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episode_0137

 五階建ての百貨店に入ると煌びやかなエントランスと身なりが整った百貨店の従業員に出迎えられる。

 初めて来たからか、繋いだ手ごと身体を寄せてくるアリーシャを連れて、二人はエスカレーターに乗ったのだった。


「これ、エスカレーターなんですね」

「エスカレーターも初めてだったか?」

「初めてではありませんが、私が知っている娼館のエレベーターはこんなに綺麗ではなかったので……」


 アリーシャがまだ娼婦街に住んでいた頃、母からのお使いで高級娼館に立ち入ったことがあったらしい。

 値段は高いもののそれに見合った美女や娼婦街でも屈指の人気娼婦が多い高級娼館にはエスカレーターがあったが、今にも壊れそうなくらい年季が入っており、不快な機械音や至るところに浮いた錆、時折急停止もしたという。

 対して、この百貨店のエスカレーターはメンテナンスが行き届いているのか錆の一つもなければ機械音も聞こえず、静かに稼働していた。

 綺麗に磨かれた新品同然のエレベーターに、アリーシャが驚くのも当然だった。


「綺麗なのは当然だ。この百貨店は王族や貴族の御用達でもあるのだからな」

「王族や貴族も買い物に来るんですか?」

「王族と王族に近い身分の高い上級貴族は自宅に外商を呼びつけるが、それ以外の貴族は直接ここに買いに来る。まぁ、中には王族や身分の高い貴族でも、自分で買い物するのが好きな奴もいるらしいが……」


 聞くところによると、クシャースラの部隊が警護するペルフェクト王家の第三王子は、よくお忍びでこの百貨店に来ているらしい。クシャースラの話では、第三王子はある日突然「今日は百貨店に行く」と言い出すとのことだった。

 王子がお忍びで行く以上、クシャースラたち警護兵もお忍びとして一般客に混ざらなければならないが、さすがに準備に時間を掛けて王子を待たせる訳にはいかず、また長時間も待たせてしまうと自由奔放な第三王子は護衛もつけずに勝手に出掛けてしまうらしい。

 そうなる前にクシャースラたちは準備を短時間で行わなければならなかったが、送迎の車から駐車場の確保、更には緊急時の脱出ルートまで確認しなければならず、限られた短い時間の中で全て整えるのは容易なことではなかった。

 優秀なクシャースラはそれを毎回難なくこなしているものの、オルキデアと二人きりのところでは「付き合うのが大変だよ」とよく愚痴を溢していた。

 それ以外にも上級貴族の中には庶民や下級貴族の気分を味わうべく、荷物持ちの使用人を引き連れ、自分で支払うことを好む者がいた。


「明らかに身なりが良く、後ろに使用人やメイドを引き連れて、さも自慢げに歩いている奴には近づくなよ。そういう奴は大体上級貴族だ。それも傲慢で面倒な」

「そうなんですね……」


 苦笑するアリーシャに手を貸して、エスカレーターを乗り継ぐと五階に辿り着く。

 端から端まで所狭しと店が並ぶ。煌びやかな衣料店から、植物なのか食べ物なのかよくわからない甘い香りのする雑貨屋まで。

 そんな店内をアリーシャは目を輝かせて、見ていたのだった。


「先に俺の用事を済ませてもいいか?」

「構いませんが……。どのお店に行くんですか?」

「書店だ。この辺りでは一番品揃えがいいからな」


 目的の書店は左手側の突き当たりに入っている。

 他の店より三倍近く広い書店は、子供から大人まで多くの人たちで賑わっていた。


「ここにはペルフェクトで出版された本だけではなく、ハルモニア語やハルモニア経由で輸入したシュタルクヘルト語など、他の言語の本も取り扱っているんだ」

「それでこんなに広くて、賑わっているんですね」

「君も本を見てくるといい。欲しい本があったら買おう」

「いいんですか?」

「屋敷にいて何もしないのも退屈だろう。ここなら君の母国語の本も取り扱っている。まとめて買おう」


 今でもアリーシャにはシュタルクヘルト語がわからない振りを続けてもらっている。

 アリーシャを不審に思った兵が監視している可能性も考慮してのことだった。

 アリーシャ自身は何も言わないが、それでも馴染み深い母国語をわからない振りを続けるのも辛いだろう。

 解るものを解らない振りをして、それを長期間続けるというのも、意外とストレスが溜まる。

 それならせめて屋敷の中だけでも、そのストレスから解放したかった。


 本ならシュタルクヘルト語にも精通しているオルキデアが読む振りをしてまとめて購入すれば、怪しまれることはないだろう。敵国の言語とはいえ、シュタルクヘルト語の勉強目的でシュタルクヘルト語の本を購入する者も多い。特に買い物客が多いこの店ならシュタルクヘルト語の本を購入した客のことをいちいち覚えていないだろう。

 そう考えて、アリーシャに提案したのだった。



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