ではあるけれど、殆どすっからかん。そして、胎児にもかなり持って行かれた。危うく魔力がなさ過ぎて、生命力の置換するところだった。


身体が急激に冷えていったというのは、そういうことだ。身体の機能を最低限にして、生命力を維持しようとしていた。


危なかった。本当にぎりっぎりのところだった。こんなこと誰にも、特にジェラールさまには言えないけれど。


とはいえ、まだ回復したとも言えない。魔力の底は見えていたのが自分でも分かるほどに。数時間の睡眠で回復できる量はたかが知れている。ジェラールが魔力を流したと言っていたが、それもたかが知れていから。


「はぁ…」


多分、今日一日は魔力回復に費やすだろう。騎士団の治療とかなくて良かった。今は治癒魔術使うことが出来ない。今日の私にできることは、探知魔術で見たことによる推測ぐらいだろう。


後宮問題について、自分が聞いても正直あまり分からない。けれど、そこはちょこちょこと不審な点を口にすれば、ジェラールたちが推測してくれる、と思っている。言っておくが、私はただの治癒魔術師である。


「ヴェーガ。ヴェーガ、いる?」


身体を起こして寝台に腰掛けたネージュの声に、するりと影からヴェーガが姿を見せた。白銀の毛並みをふわふわと揺らせながら、ベッドに横たわるネージュに顔を寄せる。大丈夫かと言いたそうに、濡れた鼻先をネージュの鼻先に当てる。


「ふふ、ありがとう。ヴェーガ、私が倒れてから異変とかあった?」


ジェラールは特になかったという口ぶりで言っていたが、ヴェーガの視点で知りたい。見えるものが違うから。


「ユーリア・オゾンスに異変は?」


瞬きひとつ。はい。異変はあった。


「反発してたから、結構体力削ったかな。倒れたとかしてない?」


ネージュの言葉に、ヴェーガは瞬きをひとつ。倒れてはいないけど、異変はあった。なんだろう、どんな異変があるだろう。ふとそこまで考えて、ヴェーガがぐるりと喉を鳴らした。そして、寝台に前足を掛けてネージュに顔を寄せて来る。


あんまり考え過ぎないでね、という事だろうと推測してネージュはヴェーガの首筋をワシャワシャと撫でた。そうね、今は考え過ぎると頭が爆発しちゃうかもしれないわね。


「ヴェーガ、ありがとう」


頬を一舐めして、ヴェーガは姿をくらませる。次いで、ノックの音。そろりとジェラールが顔を覗かせた。ネージュと目を合わせあたあと、ヴェーガの気配を感じたのかきょろきょろと見渡す。


「ヴェーガは?」

「城の探索に行ったんじゃないんでしょうか」

「ふぅん?」


部屋に身体を滑り込ませたジェラールの手には、少し大きなバスケットがあった。ふわりと良い匂いが漂ってくる。小首を傾げるネージュに、ジェラールはバスケットを掲げて見せた。


「ついでに朝食持ってきた」

「まあ」

「食べれるか?」

「はい、いただきます」


ネージュはソファーに移動して、向かいにジェラールが座る。バスケットの中をテーブルに広げるのを、ネージュはぼんやりと見つめた。並べられていくものはどれも美味しそうなものばかりだ。


「美味しそうですね」

「城の料理も美味しいぞ」

「素材が違うのでは…?」

「いや、素材は基本的に街のものと変わらないな」

「そうなんですか?」

「あぁ。国外の客人が来るときは良い物を使うがな」

「へえ…。国民と寄り添うのがこの国の王族なのですね」


それが穏やかで豊かな国の秘訣なのかもしれないなあ、とネージュは思いながらサンドウィッチにかぶりつく。それは優しい味がした。


「美味しいです」

「料理人たちも喜ぶだろうな。昨夜の探知魔術から、王城務めの者たちの調子がいいらしいぞ」

「そういう一時的なものもありますねえ」

「どういうことかな?」

「んぇ?」


ネージュはジェラールを見た。口元は緩やかに弧を描いているが、目は笑っていないし、僅かに冷ややかな感じがする。ネージュは口の中を空っぽにしながら、ジェラールの感情を考える。かといって、特に思いつくものはない。


「魔術師団長に、君の探知魔術について聞かれてな?」

「…はあ」

「あの探知魔術は、侵食するのではなく満たして炙り出すものだと聞いた。それゆえに、かなりの魔力を消費するということも」

「え、ええ。そうですけど」


魔力の消費量とかその辺りは、既に言っている筈だ。だから枯渇したら倒れるとも言ってある。だから問題ないと思うのだけど。


「魔術師団長は、君の魔力が生命力と置換しているのではないかと言って来てなあ」

「…えぇ?」


ちょっと、まだ見たこともない魔術師団長さん!?ジェラールさまに何を言ったんですか!!私が折角墓場まで持って行こうと思っていたことを!こんなに早くバレてしまうなんて!!


「ネージュ?詳しい説明をしてもらおうじゃないか」

「あ、あははは…」


詳しい説明って言われたって。ネージュは視線をあちこちと彷徨わせる。思いつかない。ネージュ、ともう一度名前を呼ばれて思考も止まる。そろりとジェラールを見やれば、蘇芳色の目はしっかりとネージュを見ていた。


「怒らないから、素直に教えてくれ。君の冷えて行く身体を抱き締めた時、どんなに心配したことか」

「…う」


そうは言われても…。ジェラールさま自身、なんとなく気付いていると思う。犬猿の仲であろう魔術師団長に言われて、確証がほしくて聞いて来ているのだろう。


「ネージュ」

「……胎児に持って行かれたことが、予想外だったのです」

「うん」

「断じて、生命力の置換は行っていません。そりゃ、魔力が多い方ではありませんが、王城を満たすぐらいの魔力は有しているの」

「…それ、少ないとも言えないと思うが」

「ギリギリの綱渡りみたいなものです。身体が冷えたのは生命維持に回している魔力を少し使ったから、というだけで…」


言葉がどんどん尻すぼみになっていく。ネージュは視線を下げた。生命維持と言った時点で、ジェラールの視線が痛く感じたから。


「という‘だけ’?」

「アッ」


繰り返し言ったから、多分それは失言だったのだろう。多分ではないかもしれない。絶対だ。ジェラールは、ネージュに『君の国の治癒魔術師は、自分を顧みることはあるのか?』と問いかけてきたことを思い出す。そうは言われても、それは必要なかったことだ。


自分の後ろには、次の治癒魔術師が控えていた。治癒魔術師は消耗品の使い捨てだ。それ以上それ以下、何でもない。あの国は、治癒魔術師が存在するから成り立っているようなもので。治癒魔術師はそうであれと教え込まれたから。


「ジェラールさま、あの」

「君は命を何だと思う?」

「え?えっと私が守るべきもので、私にとって絶対的なものです」

「そこに、自分は含まれているか?」


ジェラールの言葉が、なんとなく泣きそうなものでネージュは目を瞬かせた。この国の人たちは、優しい。本当に優しい。ネージュの命さえ、こうやって大事に思ってくれるほど。


けれど。


「…そこに私自身は、含まれていないと思います」

「どうして?」

「……私はまだ、トラバルトでのことを忘れることが出来ていないから、でしょうか。どうしてもトラバルトで過ごしていたことを前提として生きてしまう。治癒魔術師であるたびに、ちらつくんです」


ネージュは小さく笑った。刷り込みはなかなか消えない。追放されても、あの国でのことはネージュの後ろをついて回っている。


「…どんなに過酷に扱われても、君はトラバルトでのことが愛しかったんだな」

「……愛しかった、」


優しく抱き締めてくれた老婦人、優しく背を押してくれた神父、手を取ってくれた同輩と先輩たち。最後まで心配してくれた騎士団の人たち。『大丈夫ですよ』とネージュの頭を撫でたあの人。間違いなく、愛しい人たちの姿。


「…そうですね、愛しかった。とても、とても愛しかったのです」


どれもこれも色褪せない思い出だ。ネージュが零さないようにと抱き締め続けて来た。


「なら、君の意識を変えるのは俺たちの役目だな」

「え?」

「もう君は、この国の治癒魔術師だ。うちの国は、誰かを消費して成り立つ国じゃないからな。君がその命を終える時まで、大事に丁重にさせてもらうとしよう」


伸びて来る大きな手が、ネージュの頭の上に乗った。それは、どの言葉よりも優しい言葉なのだろうと分かるけれど、ネージュは信じきることが出来ずに曖昧な笑みを浮かべた。



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