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第71話 エレーネの矜持

 翌日。

 夜には国内貴族を集めた盛大な夜会が執り行われる予定のため、城内はどこも慌ただしい雰囲気だ。

 そんな中、リティスは来賓用の離宮を訪れていた。

 離宮の三階に上がるのは、今回が初めてのこと。——フェリオラ王国にあてがわれた区画だ。

 お茶会乱入の際、話をする機会がほしいとリティスは申し出た。

 これに対し、エレーネは何も答えなかったけれど、こうして午前中に時間を作ってくれた。

「ようこそおいでくださいました」

 エレーネは、とても丁寧な辞儀を披露した。

 これまでの彼女とは打って変わった態度に、リティスは面食らってしまう。

「レディ・ディミトリ。これまでの数々の無礼な振る舞い、謹んでお詫び申し上げます」

 誰だろう、これは。

 全く別人かのようで違和感しかない。

 リティスは慌てて首を振った。

「あの、気になさらないでください。今まで通り呼んでくださって構いませんし……」

「いえ、けじめは大切ですから」

 本来のエレーネは、こういう人物だったらしい。あまりの落差に愕然とする。

 そして同時に、やはりリティスに絡んできたのは作為的なものだったのだと分かる。

 一先ずテーブルについて、紅茶を楽しむ。

 彼女の豹変が強烈すぎて、何から話せばいいのか忘れてしまった。

 そうこうしている内に、エレーネが口火を切る。

「改めて謝罪申し上げます。これまで、たいへん申し訳ございませんでした」

 言いわけを一切しない潔さ。

 リティスに糾弾されることも、覚悟しているのだろう。

「……デュセラ首相から、依頼があったのですか?」

 責める気にはなれないけれど、リティスには真実を知る権利くらいあるだろう。この際だから聞いておくことにした。

 彼女は至極冷静なまま、しかと首肯した。

「その通りです。デュセラ様は、『王子妃として相応しいかを見極めるために協力しろ』、とおっしゃられました。私の立場と経歴であれば、嫌がらせをしても不自然ではないからと」

 確かに、リティスはまんまと信じきっていた。

 アイザックと二人きりでいるところに出くわし、心揺らされもしたが……エレーネを見ていると、疑う必要すらなかったと納得するしかない。

 それほど彼女は『無』だった。

 リティスへの悪感情も、アイザックへの未練も見受けられない。

「なぜ、その申し出を承諾されたのですか?」

「それは、わたくしの事情としか」

 エレーネは隠しておきたいようだったが、すぐに諦めたように溜め息をついた。

「これまでわたくしがしてきたことを思えば、レディ・ディミトリに対して黙秘をする権限はありませんね」

「いえ、無理やり個人的な事情を聞き出すつもりは……」

「いいのです。ただ、わたくしはデュセラ様に対して立場が弱いというだけですので」

 フェリオラ王国の王女が、なぜ違う国の首相であるデュセラに弱いのだろう。

 同盟国でもあるし、友好的な関係のはずだが。

 リティスが考え込んでいると、エレーネがくすりと笑った。

 今の豹変した彼女が感情を表出させるのは、これが初めてのことだ。

「けれど……今回のことでデュセラ様に一つ貸しを作れたのは、大きな収穫でした。それこそが——わたくしの積年の願いを叶えるための、近道ですから」

 十五歳の少女は、大人顔負けの美しさと強さを誇っていた。

 満足げで、それでいて誇らしげな笑みは堂々とした振る舞いと相まって、凛々しささえ感じる。

 積年の願い。おそらくそれが、彼女の強さの秘訣なのだろう。

 エレーネは笑みを消すと、静かに頭を下げた。

「……もちろん、レディ・ディミトリに不快な思いをさせてしまったことは、お詫びのしようもございませんが。収穫などと、配慮のない発言でした」

「あぁ、本当にいいんです。気になさらないでください」

「いいえ。わたくしの行動がレディ・ディミトリを苦しめ傷付けたことは事実です。誰に頼まれたからと言いわけすることはできません」

 リティスは手を下ろし、ふと微笑んだ。

 今のエレーネからは、あの妖精のような儚さは感じられない。先ほどまでは、無機質で淡々とした振る舞いから、人形のようですらあると思った。

 けれど、今は違う。

 今リティスの目の前には、ただ芯が強い一人の女性がいるだけだ。

 彼女の態度には思うところが多々あったけれど、こうして話す機会を得てよかった。

 こういうエレーネを知らずに終わってしまっては、交流会の意味がない。

 仲よくはなれずとも、互いを理解し尊重することができれば、一ヶ月の間に起こった全てのできごとにも、意味があったと思える。

「……思いきって聞いてみても、よろしいでしょうか? エレーネ王女殿下は、アイザック殿下を好ましく思ったことが——……」

「ありません。人としては尊敬できる部分もあると思っておりましたが、昨晩の晩餐会でそれも跡形もなく消滅いたしました」

「う……」

「あの愛情深さは毒にもなります。苛烈な愛情は相手を不幸にするかもしれません。レディ・ディミトリも十分お気を付けください」

「肝に銘じます……」

 十五歳に諭されてしまった。

 昨日のアイザックのドン引き発言を思い出し、リティスの方が消えたくなる。本人がああも堂々と胸を張っているのに、理不尽だろう。

 一応、二人きりで会った時に注意はした。

 甘い雰囲気になったあとで申し訳なかったけれど、また同じようなことを起こされないために仕方がなかった。リティスだって嫌だった。

 けれどそこまでしても、今後絶対に大丈夫とは言い切れない不安がある。

 執務棟を歩いているだけなのに妙に避けられる経験は、もうしたくないのだが。針のむしろだった時と同じくらい辛い。

「誤解だったならよかったです……」

「……秘密ですよ。わたくし、幼い頃よりお慕いする方がいらっしゃいます」

 とんでもない衝撃発言に、リティスは慌てて口を両手で覆った。そうでもしなければ叫んでしまうところだ。

 エレーネはいたずらっぽく笑った。

「なので婚約が成立しないで、心から安堵いたしました。まぁ多少振り回された面もございますが、謝罪すべきはアイザック殿下ですから。レディ・ディミトリには、感謝を申し上げたいほどです。恨んでもおりませんので、どうぞご安心ください」

 つまり、元婚約者候補という肩書きを利用するために、さも恨みがあるかのような演技をしていたということか。

 先ほどからアイザックに対する恋慕は少しも感じられなかったけれど、まさか本当に全てが作戦の内だったとは。

 リティスは撃沈した。

「敵いません……」

「あら、レディ・ディミトリも経験を積めば、この程度の計算や演技は息をするがごとくできるようになりますわ」

「あまりなりたくありません……」

「ふふ、それもそうですね。レディ・ディミトリの魅力は、素直で愛らしいところですもの。それでいて我慢強く理性的で、度胸もおありになるなんて、アイザック殿下よりよほど素敵ですわ」

「あ、ありがとうございます……」

「その点でいうと、アイザック殿下を羨む気持ちはございます。あの方の行動がレディ・ディミトリを中心に回っているのも理解できます」

 反応に困って、リティスは俯いた。

 認めてもらえるのは嬉しいけれど、素直で愛らしいなんて。年下からの評価としては、むしろ褒められていない気がする。

「何より……王族に生まれながら、初恋の方と結婚し幸せになる。そのような奇跡に恵まれたことに対して、羨む気持ちがございます」

「エレーネ王女殿下……」

 アイザックへのやや棘のある言動に対する、それが答えなのだろう。

 エレーネは慕う相手がいると言った。

 だから、同じ夢を叶えた者として、アイザックが少し憎らしい。

 自由な恋愛が望めぬ立場を、十分に分かっているからこそ。

 エレーネへの複雑な感情など、とっくにリティスの中からはなくなっていた。

 小さく微笑み、テーブルの上に置かれたエレーネの手に手を重ねる。

「秘密を教えていただいた者として、エレーネ王女殿下の思いは決して他言しないとお約束いたします。……そして卑賤なる身ではございますが、殿下のお気持ちが報われることを、いつまでもお祈り申し上げます」

 小さな恋を応援したいという気持ちからの発言だった。

 自分の足場すら未だ不安定なリティスでは、何の役にも立たないことは分かっている。アイザックがいなければ、リティス自身に力などないのだ。

 それでも、弱音や泣き言を聞くくらいならできるはず——と、思っていたのに。

「本当ですか!?」

 ……エレーネが思いのほか食いついてきた。

 重ねた手をがっしりと握り込まれ、逃げることすらできない。

「あ、あの……」

「ありがとうございます! 謙遜されておりますけれど、レディ・ディミトリが味方についてくだされば、それが大きな意味を持つ日が必ずや訪れますわ!」

「そんな……」

「非道なことをしたわたくしの力になってくださるなんて、レディ・ディミトリは本当に慈悲深い方ですわ!」

「えー……」

 エレーネは頬を紅潮させ、はち切れんばかりの笑みを浮かべている。

 ——あれ? 殊勝な態度で謝ったのも、褒めてくれたのも、ひょっとしたら言質を取るためでは……?

 放心するリティスの脳裏に、そんな疑問がよぎったのだった。




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