「なつ、食堂行ってくるから」
「私の分もテイクアウトして下さい」
「無理」
「じゃあなおが丸飲みして戻ってきて吐いてくれれば私が…」
「行ってきまーす」
会話を強制終了させて部屋を出ていかれる。目覚ましを壊してしまったなおを、朝食の時間に合わせて起こしてあげたのは私なのに…
なおがいない部屋の中で一人ふんっと首を横に逸らした。
けれど欠伸をしてスエットのまま出ていったなおの姿を思い出すと自分の顔が熱くなる。
ちょっと最近の私は重傷かもしれない。ほんの少しの何気ない仕草を見るだけで、なおにときめいてしまう。
「ダメだダメだ…私がときめいてどうする」
デレデレとし始める頬をつねりながら自分に言い聞かせた。
明日の文化祭というビッグイベントに向けて細かい作戦を練らなくちゃいけない。
結局眠らずに一晩中考えた結果、出てきた案は一つしかなかった。
「髪を切っておしゃれをすることしか私には何も出来ない…」
お化粧も出来ない。髪を結うことも出来ない。可愛い服装を着ることも出来ない。
いつもとは違う特別な変化をつけるには髪を切ってもらうことしか思いつかなかった。
「あとは当日のデートプランだ」
なおがつけてくれたテレビを眺めながら一人ブツブツと呟く。
うーんうーんと頭を悩ませていると突然耳に良い情報が入ってきた。
『最近の男の子は草食系男子というらしいですね』
「…草食系、男子?」
『女の子に対して中々自分から行動を起こせない男の子のことだそうですが…』
「ふむふむ…」
『そういう男の子には、女の子が積極的に行動を起こせば良いみたいですよ?』
『なるほどねー、キスしてしまうくらい積極的にですか?』
「おおおおおッ」
朝の番組で意中の男子を射止める方法という特集が行われていた。
女性同士が会話を繰り広げる中、積極的にキスをすればいいという解決策を聞いて目が輝く。
思わずテレビに向かって拍手をしながら歓声をあげてしまった。
「なるほど…ちゅーすればいいんだ。ネズミ作戦でいこう」
親指と人差し指をピーンと伸ばした状態で顎に添える。
今の私は悪い顔をしているに違いない。何せ一人の男の子の唇を奪おうとしているのだから…
「ちゅー」
ネズミ作戦を成功させるためにひたすら唇を尖らせてみる。
キスなんてしたことがない分、見様見真似で練習をするしかない。
アニメでやっていたキスシーンを思い出しながら必死にちゅーちゅー叫んでみた。何となく様になってきたかな?
「ちゅーちゅー」
「何やってんの?」
「……。」
口を尖らせた状態のまま一瞬だけ固まってしまった。
後ろから聞こえてきたなおの声に恐る恐る振り返ってみる。
そこには両手にお皿を持って私を見つめているなおがいた。
「お帰りなさい、それ私のご飯?なおはやっぱり優しいね」
「え、無かったことにするんだ今の珍行動」
爽やかに笑いつつ話しかけたのに、なおはさっきのことを忘れてはくれなかった。
無理やり話を切り替える私に負けたのか、なおは呆れた顔のままベッドへと座り始める。
両手に持ったお皿には大きなおにぎりが十個ほど乗っていた。
「僕が休んでるって聞いて食堂の人がお昼用に作ってくれた」
「食べていい?」
「僕の話聞いてた?」
お皿に乗っているおにぎりに目を奪われてなおの話は半分くらいしか聞いていなかった。
目をキラキラさせて涎を垂らす私を見て、またなおがため息をつく。
その後決まってなおはこう言うんだ。
「少しだけな」
「わーい」
少しだけなって、いつも言うんだけど、いつも半分以上私に食べさせてくれる。
「ほら、口開けろ」
「あー」
大きく口を開けて待つ私に、一度微笑んでからおにぎりを差し出された。
ガブッとかぶり付いてもぐもぐと味わっていると、自然と笑みが零れてくる。
美味しい!っていう喜びと、ありがとうっていう感謝を伝えるために自然と顔が緩み始めた。
「ばおぼばべぶ?」
「何言ってるかわかんないから飲み込んでから言って」
「んふふ」
好きだなーって、また思った。どこが好き?と聞かれれば、もう一言じゃ言い表せない。
全部と言えば一言で済むのかもしれないけど、そんな言葉じゃ表現しきれないから。
何もかも、なおの全てが好きで言葉にできない。
この気持ちを、どんな言葉で伝えればわかってもらえるんだろう。なおに、私の気持ちが伝わるんだろう。
「なつ、上向いて」
「え…?」
私が幸せに浸っていた時、上からなおの声が降ってきた。
言われた通りに上を向いてなおの顔を見上げた瞬間…
「慌てて食べ過ぎ」
何故か、なおの顔が目の前にあって、すごく近いからキスされると思った。
動かないはずの心臓が大きく跳ね上がって、私の顔を一気に熱くさせる。
ワナワナと震え出す体が、もう恥ずかしさの限界だと主張していた。
床にいる私の方へと上体を移動させたことで、なおのいるベッドからギシッと軋む音が聞こえてくる。
じっと見つめてくるなおの綺麗な瞳に耐えられなくて、ぎゅっと目を閉じた時だった。
「ん、取れた米」
「何ですって」
なおから発された言葉に思わずバチッと目を見開いた。
微かに私の頬へ触れたなおの手には、私が食べ散らかしたであろう米が塊でついている。
キスしようとしたわけじゃなかったと知って余計に顔が熱くなった。
「だから、なつの頬に米が…」
「いい!もういい!それ以上言わないで、わかってます!」
自分から何でと聞いておきながら、改めて説明しようとするなおを止めた。
あまりにも恥ずかしくなって俯いたまま身動きが取れなくなる。
恥ずかしい。なおが私にキスするわけがないのに…とんだ勘違い野郎だと自分に言い聞かせながら、ゆっくりと顔を上げる。
もう全部忘れて食べまくろうと思っていたのに、目の前のなおがまたやってくれた。
「うん、やっぱ食堂のおにぎり美味い」
「……!」
私の頬についていた米の塊を何の迷いもなく自分の口に入れていた。
こ、これはどうなんだろう。喜んで良いんだろうか。今なおはどんな気持ちでその米を口に入れたんでしょうか。
何も考えてなかったの?それとも…
「きゃあああ!」
「わっ、何だよ!おい、なつ?!」
もうダメだ。ネズミ作戦?そんなの無理だ。だってこんなちょっとしたことで私の方が壊れてしまうんだから…
奇声を発しながら転げ回る私に、なおが慌てて止めに入る。
あまりにも暴れ回るものだから、手に負えないと思ったのか片足で踏んづけられてしまった。
「暴れるな!」
「グエッ……足?」
「なつが暴れるからだろ」
「…ごめんなさい」
昨日の今日で、なおがまだ悲しんでいるかなと思っていたけど、いつも通りの元気な彼に戻っていてほっとした。
だから、足で止められているにも関わらず嬉しくなって笑ってしまう。
いつも通りの会話で、いつも通りのふざけよう。
明日の文化祭のことも忘れて、二人で笑い合いながらおにぎりを食べつくした。