緑雨の間に集まったのは、歓迎式典のあとに集まった顔触れだった。
今回もまた各国の正装が集い、晩餐会の席を華やかにしている。
交流会がはじまったばかりの頃より、空気は和やかだ。
そうして、全てを終わらせるための晩餐会がはじまった。
まずは開催国代表のケインズが、乾杯の音頭をとる。
「我らの同盟は、今回もまた交流会をもって、永劫を約束された。来年の再会を心待ちにしている」
全員がグラスを掲げ、同意を示す。
こうしてまた、同盟の強固な繋がりを確認することができた。
つつがなく進行し、リティスは一先ず安堵の息をつく。
昨日衝突したエレーネもこの場にいるけれど、リティスとは一切目を合わせない。
これは仕方がないとして。
——アイザック様……。
普段なら、指輪の紛失を聞きつけた途端リティスの元に飛んできそうなアイザックが、この件に関しては全く動きを見せていない。
今も隣に座っているのに、あくまで第二王子らしく外交に明け暮れている。……冷静だ。怖いくらい冷静だ。
アイザックの横顔からは、考えなど少しも読めない。
彼の愛情深さを知っている分、この平然とした態度が不安だった。まさに嵐の前の静けさのような。
けれどリティスも今日は、婚約者ばかりを気にしてもいられない。
自分の役割、成さねばならないことを頭の中で何度も思い描く。
犯人がこの中にいるのは、もはや確信だった。
最初は、一連の事件の目的が分からなかった。
たとえば、指輪紛失をルードベルク王国の責任問題にする、というのはあり得る。
同盟国という間柄のため、この場にいる誰の犯行だろうと追及するのは至難の業。それなのに噂が広がったせいで揉み消すこともできない。
相当外交に慣れている者の犯行ということだ。
経験の足りないリティスが敵う相手ではない。
けれど今となっては確信している。
犯人が求めているのは……リティスが度量を示すことなのだろう。
晩餐会は滞りなく進んだ。
楽しく喋りながら食事をし、酒を嗜む。
レーデバルト連邦の首相デュセラが、わざわざ離れた席からリティスに声をかける。
「そういえば、噂を聞いたよ。噂だけで詳しいことは知らないが、我が国の大切な印章入りの指輪がなくなったって話じゃないか」
話題に上ると思っていなかった他の面々が、にわかに静まり返る。
彼女は豪放磊落な性格だし、今は酔いが回ってなおさらだ。繊細な話題を口にしても不自然ではない。
リティスは口元をナプキンで拭うと、完璧な微笑で応じた。
「おっしゃる通りです。そして、その件は既に解決しております」
ざわりと、空気に動揺が広がった。
今や誰もが、リティスとデュセラの会話を、固唾を呑んで見守っている。
デュセラは、凛々しい眉を片方跳ね上げた。
「……ほう? 解決していたというのは初耳だ。それで、犯人は誰なんだい?」
「それは、なぜずっと犯人が捕まらなかったのか、という疑問の答えでもあります」
そもそも、犯行が可能な人物はかなり限られている。
警備が厳重な離宮で、シマラがほぼずっと身につけていた指輪を、誰にも気付かれることなく盗み出す。そんな芸当ができるはずないのだ。
そうなると、犯人の候補はシマラ本人か、彼女の部屋を自由に行き来できる母親のデュセラに絞られる。
シマラは当初、騒ぎを大きくしたくないからと口を噤んでいた。指輪紛失の噂を広めた犯人像とは、大きく食い違っている。
つまり犯人は——消去法でデュセラとなる。
彼女は推し量るように、じっとリティスを窺っている。
リティスはさらに笑みを深めた。
「全ては、光り物に目がない鳥の仕業……ということでいかがでしょう。犯人はおりません。鳥では、捕縛のしようもありませんから」
緑雨の間に沈黙が落ちる。
デュセラは、リティスの回答をせせら笑いながら足を組み替えた。
「『いかがでしょう』だ? それはつまり、本当のところはまだ分かっていないってことじゃないか」
「そうですね。とても人騒がせな鳥だ、と言わざるを得ません」
「なぜ私の目を見て言うんだい?」
「それは、真っ先に目が合ったからとしか申し上げようもございません」
リティスは心底困っているとばかりに、ほうと溜め息を漏らす。
だが、内心は大騒ぎだ。
犯人はなぜこのような事件を起こしたのか——そして、犯人および周囲の者達を、どのようにして納得させるのか。
犯人を捜すでもなく、何日も考え抜いて出した答えがこれだった。
この件がきっかけで両国間に確執が生じては、主催国であるルードベルク王国にとって非常にまずい。
落としどころとして、犯人がいないというのは悪くないだろう。
だが、これで納得してくれるなら、何度もお茶会を開いてまで悩んだりしない。
デュセラは、腕を組んだまま背を反らす。体重がかかった椅子が背もたれを軋ませる。
「印章の指輪は、寝室のベッドサイドのチェストに保管されていたんだろう? 鳥がチェストなんて開けるかねぇ?」
「まぁ、噂を聞いただけのわりにお詳しいのですね」
「噂好きの鳥が多いんだろうさ」
「そうですね。よくさえずる鳥を飼っていては、うるさくて敵わないでしょう」
リティス達は、間合いを測るように笑い合った。
どれほど白々しくても、互いに核心には触れない。
犯人がデュセラであることを口にしたら、その時点で交流会は失敗で終わる。
だから、ぎりぎりを見極めて会話をする。
幸いなことに、この神経を消耗するやり取りのおかげで、デュセラも同盟を台無しにするつもりはないのだと気付けた。
どんな言葉を向けられても身軽にかわすリティスに、彼女は獰猛に笑った。
「仮に鳥の仕業だったとして——その説明で納得する奴がどこにいるっていうんだい? 収拾がつかなくなるまで事態を放置していた責任は歓待役にあるって、誰もがあんたを責めるだろうよ」
ついに切り込んできた。
けれど、リティスは微笑みを絶やさなかった。
むしろ、その言葉を待っていたのだ。
「——私は、今回の交流会の歓待役という任の中で、おもてなしとは何たるかを学ばせていただきました。一人ひとりの心に寄り添い、しっかり向き合うことが大切なのだと」
リティスが合図を出すと、スズネが音もなく歩いてきた。彼女がワゴンで運んでいるのは——鳥籠。
中にいるのは本物の鳥だ。観賞用の、青い羽が美しい鳥。
「こちらが、私からデュセラ首相へのおもてなしです」
これにはさすがのデュセラさえ、呆気にとられた。
人が飼う用に飼育された大人しい鳥で、レーデバルト連邦にも棲息している、というのが大切な点だ。
リティスはこれでもかと笑顔を輝かせた。
「デュセラ首相、とても愛らしい鳥を飼っていらっしゃるのですね。存じ上げませんでした」
この鳥を、無理やり彼女に押し付ける。
事件の原因は鳥だという確固たる証明のために、スズネに頼んで用意してもらったのだ。
しん、とした室内に、忍び笑いが響く。
それはやがて、こらえきれないとばかりに豪快な笑い声になっていく。
「ルードベルク王国らしい淑やかな女かと思えば、とんでもないね!」
デュセラは腹を抱えながら声を張り上げた。
そこに非難の色は——ない。
内心緊張していたリティスは、ホッと肩の力を抜いた。
これは合格、ということだろう。
デュセラが見定めていたのは、リティスの資質。王子妃たり得るかという部分。
部外者のレーデバルト連邦首相に試される道理はない、と言いたいところだが、何せリティスは醜聞には事欠かない。
『遺産目当てで後妻となった毒婦』、『スキモノ未亡人』と噂されていた上、父親は犯罪者。
同盟関係にヒビを入れかねない者が王子妃となるのでは、と危ぶむのも無理はない。
そのためデュセラは、リティスがどのように立ち回るかを試した。
印章の指輪を隠し、噂を広めて事態を扇動した。おそらく、エレーネは彼女の指示で動いた協力者だ。
デュセラは満足げに息をつくと、確かめるように顎をしゃくった。
「じゃあ、もっといい脚本を提供しようじゃないか。『シマラが反対していたから、私はこっそり鳥を連れてきていた。だからシマラは、鳥の仕業とはすぐに気が付かなかった』。国家間ではなく、親子間での問題ということになれば、他国も口出ししづらいだろう?」
他国というか、主にルードベルク王国内の貴族達を黙らせるための方便ということか。
リティスは内容を吟味しつつ答えた。
「そうですね……噂がかなり広まってしまったので、さらに『デュセラ首相の愛鳥が指輪を飲み込んでしまっていたから、発見が遅れた』といったふうに付け加えると、なおいいかと」
「ハハッ! なるほど、いい案じゃないか!」
「——その辺りのことならば、心配いりません」
リティスとデュセラの会話に口を挟んだのは、アイザックだった。
そうして和やかな空気を……再び凍り付かせる。
「今回の件で私の婚約者に批判的なことを言った者全てに、穏便な話し合いを持ちかけたところ、今後の全面的な支持を表明してきましたから」
リティスは一拍ののち、どっと汗をかいた。
絶句しているのはデュセラだけでなく、晩餐会に出席している全員だ。
「な、な、な……」
「だから指輪紛失について騒ぎ立てる者は、もはや城内にはいません。同盟関係について取り沙汰されることもないので、安心していいかと」
アイザックはさらに詳細を説明していく。
リティスを正面から批判した者だけでなく、陰で王子妃としての資質を疑問視していた者、同盟の継続を危ぶむ者まで。
全てリティス支持派になるよう脅迫……もとい、穏便な話し合いをしたとか。この場合の穏便とは。
リティスは背後のスズネに視線を向けるも、さっと顔ごと避けられる。
これは絶対、諜報部隊が暗躍したと見ていい。
ようやく全てが無事解決しそうだったのに、何ということを。
全員、ドン引きである。
異常に居たたまれない空気を打破するべく、リティスは笑顔で手を叩いた。
「アイザック殿下がとりなしてくれたのなら、もう心配はいりませんね。ルードベルク王国とレーデバルト連邦、どちらにも非はないということで、円満におさまるでしょう。さすがアイザック殿下」
当然リティスの笑顔は引きつっていたし、同意を示す者は誰一人としていなかった。
アイザックだけが満更でもない顔で頷いているのが、余計辛かった。