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第72話 送別の夜会

 広々とした空間に、夜風が流れ込む。

 大きな掃き出し窓などが全て開け放たれ、広間は開放的な雰囲気に満ちている。

 夜会の会場は、以前に収穫祭でも使用された広間だ。

 以前と異なるところは、春ならではの色とりどりの花で飾られている点だろうか。風に乗って、花の芳香が会場中に広がっている。

 今夜は、国内貴族の多くが参席している。

 当初、リティスに対する厳しい目が、まだ残っているのでは——と心配していたけれど、とてつもなく杞憂だった。

 むしろ遠巻きにされ、目も合わせてもらえない。関わろうものなら死あるのみ、と言わんばかりだ。

 ——これはこれで注目されているし、居たたまれないわ……。

 今夜のリティスは、ライラックの花に似た薄紫色のドレスをまとっていた。

 けれど身につけている宝飾品は、全て青い宝石がででんと主張するもの。やはりこれが威圧感を与えているのではないだろうか。

 リティスが動くと貴族達も避けて、周囲には常に円形の空間ができていた。こんなにたくさんの人がいるのに、なぜか孤独を噛み締めている。

「レディ・ディミトリ。ここにいらしたのですね」

 困っているところで近付いてきたのは、クルシュナー男爵夫妻だった。

 救われた心地で、リティスは二人に挨拶をする。

「こんばんは。素敵な夜にお会いできて嬉しいわ、クルシュナー男爵夫妻」

「レディ・ディミトリにご挨拶申し上げます」

 エマとトマスに頭を下げられると、非常に居心地が悪い。敬語を使ってはいけない点も違和感だ。

 それでも、公の場ではリティスの方が身分が上。

 貴族達の視線が集まっている中では、普段通りに接することなどできない。これでもかなり親しげに挨拶をしている方だ。

 リティス達は壁際に寄って、改めて言葉を交わす。

「お久しぶりです、エマさん。トマスさんも」

「本当に久しぶりね。交流会で忙しいことは分かっていたから、会いに行くのを控えていたのよ」

「久しぶりだね、リティス。子ども達も君に会いたがっていたよ。特にルシエラ」

 いつもの気安いやり取りをしたことで、胸がいっぱいになる。

 本当に会いたかった。積もる話もたくさんあるのだ。

「エマさん……!」

 ついに感情に突き動かされるまま、エマに抱き着いてしまった。

「こら、リティス?」

「だって……お二人を見ていたら安心してしまって……」

 ようやく緊張する外交から解放され、日常に戻るのだ。

 リティスだってクルシュナー家の子ども達が恋しい。まだ夜会に出席できる年齢ではないから、会えないことは分かっていたけれど……やっぱり会いたい。

 リティスにとって彼らは家族なのだと実感する。

「もう、誰に咎められたっていいです」

「今のあなたを咎められる人、誰もいないと思うわよ」

 エマの呆れ声に、リティスは察した。

 当事者のリティスが昨晩知ったばかりなのに、彼らはもうアイザックの所業を把握しているのだ。

 エマの肩越しにトマスを見上げると、彼はあご髭を撫でながら面白そうに笑っている。

「聞いたよ、アイザック殿下のご乱心事件。いやぁ、見事に恐れられているね」

「ご乱心事件……」

 なんと不名誉な噂か。

 今日の夜会、欠席したい。

 聞くところによると、アイザックは婚約者の生家であっても容赦なく切り捨てる、冷酷無慈悲な第二王子だと噂されていたらしい。その時点で貴族達にとっては恐怖の対象だったと。

 最近の仕事ぶりは辣腕としか表現のしようがなく、アイザックには無闇に近付かない方が利口とまで言われていたが……ここに来て認識が一変する事件が起こった。

 それが、リティスを過剰に批判していた貴族達の、謎の豹変。まるで洗脳でもされてしまったかのように、これまでの主張を取り下げリティスを支持しはじめた。

 この出来事の裏にアイザックがいると知った者達は、ここに至るまでの様々な出来事から、ある共通点に気付く。

 たとえば、完膚なきまでに潰された、元レイゼンブルグ侯爵。

 収穫祭の夜会をきっかけに、彼は娘を虐げていたのでは……という疑惑が浮上していた。

 他にも、アイザックに別の婚約者をあてがおうとした貴族達。

 彼らはその後、脱税や違法労働、公文書偽造といった何かしらの罪に問われ、それぞれ地位を追いやられたり勢力を失ったりしている。

 これらは一見、全く繋がりのない事象にも思えるが……一致している点が一つだけある。

 アイザックとリティスの恋に、邪魔だったということ。

 脱税や違法労働はあくまで個別の事件だが、捕縛の裏にアイザックの暗躍があったのなら、印象はずいぶん変わってくるではないか。

 ここで、貴族達の見解が一致した。

 アイザックだけでなく、リティスにも触れてはならぬ——と。

「まぁ、うっすら事実だから、否定しづらいところだよ」

「いやぁぁぁぁぁ……」

 トマスが説明を締め括ると、リティスは消え入りそうな悲鳴を上げた。

 本当は絶叫がほとばしりそうなところ、最低限で全力の配慮だ。

 知らなかった。アイザックがもっと以前から、もっと駄目なことを仕出かしていたなんて。

 ただですら注目を浴びているのに、これでアイザックが揃ったらどうなることだろう。

 やはり逃げよう。それしかない。

 そう結論づけていたリティスの肩を、エマが励ますように叩いた。

「殿下のあれは、今にはじまったことじゃないわ。気にしたら負けよ」

「無理です……アイザック殿下が、職権乱用でいつか身を滅ぼしかねないと思うと……」

「ない罪を強引に作っているわけではないのだし、ぎりぎり合法よ」

「ぎりぎりじゃないですか……」

 エマがアイザックとの結婚に反対するのは、こういうところなのかもしれない。

 アイザックの人間性がまずい。リティスが関わった時だけ、異常にまずい。

 側にいると、彼のためにならないかもしれない……と半ば思い詰めるリティスに、エマはからりと笑った。

「まぁ、事件がなくても今回ばかりは咎められないだろうけどね。主賓の関係者に抱き着いたって、より緊密な仲に発展することを、むしろ歓迎されるでしょうし」

「……え?」

 リティスが抱き着いた相手というのは、もちろんエマのことだろう。

 だが、主賓の関係者?

 今宵の主賓はというと、当然同盟国の面々だ。

 一体どういう意味なのか、頭を目まぐるしく回転させていると、最近聞き馴染んだ声が耳を打った。

「——姉上。ご無沙汰しております」

 振り向くと、正装をしたフロイが立っている。その隣には同じく正装したオルジオもいる。

 そしてフロイの視線の先にいるのは——エマだ。

「……え?」

 リティスの反応に気付いて、エマはフロイを咎めた。

「ちょっとフロイ。もしかして、リティスに何も話していないの? 私もルシエラに邪魔されて伝えられずじまいだったけど、とっくにあなたが話しているだろうと思っていたのに……」

「いつ気付くだろうかと待っていたんですよ」

「そりゃ私とあなたは似てるけど、言わなきゃ分からないことだってあるでしょうが」

 軽快に言い合う二人からは、遠慮のなさが窺える。

 というか、言われてみればエマとフロイは顔立ちに似通った部分がある。

 きつくうねった黒髪と、健康的な色の肌。瞳の色は違うけれど、笑った時の目のかたちがそっくりだ。

 姉上。ということは、姉弟。

 つまりエマは、ウルジエ共和国酋長のオルジオの娘、ということでもあるのか。

 彼女が東隣のウルジエ共和国出身であることは知っていたが、まさか酋長の娘だったとは。

 エマは呆然とするリティスを振り返った。

「ごめんなさいね。こういう悪ふざけをする、迷惑な身内なのよ」

 それに反応するよりも早く、フロイが不服げに反論する。

「迷惑なのは姉上の方でしょう。『運命の人を見つけた』とか言い残して、あっさり国を出て行ってしまうんですから。おかげで私が後継者教育を受ける羽目になりました」

「いいじゃない。我が国は共和制、絶対に酋長に選ばれるわけじゃないんだから。知識はいくらあっても困らないものよ」

「そうやってご自分のなさったことを正当化するの、本当に得意ですよね……」

 姉弟だ。

 紛うことなく身内の仲睦まじさだ。

 呆然としつつも妙に納得していたリティスだったが、フロイまでこちらを窺うから、我に返らざるを得なかった。

「リティス様……怒っておりますか?」

「怒ってなど。ただ、とても驚いて、言葉が出なくて……」

 フロイは、ばつが悪そうに唇を尖らせた。

「たいへん申し訳ございませんでした。困らせるつもりはなかったのです。姉とは頻繁に手紙のやり取りをしていたので、リティス様についてもよく聞いていました。そのせいか、初対面にもかかわらず他人の気がしなくて」

 恋愛感情は全く感じられないのに、親愛に似た何かはあると思えた理由が、これだったらしい。

「それで、初めから親しげな振る舞いをなさったのですね……」

「ここまで黙っていたことは謝ります。あまりにあなたの守りが堅いから、少し悔しくなってしまいました」

 隣で口を挟まずにいたエマが、弟の謝罪に目くじらを立てる。

「リティスの守りが堅い? フロイ、一体何を仕出かしたの?」

 フロイはリティスに向け、いたずらっぽく目をつむった。

「それは秘密です。——ね」

 同意を求められては、頷くしかない。

 あなたの弟が恋愛感情を利用して、移住を勧めてきた……とはとても言えない。

 エマの怒りの矛先は、父親にも向かった。

「ちょっと、父さん。何でフロイを野放しにしたのよ」

「うむ……」

「うむじゃないのよ。こういう時くらいしっかりしてちょうだい。寡黙さで威厳を出してる場合じゃないわ」

「ううむ……」

 ほぼ空気と化していたオルジオは、ここに来て前へと進み出た。

「レディ。息子の過ちを謝罪する」

「あ、過ちなんて……逆に意味深に聞こえます」

 リティスが慌てて訂正を求めると、オルジオは頭を撫でた。厳めしい顔付きのままだから分かりにくいが、困っているのだろうか。

 そうしてウルジエ共和国式の、深い礼を披露する。

「申し訳なかった。今後は私とも、ぜひ仲よくしていただきたい」

「ですから、その言い方ですと誤解を招きかねないので——……」

 今度は言い終える前に、周囲がどよめいた。

 見回すと、貴族達の視線がこちらに集中している。

 しかも、誰もが驚愕を露わにしている。

 困惑するリティスだったが、また別の方向から響いた凛とした声が、その場に満ちた動揺を一掃する。

「——これは素晴らしいことね」

 リティス達の元に近付いてきたのは、ルードルフとクローディア——王太子夫妻だった。




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