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■<2>結城梓と青海絵都



 新世紀が訪れ、既に十年以上が経過している。

 ――今日は、過去の忌まわしい沈没事故から丁度十年が経過した日でもある。


 しかし、そんなニュースなどありふれたもので、思い出す者など、遺族をはじめとした関係者ぐらいだろう。その関係者の一人――生存者の一人である、結城梓は机に両腕を預けて目を閉じていた。健やかな寝息が聞こえる。現在は授業中だというにも関わらず。


「次ぎ、結城。読め」


 担任の眞岡が声をかける。しかし梓が気づくことはない。生徒が惰眠を貪っていることに気づき、眞岡が表情を引きつらせて笑った。こめかみに浮かぶ青筋が見えそうだ。つかつかと梓に歩み寄り、再び眞岡は声をかける。だが梓は起きない。大きな溜息を吐き、眞岡は梓の机を叩いた。


「!」


 飛び起きた梓が顔を上げる。


「よりにもよって俺の授業中に眠るとは、たいした度胸だな」

「あ、そ、その……」

「問2。読み上げてから答えろ」

「……ど、どこですか……」

「23ページだ」


 眞岡の言葉に梓が教科書を捲る。そして困ったような顔で笑った。


「分かりません」


 梓の言葉に、呆れたように眞岡が溜息をつく。


「いいか。これは高三の数学だ」


 クラス中から忍び笑いが漏れる。

 すると再度わざとらしい溜息を残して眞岡が教卓へと戻った。


「結城。最低限予習をしろ」


 梓は俯いて教科書を睨む。それを見た眞岡は、さらに深い溜息をついてから、音を立てて教卓を叩いた。クラス中が再び静かになり、皆が真剣な表情で前を向く。


「いいか。確かにお前達は、まだ若い。だが、ここは特別なクラスだ。大学レベルの数学を解くことが出来ても、『当たり前』なんだ。それを忘れないように」


 その声に、梓は視線を落としたまま、内心で考える。

 ――現在十三歳だ。世間一般で言えば中学一年生だ。中学一年生が高校三年生の問題を解けなくたっておかしくないだろうに。


「次ぎ、青海。代わりに答えろ」

「はい。答えは3です」


 次ぎに指されたクラスメイトの青海は、すらすらと結論に至るまでの回答を述べる。

梓はいたたまれない気持ちになり、きつく目を閉じた。楓は8歳だ。


「正解だ。それでこそ、この特別クラスの生徒だ」


 眞岡はそう言うと、口元で弧を描いた。自信たっぷりの笑みだった。


「いいか。ここは、天才児が集められたクラスなんだ。お前達は天才だ。勉強、運動、その他、様々な面で、皆が特別な才能を持っている。決してそれを忘れるな」


 その言葉が終わった時、チャイムが鳴った。授業はそこで終わった。


 教科書をしまいながら、梓は室内をそれとなく見回す。教室内には、下は5歳から、上は17歳までの生徒がいる。全部で13名だ。


 ここは、国立F大学付属付属学校Iクラス。

 日本中から天才児が集められたクラスだ。全ての生徒が、何らかの才能を持っている。


 昼休みになったため、梓はお弁当を片手に教室を出た。一人で屋上へと向かう。


 そこは、祖父であり総理大臣を務める結城博一にねだって、鍵をひっそりと手に入れた、梓だけの場所といえた。


 空を飛ぶ鴉を眺めた後、梓は飛び降り防止用の高い鉄フェンスを睨め付けた。それから座り込んで壁に背を預けた。そして自作のお弁当を広げる。祖父とも、もう三ヶ月は会っていない。何かと祖父は泊まり込みの仕事が多いのだ。


「学校なんて全然楽しくない」


 厚焼き卵に箸を突き刺しながら、梓は呟いた。


「こんな所に行ってみたいなんて、凛はどうかしてるよな」


 そう口にしてから、甘い卵焼きを口腔に放り込む。傍目から見れば、一人きりの昼食だ。梓は同じクラスの生徒達が嫌いだった。いつも梓を馬鹿にするからだ。天才が集められたクラスだというのに、梓には目立って才能がないから嘲笑しているのである。梓だって世間一般の同年代の者と比較したならば、別段劣っていると言うことはない。けれどこの学校においては、平均であると言うことは、愚劣と同義なのだ。


 だが、この昼食の一時、梓は実のところ一人だとは感じていなかった。


『梓は悪くないよ』


 脳裏でそんな声が響いた。


「有難う、凛」


 涙を浮かべながら、梓が箸を止めた。いつも辛い時、”凛”が慰めてくれるのだ。凛にその日の愚痴をひとしきり話せる数少ない時間。それが昼休みだった。


 梓には、凛の声が聞こえるのだ。

 心の中で念じたことが、凛には伝わる。そして凛はそれに答えてくれる。


「凛に会いたい……」


 お弁当箱を置き、梓は膝を抱えた。鼻水を啜り、膝に涙を押しつける。

 屋上の扉が開いたのはその時だった。


「お前、また泣いてんのか?」


 明るい声が響き渡った。顔を上げる。梓は、凛との『会話』が途切れた事を自覚した。


「別にいいだろう」


 入ってきたのは、梓がここにいると知っている青海絵都だった。梓の涙で赤い目を見たクラスメイトは、吹き出すように笑うと一歩前へと進んだ。そして後ろ手に扉を閉めると、梓の頭に手を置いた。青海は、梓と同じ歳だ。ただ――才能が認められれば年齢など関係のないのが、あのクラスだ。


「お前が勉強できないのなんて、今更だろ?」

「うるさいな」


 ふてくされるように梓は答えた。


 そう、梓は、通称天才クラスにおいて、唯一何も目立った才能がない生徒なのだ。


 一応知能指数だけは、在学規定値に達している。あのクラスの平均IQは150だ。梓もテストの結果、その数値はクリアしている(退学させられないのだから、そうなのだろうと梓は考えている)。だが梓には目立った才能はない。勉強は出来ないし、運動が出来るわけでもないし、芸術的才能があるわけでもないのだ。まことしやかに囁かれるのは、梓の祖父が天才だから、特別にこのクラスに在籍を許されているというものだ。梓自身そうなのかも知れないと思う事もある。


「ほら、泣くなって」

「別に泣いてないから!」

「ああ、そう。で、ちょっとは機嫌、直ったのか?」

「まぁ。凛が慰めてくれたから」

「また『凛』か?」


 青海が呆れたような表情で笑った。ムッとして梓が目を細める。


 梓には、確かに凛の声が聞こえるのだ。だが、何度そう主張しても、誰も信じてはくれない。幻聴とまでは言わないが、それは梓の心が作り出した幻想だと皆は言う。


「俺が慰めてやるからさ、いい加減そんな話し止めろよ」

「だから、凛はちゃんといるんだよ」

「そんなわけないだろ。お前さ、現実見ろよ」


 腰に手を添えた青海が梓を覗き込んだ。梓は上目遣いにそれを見る。


 その時予鈴がなった。次は体育の授業だ。





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