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第56話

廊下を歩いて、見知らぬ階段を上がり、そしてジェラールが歩みを止めた。エルネスタの部屋の前に居た近衛たちも丸ごと移動したのか、見覚えのある顔がネージュを見てほっとしたような表情をした。


「着いたぞ、大丈夫か?」

「…っはあ、階段が少し」

「だからもう少し休むかと聞いたんだ」


荒く上がった呼吸を深呼吸で宥めながら、ネージュは自身の魔力で満たされた辺りを探る。格別何かが変わった、というものはないようで。


「も、大丈夫です」


整ってきた息と心臓に、ネージュは頷いてジェラールに声を掛ける。このままここに居ても、何かが分かるという訳でもないし。出来るなら、王妃様を直接見たい。ジェラールはネージュを一瞥したあと、近衛たちに合図を送った。


「陛下、クロヴィス団長夫妻がお見えです」


ノック音と即座に帰って来る返事。陛下、もしかして寝ずに居たのかしら。すると内側から扉が開いた。扉を開けたのは、泣き腫らした目の侍女だった。そのことに、ネージュはぎょっとする。


「ずっ…。すみません、どうぞ」

「…いえ」


中に入れば、どの侍女も泣き腫らしたような目だった。ユーリア・オゾンスさえも、目は赤い。思わずジェラールを見れば、ジェラールも状況を掴めていないような顔で周りを見ている。一体どうしたのかしら。すると、部屋で待機していた治癒魔法師がネージュに寄って来た。


「あの、ネージュさん」

「あ、お疲れ様です。すみません、倒れてしまって」

「いえいえ、体調は大丈夫ですか?」

「はい。魔力は全回復に時間かかるのですが、あの、これは一体どういう」

「気になさらないでください、治癒魔術師として少々お話をしただけで」


どういうお話をしたのか少し気になるところだが、それ以上は言いたくなさそうな治癒魔術師にネージュは苦笑いを浮かべた。ネージュが体調管理について思ったことを、彼女が聞いたのかもしれないし、また違う話をしたのかもしれない。そこはおいておくとしよう。


「それでですね、少々問題がありまして」

「問題?」


ネージュの耳元に治癒魔術師が口を寄せる。


「――侍女たちの間で、おまじないが流行っているそうです」

「…それで」

「はい、詳しく聞いてみたところどうやら王妃様にもおまじないを教えたようで」


溜め息が出た。女性たちの口伝えでおまじないというモノが流行るのは、非常によくないことをネージュは知っていた。口伝えで次第にカタチを変えていくからだ。知識があればまだしも、勝手に簡略化したり、よかれと複雑化したり…。良い思い出があまりない。


「おまじないが引き金になった可能性もあるのでは、と思いまして…。すみません、おまじないの件は、侍女たちの秘密の遊びで確認が遅れてしまいました」

「いえ…。おまじないに触れる、というのはある意味一般的ではあります。一切除外するということは出来ないですし、どこかで生まれて、育って広がるもの。詳細はありますか?」

「幸せになる、というものです」

「うーっわ…」


思わず半眼になる。その手のおまじないは、きわめて面倒なのだ。そんな、何も差し出すものなしに幸せになれるはずがない。差し出しても幸せになれるようなものでもないし。おまじないしたら、うっかり魔族契約でしたーみたいなオチだって、聞いたことはあるのだ。


「ネージュさん?」

「そのおまじないの出所って分かりました?」

「今、確認を取らせているのですが恐らくは無理かと」

「んー…。で、そのおまじないで幸せに慣れた人なんているんですか?」

「正直な所、ただのおまじないなので…」

「ですよね。それで幸せになれたとしたら、対価がとんでもないでしょうし…。んや、おまじないの件は任せます。多分、今回の事に関しては別かも」

「そうなのですか?」


ネージュは、治癒魔術師の言葉に頷く。ネージュが知る限りでは、黒魔術師はそういったものを好まない人が多い。少なくとも、隣人さんはそうだった。


「おまじないが作用したという可能性も無きにしも非ず。ですが、呪物が陣を描いて置かれていたとこを考慮すると、背後には黒魔術師がいるでしょう。彼らはおまじないなんてちっぽけな力使わないですよ」

「な、なるほど…。では、それはこちらで引き取りますね」

「お願いします」


治癒魔術師が下がったところで、ネージュは部屋の中心を見た。エルネスタが眠る寝台の傍で、国王は祈る様に手を握っている。きっと、その間も胎児に魔力が流れて行っている筈だ。陛下の疲労も考えると、本当に早めの解決が望ましい。


「陛下」

「あぁ、もう話は良いのか?」

「はい。王妃様に近づいても?」

「かまわない」


了承を得て、ネージュはエルネスタの寝台に近づく。見たところの変わりはない。ネージュはエルネスタの手に触れる。ひんやりとしているけれど、体温はしっかりとそこにあった。魔力を吸い取ろうとしてくるから、長くは触れることはない。陛下の魔力を吸い取ってるのに、更に私の魔力まで貰おうとしてるのはかなり、魔力の器が大きい子供なのね。


「なにか分かったか?」

「王妃様も次代様も変わりないようですね。眠りに落ちている間に、呪物の回収と解術を魔術師たちにお願いしようと思っています」

「…うちの魔術師で事足りるか?」

「大丈夫です。回収も解術も一般の魔術師でも可能なことです。私は術者を探すので、そちらに回す余力がなく…」

「いや、ネージュ、君の体調面を気遣えなくて悪かった」

「とんでもないです。魔力が少ないのに、大きな術を使った私の自己責任ですから」

「…あれで魔力が少ないと?」

「私なんて少ない方ですよ」


真顔の国王に、ネージュは苦笑いする。『ネージュさんの魔力は少ない方ね、でも扱い方が上手だから少ないなかでもやりくりできてるんだわ』とは、何度も言われてきている。多い人は、本当に魔力量が多いのをネージュは知っているから、ネージュも自身の魔力量の少なさを理解している。


「君の言う魔力の多い人間がごまんと居るという、事実が恐ろしいな」

「そういう魔術師ばかりではないと思っているんですけどね。どれをとっても私は並みといったところでしょう?」

「自分を下に見過ぎても、失礼に当たるぞ。白銀の天使と呼ばれる君が、並みだと?阿呆抜かせ」


ネージュを一瞥した国王はエルネスタの手の甲を撫でながら、まるで叱る様に言う。ネージュは、目をまん丸にして瞬かせた。そんなことを言うお方だとは思ってなかったわ。


「…そう、ですね。でも、私は優れているとは思っていません。治癒魔術師がそう思うのは、傲慢ですから」

「なぜ?」

「治癒魔術師は、人の命を尊ぶものです。一心に、その人の健康を願うものでもあります。魔力を使っていやすことを神の御業だと言う人も居ますが、私たちは人間です。ほんの少し器用なだけの、魔術師です。己は神だと傲慢になっては、治癒魔術師を名乗れなくなりますから」


ネージュは、エルネスタの上に手をかざす。ゆるりと感じるふたつの命。王妃様と次代様の命の温かさ。


「陛下も、こうやって手をかざして見てください」

「…え?」

「私の魔力が満ちている今が丁度良いんです」


ほら、と急かして国王がエルネスタの上に手をかざした。ネージュは少しだけ自身の魔力を広げるように息を吐く。


「…温かいな」

「これが、王妃様と次代様の命の温かさです。命の鼓動も分かりますか?」

「ああ、分かる。僅かに小さく感じることが出来るのが、子供の鼓動か?」

「はい。そのうち、しっかりと大きく聞こえるようになりますよ」

「すごいな…」


私が今守るべきものだ。取りこぼすことなく、命を救い上げる。ネージュに、エルネスタに、牙を向こうとしている影を感じながら、ネージュは目を伏せた。


「――うん、もう頃合いです。囮を立てましょうか」

「囮?」


ジェラールの声が響く。心配そうなその声に、ネージュはジェラールに目を向けた。


「この黒魔術師は自尊心が高いのがよく分かります」


そして、ジェラールを通り越して扉を見る。牙を向かんとする影がそこまで来ていた。


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