晩餐会のあと。
ようやく指輪紛失問題に決着がつき、二人きりで会おうとなるのは、リティス達にとって自然の流れだった。
どちらからともなく、夜に会う約束をする。
本来ならば、婚前にはしたないことをすべきではないと、分かっている。
分かっているけれど、もう会いたい気持ちを抑えることなどできなかった。
交流会の間、負荷のかかる状況にさらされながらも頑張った。アイザックを思い出しては会いたい気持ちをこらえ続けたのだ。
一秒でも早く会いたくて、気が急いて、アイザックの居室へと向かう足取りは忙しなかった。
訊きたかったことも、言いたかったことも、やりたかったことも、今夜は我慢しない。
晩餐会を乗り切った高揚感が、リティスに度胸を与えていた。
アイザックの居室にたどり着く。
いつも通り訪いの挨拶をしようとした瞬間、内側から勢いよく扉が開いた。
待ちきれず、扉の側で待機していただろう反応の早さだった。
同じ気持ちでいることが嬉しくて、リティスは破顔した。
「アイザック様」
そのまま弾みをつけて、彼の胸に飛び込む。
いつになく積極的なリティスに、アイザックは動揺を見せた。
「リ、リティス? 嬉しいが、ご褒美以外の何ものでもないが、今夜は一体どうし……」
「——アイザック様。私、あなたがエレーネ王女殿下とお会いしているところを、お見かけしました」
リティスは、今までのもやもやを全て打ち明けるつもりだった。
アイザックの体が強ばるのが分かる。
「嫌でした、すごく。二人きりで会うような関係性なのかと、とても不安になりました」
「そ、それはっ……!」
「アイザック様が私を愛してくださっていることは、疑っておりません。おそらく疚しいこともないのだろうと、分かっております。——ただ、アイザック様の隣に私以外の女性が立っているという事実が、とても悲しかっただけで」
「リティス! 違うんだ、あれは……」
「なので、今後こういったことが起こらないよう、しっかり釘を刺しておきたいと思いまして」
「……ん? く、釘……?」
誤解とはいえ、浮気を責める流れになるかと思いきや——まさかの今後の対策について語りはじめるリティスに、アイザックは目を点にした。
リティスは構わず自身の意見を口にする。
「誤解ですれ違うというのは、恋愛小説ではよくあることです。物語を盛り上げる重要な要素であることは、私も認めます。けれど、現実の問題となれば話は別です」
わだかまりができて、真正面から訊くこともできず本音を誤魔化し、次第に会うことさえ避けがちになっていく。
そんな時間があるなら、仲よくしている方がずっと有意義なのに。
「私は、男性と二人きりで会うようなことはしません。アイザック様も公務などでやむを得ない場合以外は、女性と二人きりになるような状況を作らないよう、お願い申し上げます」
胸にわだかまっていた言葉を全部吐き出して、リティスは晴々とした気分だった。
あとは彼を頷かせるだけで、今夜はよく眠れそうだ。
「アイザック様、お聞き届けくださいますか?」
「……リティスだって」
「? アイザック様?」
耳元で囁かれたのに、うまく聞き取れなかった。
首を傾げるリティスを、彼の腕がきつく抱き締める。
「リティスだって……フロイ殿と何度も二人きりで会っていたじゃないか!」
「……………………え?」
リティスが呆然としている隙に、アイザックは滔々と語りはじめた。
「俺がエレーネ王女と会っていたのは、リティスに対する嫌がらせを抑止するためだ。殺伐とした話しかしていない。だがリティスは……フロイ殿と、とても楽しそうに、和やかに、笑い合っていたそうじゃないか……!」
「アイザック様……なぜそれを把握されているのですか……?」
いや、聞かなくても分かる。
どうせスズネに、リティスの行動を逐一報告させたに違いない。
「リティスの邪魔になりたくないから、嫉妬も口にせず、ただ黙って見守っていた! シマラ殿もいたとはいえ、フロイ殿と頻繁にお茶会をしている事実も耐え忍んだ! 中でどのようなことが行われているのか、どのような会話が成されているのか、どれほど気になってもだ!」
「気になさっていたのですね……」
リティスのために耐えたというが、全然格好よくない。
とはいえ、アイザックもずっと我慢していたのだろう。子どものように不満を前面に押し出している。
「リティスが交流会に向けて頑張っているのは、王子妃として認められるためだと分かっていたから、我が儘は言えなかったが……本当は、交流会なんてどうでもいいから、俺の隣にいてほしかった」
アイザックの押し殺した声音から、ずっと苦しかったことが伝わってくる。
リティスは丸まった背中に腕を回し、ゆっくりと撫でた。
「申し訳ございませんでした……アイザック様との未来のために頑張ってきましたが、それは今のアイザック様をないがしろにしていいということではありません。確かに私は、周りが見えなくなっていました」
自分達には、互いに本音をぶつけ合う時間が必要だったのだろう。
リティスの不安は全て吐き出した。
だから今度は、アイザックの番。
「街歩きだって、リティスがたまに上の空になる時があって、俺はその度に傷付いていた。デートらしいことができて浮かれていたのは、俺だけだったのかと」
「それは、本当にすみませんでした……」
「いや、授業を妨害した俺も悪い。だが本当は、もっと二人で会う時間を作りたいと思っていたから……リティスの拒絶がなおさらこたえた」
「そうだったのですね……」
「お前が謝らなかったのは、あの時が初めてだっただろう? それだけ怒っていることは分かっていたが、どうしても意固地になってしまって、会いに行くことができなくて……勉強の邪魔をしたくない、というのは、体のいい言いわけだったのかもしれん」
「それは、私も一緒です。私もアイザック様に会いたいのに、会ったら責めてしまいそうで怖かった」
アイザックが身動ぎし、顔を上げる。
先ほどまで不満そうにしていた時より、幾分和らいだ顔付きになっていた。
「俺も、謝る。他の女性と、不用意に二人きりになるべきではなかった。今後は気を付けるし、どうしても避けられない場合は事前にリティスに伝えておく」
彼の言葉に、リティスも頬を綻ばせる。
確約が難しいことは分かっている。
アイザックには公の立場があるため、リティスが独占できるのは、彼のほんの一握りにも満たないだろう。
けれど、その僅かな部分で、できる最大限を尽くしてほしかった。
それが、共に生きる上での誠意だと思ったから。
「私も、同じように気を付けます。……アイザック様がやきもちを焼いてくださるなんて、思ってもみなかったですが」
「俺は、リティスに関してはいつだって、独占欲まみれだ。本当なら離宮に閉じ込めておきたいくらいには」
至近距離で見つめ合っている内に、何だかおかしくなってきた。
リティス達は同時に噴き出す。
本音を話したら、以前までよりずっと近くなれた気がする。
アイザックという存在が、よりくっきりと鮮明になったような。
そしてその分、愛おしい気持ちも増していた。
ゆっくりと近付く唇を、目を閉じて受け入れる。
柔らかくて、少し乾いた感触。
顔を離すと、アイザックは自分の唇を舐めた。その扇情的な仕草から目を逸らせない。
「もっと早く、こうして触れ合いたかった」
「……はい。私もです」
何度も啄むようなキスを重ねる。
唇に触れる吐息が熱い。
互いの瞳の奥に宿る切望は、今や隠しきれなくなっていた。
「好き……アイザック様、大好きです……」
「あぁ、可愛いな、リティス……俺もお前を愛している……」
リティスはもう、この先の熱を知っている。
アイザックのたくましい肉体も、皮膚のしっとりとした感触も。
溶け合って交わり合っていく、あの心地よさを。
空気の密度が一層濃くなった気がする。
リティスは、彼の首の後ろに、するりと手を回した。
引き寄せられてさらに近付いた、アイザックの青い瞳を覗き込む。
鮮やかで、いつもリティスをたまらない気持ちにさせる色。
「アイザック様……もっと……」
ねだる言葉が、無意識に唇からこぼれ落ちていた。
アイザックは苦しげに瞳をすがめ、喉を鳴らす。獰猛さを必死に押し隠し、理性的であろうとしている。
リティスは、彼の首筋にぎゅうっと抱き着いた。
今この瞬間に貪ることだってできるのに、リティスの尊厳を守ろうとする気持ちが愛おしい。
「ごめんなさい。今は、我慢しますね」
「あぁ。俺も……………………我慢する」
かなりぎりぎりの返答に笑ってしまった。
リティスはアイザックの頬を撫でながら微笑む。
「この続きは……私達が結婚をしたあとに、ですね」
二人だけの、秘密の約束。
何だか淫靡な気がして、リティスは目を逸らしてはにかむ。
すると、頭上からうめき声が降ってきた。
「リティスは天然で質が悪い……」
「え、何かアイザック様の気分を害するようなことを、してしまったでしょうか……?」
「そういうことじゃない……むしろすごくよくて……よすぎて……」
いいのに文句を言われるとは。
やはりまだまだリティスは、閨ごとについては未熟らしい。