心ない噂にさらされ苦しんでいるだろうリティスを心配し、シマラが茶会に招いてくれた。
顔触れもいつもとは少々異なり、今日はフロイの他に王太子妃クローディアも招待されていた。
リティスの身内もいた方が心休まるのではという配慮のようだ。シマラらしい温かな優しさだった。
場所も、今回は離宮一階のゲストルームではない。離宮のほど近くにある庭園のガゼボだ。
ここは薔薇庭園とも呼ばれており、今の時季は見頃を迎えた美しい薔薇達が一斉に出迎えてくれる。甘い芳香にも心揺さぶられる。
すっかり暖かくなり、交流会も残すところあと二日。
明日の夜は晩餐会が予定されており、その翌日には国内貴族を集めた盛大な夜会が執り行われる。それが、交流会全工程の締めくくりとなっていた。
長いようであっという間だった交流会が、ついに終わるのだ。
「何だか、寂しくなりますね」
リティスがそう呟くと、クローディアが目を瞬かせる。
そのままじっと見つめられ、不思議に思い首を傾げた。
「クローディア様?」
「あ、いいえ……その、少し驚いてしまって」
彼女はティーカップを置くと、改めてリティスに向き合った。
「今日のお茶会は、リティスさんに元気を出してもらうためのものだと思っていたの。色々あって、気分が沈んでいるだろうからと。……けれど、何だか騒動自体はどうでもよさそうな口振りだったから」
彼女はややつり上がった赤茶色の瞳を、嬉しそうに細めた。
「安心したわ。こうしてお茶会を開いてくれる友人までできたのだから、あなたはやはり素晴らしい女性よ。きっと、お義母様も認めてくださるはず」
「だとしたら、嬉しいのですが……」
指輪紛失の件が貴族達にも周知されるようになってから、ユレイナとはまだ顔を合わせていない。
そこだけは、リティスにとっても不安要素ではあった。
「落ち込んではいるんです。ただ、考えすぎても仕方がないと割り切っているだけで。もう悩んでいられるほどの猶予がない、とも言えますが」
躊躇っていても解決しない。
それはもう、嫌というほど実感した。
誰が相手だろうと対決するしかないのだろう。
——その時は突然やって来た。
冗談を言うフロイをシマラが徹底的に無視するという、いつも通りの展開で進んでいたお茶会。
クローディアだけははらはらし通しだったけれど、比較的穏やかな雰囲気だった。
そこに——フェリオラ王国第三王女、エレーネが現れるまでは。
しんと静まり返った庭園に、鈴を転がすような声音が響く。
「みなさま、とても楽しそうでいらっしゃいますね。わたくしだけ仲間外れなんて寂しいですわ」
全く寂しくなさそうな笑みを浮かべながら、エレーネはガゼボに近付いた。
珊瑚色のドレスをまとい、今日も妖精のような麗しさは健在だった。
クローディア達の表情は、心なし固くなっている。
指輪紛失の噂を広め、リティスを苦しめた張本人だ。気まずくなるのも当然だった。
けれどリティスは、エレーネの登場をどこまでも冷静に受け止めていた。
解決しておかねばならないと思っていた。
それが、少し早まったというだけ。
エレーネの目には、他の面々など映っていないのだろう。その視線はリティスだけを向いている。
可憐な微笑みからは、どんな感情も読み取れない。
——今だからこそ落ち着いて考えられるけれど、彼女の私への振る舞いは……本当に悪意ゆえだったのかしら?
エレーネは、ことあるごとに突っかかってきた。
それはアイザックの婚約者となったリティスへの敵意だと思っていたけれど、今となっては疑問が残る。
本当にエレーネは、リティスを嫌っていたのだろうか。
もしかしたら初めから仕組まれていたのかもしれないと、最近ようやく考えられるようになっていた。
リティスはゆっくりと立ち上がり、真っ向からエレーネと対峙した。
これはシマラが主催するお茶会だから、本来ならば彼女が対応するのが正しい。
だがエレーネの標的はリティスだ。
それならば、リティスが迎え撃たねば筋が通らない。
「ごきげんよう、エレーネ王女殿下。お誘いをせず申し訳ございません」
リティスはにっこりと笑みを返す。
方便でも招待しなかった理由を告げない辺り、直接対決への意思表明でもある。
エレーネもそれに気付いたようで、弓なりに瞳を細めた。
「これまでも、何度かお誘いを待っていたのよ。いつも楽しそうに集まっていたものね」
フロイとシマラと頻繁にお茶会を開いていたことを知っているぞ、という牽制。
しかも親しげに見せかけてリティスを見下す、いつものくだけた口調付きだ。
「はい、なかなか趣のあるお茶会でした。次回は喜んで殿下をお誘いいたしますわ」
お茶会の内容を知れば参加を辞退したくなるかもしれないが、詳細を教えてあげるほど優しくはなれない。
徹底して貴族的な会話を心がける。
表面的で、棘のある感情を隠し持ち、それでも優雅に微笑んで。
「あぁ、いやですわ、私としたことが。交流会はもう終わってしまうから、次の機会はだいぶ先になりそうですが、構いませんか? 来年の交流会では、ぜひ」
「……あら、素敵なお誘いありがとう」
構わないわけがない。
エレーネの頰が僅かに引きつる。
これまでは角が立たないよう努めていたので、リティスが反撃したのは今日が初めて。彼女も内心では戸惑っているのかもしれない。
エレーネはすぐに立て直し、憂いを帯びた表情を作る。
「そういえば、レーデバルト連邦の大切な印章でもある指輪がなくなってしまった、と聞いたわ。城中で噂もされて……たいへんなことになったわね」
まるで他人事のように同情する台詞に、今度はリティスの方がこめかみを引きつらせる。
その噂を拡散させたのがどこの誰なのか、リティスだって把握している。
「えぇ。由々しき事態です」
「その……リティスさんは、本当に心当たりがないのかしら?」
「——はい?」
思わぬ方向に話が進んでいる気配。リティスは素で訊き返してしまった。
エレーネは、あくまで憂う表情のままだ。
「こんなことを言うのは申し訳ないのだけれど……もしかしたらリティスさんなら、指輪がどこにあるのか知っているのではないかと思って」
「……私がですか?」
ここに来て、まさかの犯人扱い。
彼女の意図が読めなさすぎて、思考が空回りしているのが分かる。
エレーネが、ちらりと気遣うような視線を寄越した。
「だって……この国の親切な貴族から聞いたもの。リティスさんの実父は、犯罪者だと。大麻なんて恐ろしいものを、信じられないわ……」
ここに来て、ようやく彼女の企みを悟る。
指輪紛失の疑いをリティスに向けたのは、エレーネの意図の本質ではない。
目的は、父ボルツの罪を、来賓達の前で暴露すること。そうして、犯罪者の娘は信用できないと貶める点にあったのだ。
シマラはレイゼンブルグ家の件を、事前に調査していた。フロイだって知っている可能性は高い。
だが、それを話題に乗せるとなると、来賓達は無視できなくなる。
たとえ娘に罪はないと考えていても、公の場で擁護することは難しい。批判的な態度をとらざるを得なくなるのだ。
悪質だが、効果的な一手だ。
交流会で来賓達に批判されることとなれば、リティスの立場がなくなる。つまり、第二王子の婚約者としてのお披露目に失敗したことになる。
そうなると、アイザックとの結婚も危うくなるということだ。
「あなたこそ、よくもそのような侮辱を——……」
さすがに気色ばんだクローディアが声を上げかける。
それを制したのはリティスだ。
口を噤むクローディアは、赤茶色の瞳に怒気をたぎらせている。それでも、リティスは静かに微笑んで見せた。
「大丈夫です。この程度の火の粉は、自分で振り払わねば」
リティスはそのまま、笑顔をエレーネに向けた。挙動には一切の動揺がない。
「そうですね。レイゼンブルグ家の元当主が罪を犯したのは、間違いございません。そして私は、ディミトリ姓を名乗る前は、その犯罪者の娘でした」
ボルツ・レイゼンブルグの娘であることをあっさり認めるリティスは、逆に不気味に映るようだ。
エレーネが気圧されるように怯む。
「父は、大麻の違法栽培に手を染めました。罪には違いありません。批判も当然なのでしょう。けれど……あなたはここが交流会の場であることを、お忘れになっていらっしゃいます」
「え……?」
リティスは神妙な顔になって、エレーネを真っ直ぐに見つめた。
「国や文化によって常識は変わります。私達にとって大麻は恐ろしいものでも——それを神聖な植物とする国だって、ございますのに」
「!」
フェリオラ王国も、ルードベルク王国と同じく大麻を違法薬物に指定している。
だから彼女は失念していたのだろう。
その常識は、レーデバルト連邦には通じないということを。
「賢しらに糾弾する前に、あなたは確認すべきでした。その批判が私以外の者を傷付ける可能性を……それはそのまま、エレーネ王女殿下の外交の手落ちとして、自らに跳ね返ってくるのですから」
ボルツ・レイゼンブルグの罪を——ひいてはリティスを批判したつもりだろうが、大麻を恐ろしいものだと口にしたことは、なかったことにできない。
彼女も失言の覚えがあるのか、悔しそうに黙り込んだ。
「エレーネ王女殿下。ここは楽しくお茶会をする場です。くだらない噂話をなさりたいなら、どうぞ他でお願いいたします」
リティスは毅然と言い切る。
招かれざる客であるにもかかわらず、場の空気を壊そうとする行為は、許されることではない。
エレーネはしばらくその場で俯いていたけれど、やがてゆっくりと背を向けた。
「エレーネ王女殿下」
その背中に、引き留めるように声をかける。彼女は振り返ることなく立ち止まった。
「明日の晩餐会のあと……お話をする機会をいただけますか?」
エレーネは何も答えない。
ただリティスの要望を聞き届け、立ち去っていく。
遠ざかっていく華奢な背中を、シマラがずっと見つめているのが……やけに目に焼きついた。