遠くで呻き声と倒れる音がする。部屋の中が大きくざわついた。
「っいまの音は」
「何も心配しなくていいですよ。敵方は、どうせなら私も取り殺してしまおうと思ったんでしょう。皆さん、私の前から出ないでくださいね」
驚いた顔のジェラールの隣を通り過ぎて、ネージュは部屋に居た全員よりも前に出る。黒魔術の気配。どこか、この魔術の気配を知っている。
「…あぁ。そうですか、子供たちを攫ってもてあそんだのも、あなたなのですね」
扉に向けて手をかざす。魔力は底が隠れる程度。でも、それだけでも十分な量はあった。ネージュは、扉の隙間から入り込んでくる黒い靄に目を細めた。
「ジェラールさま、万が一にも私が倒れた場合ですが」
「…一応聞いておこう」
「あの靄を燃やしてください。ひとつ残らず。少しでも残せば、王妃様に危険が及ぶので」
「分かった」
即座に頷いたジェラールに、ネージュは笑う。ネージュは、そこに自分を含まなかった。エルネスタを取り殺す前に、一番邪魔なネージュの息の根を止めるだろう。だが、それを言うまでもない。こんなことで倒れるなんてこと、しないから。
「知ってますか、黒魔術師さん。こうやって、あなたが魔術を使うことで位置が割れるんですよ。それが、例え国の端であろうとも。国の地下であろうとも、私なら絶対に辿れるんですよ。――ねえ、ヴェーガ」
その一言で、何処からともなく大きな遠吠えが聞こえて来た。その遠吠えはどこまでも響いていく。
「トラバルトの治癒魔術師は、誰しもが好戦的です。戦場に出れば、治癒魔術師は自分で自分の身を守らなければならないんです。だから、一人ひとりが魔獣を従えている。そのなかでも、私のヴェーガは特に好戦的で」
くすりとネージュは笑って、黒い靄を手の中に集める。抵抗するように蠢いても、ネージュの魔力の膜から出ることは叶わない。人間の顔の大きさほどの、黒い靄の球体がネージュの手のひらに出来上がった。
「…ネージュ、それは?」
「王妃様を狙ってきた奴ですね。どうやら、敵方も相当焦ってるみたいです」
「どうして、この場所が割れた。内密に事態を進めているのに」
国王の言葉に、ネージュはゆっくりと首を動かして侍女たちを見る。その中に、酷く青ざめた顔の女性――ユーリア・オゾンスが居た。もう、バレたことが分かっているらしい。
「ユーリア・オゾンスさん」
「は、い」
「あなたの魔力は、どんなものでも反発すると言う特性のせいで、殆どの人と相性が悪いことでしょう」
俯いたユーリア・オゾンスに、ジェラールが近付く。そして、ユーリア・オゾンスの腕を掴んだ。逃がさないために、そして魔術を遣わせないために。
「そそのかされたのか、利用されているのか、そこは私には分かりません。ですが、あなたがすべての引き金だったことだけは、分かりました」
「…いつ、気付かれたのですか」
「私の魔力に反発する時点で、怪しんでましたよ。そして、呪物の魔力とあなたの魔力の反発具合が同じことにも気付いた。そして、今の襲撃と来れば、あなたもクロだというのが分かる。でも、この黒魔術さんの探知魔術は、かなり腕が良いですね。私の魔力が王城に満ちていなければ、まったく気が付かなかった」
「……たったそれだけで、あなたは私を怪しむのですか」
「普通の侍女は、呪物なんて作りませんよ。それに、王城に詳しくなければ、特殊な陣を描くこともできない。あなたの尋問は、私の仕事ではありませんから。あとはジェラール様におしゃべりしてください」
ネージュは手の中の黒い球体に視線を戻す。ネージュの魔力の膜が、トゲトゲと形を変えながら逃げようとしている。
「ヴェーガ、私の狼は優秀なんです。もう術者は捕まえた。思ったよりも、こんなに近くに居たんですね。遠くの島国では、何というんでしたっけ。灯台下暗し?でしたっけ」
球体を両手で潰すように、ネージュは力を込めながら手を合わせた。ぱちんと小さな弾ける音と共に、ネージュの魔力が霧散する。
「ネージュ。いま、術者を捕まえたと…」
「ヴェーガが確保しました。自死を選ぶような術者ではなさそうですが、念には念を入れて良いでしょう。ジェラール様、ユーリア・オゾンスさんは私が見るので、飛んでいただけますか」
「あぁ、かまわない。どのあたりだ?」
「スラム街の廃墟です」
「…あの、子供たちを利用した場所か?」
「はい」
ジェラールが頷いて、転移魔術を展開して姿を消す。ジェラールひとりでも取り押さえることは出来るはずだ。ネージュは小さく息を吐く。
思えば、その頃から王妃様の殺害計画はあったのだろう。あの子供たちを使った黒魔術は、試作のものだったのかもしれない。多分、探れば王城に仕掛けた呪物も出て来る可能性だってあった。スラム街で人が少し消えても誰も怪しまない。王城の簡略版とみなして、事に及んだことも考えれる。しかし、そこまでネージュが関与することはない。
「黒魔術師を捕らえることが出来て、共犯者も捕らえたのか…」
「まだこの計画を練った人を捕らえることが残ってますよ、陛下」
「だが、苦しみながら耐えていた頃に比べて、事態は急速に動いているのは確かだ」
「安心するにはまだ早いです。呪物の回収も解術もまだなんですから」
気を抜くことができないが、一先ず息は吐いて良い。エルネスタを眠らせて二日。余裕を残して、解決出来る方向で考えたって良いだろう。ネージュはゆっくりと目を伏せた。
「王城を綺麗にしてあげる必要もありますね…。あぁ、近衛さんたちの様子も見なければ」
あの靄に魔力を吸い取られていることだろうから、少しの休暇は必要だろうが、それは口添えするとして。色々と考えてると、ネージュの後ろから治癒魔術師が顔を覗かせた。
「ネージュさん、部屋から出ても大丈夫ですか?」
「ン、もう大丈夫ですよ。ジェラールさまが術者を抑えているかと思うので、一先ず脅威は去っていると思います」
「近衛さんたちは私の方で預かりますね。ネージュさんもお疲れでしょうし」
「ありがとうございます…。折角、底が見えなくなる程度は回復したのに、また底が見え掛けてて…」
「ふふ。ですが、本当にネージュさんは凄いですね。二日で解決するなんて」
「相手の詰めが甘いんですよ。私が黒魔術師なら、もう少し分からないように工夫しました」
「末恐ろしい話ですね…」
苦笑いする治癒魔術師は、ゆっくりと扉を開ける。がしゃんと鎧が転がる音がして、あらあらと呟いているのが聞こえた。
「あとは、陛下たちのお仕事ですね」
「ああ」
「あ。それと、私の部屋をあつらえてくださったとお聞きしたのですが」
「君には、子供が生まれるまでエルネスタの側に居てもらいたいんだが」
「私にできることはありませんよ。王城にいらっしゃる医者のみなさんと治癒魔術師のみなさんで、十分対応が出来ます」
「だが、誰も気付かなかった」
「私だって、普通では気付かなかった。二回目、探知魔術を使ったから気付けただけです。陛下、私はこれでも騎士団の治癒魔術師なんですよ。荒事に向いている治癒魔術師なんです」
納得いかなそうな顔をする国王に、ネージュは肩を竦めてみせる。私は、騎士団の治癒魔術師として仕事したいのだ。
「……そういえば、君は頑固だと言っていたな」
「そうなんですよ。なので、時々様子見にお伺いする程度で、お願いします」
「…あぁ、それでも良いだろう」
それでも、納得のしていない顔をする国王に、様子見に来ると譲歩したつもりだったのだけれどとネージュは思う。ネージュは、ただの治癒魔術師。それ以上それ以下なにもない。